第3話 推薦生、127位
王立アウレリア淑女学院の入学診断試験は、私の想像を絶するほど実践的で、そして冷酷だった。
礼法や教養の筆記試験だけでなく、この学院では「実務の現場」を模した実技試験が連続して行われる。
私が今立たされているのは、大広間の一角に設けられた模擬の受付だった。課題は『夜会における来賓の急な予定変更への対応』。次々と訪れる教員役の来賓から告げられる要望を聞き取り、手元の座席表と控室の割り当てを即座に修正していくというものだ。
「ハルフォード嬢。先触れより早く、隣国の侯爵ご夫妻が到着されました。ご夫人は長旅でお疲れのようです。どう対応しますか」
教員の淡々とした声が響く。私の頭の中は、すでに直前のトラブル対応で限界を迎えていた。
「あ、ええと……すぐに、お席へご案内を……いえ、お疲れならば、控室へ……」
言葉がうまく出てこない。焦れば焦るほど思考は空回りし、手元の資料をただ闇雲にめくるばかりになる。教員は冷ややかに私を見つめ、無情にも手元のベルを鳴らした。
「時間切れです。侯爵ご夫妻を立ったまま待たせるなど、外交上あってはならない失態ですよ」
肩がびくっと跳ねた。私は真っ青になって俯き、ぎゅっとドレスの布地を握りしめた。やはり私には無理だったのだ。圧倒的な能力不足。アルベルトが私に見切りをつけたのと同じように、学院の教員たちも私の無能さを正確に測り取っていく。
「初回の実技はここまで。講評を行います」
採点担当の教員が、事務的な声で告げた。
アウレリア学院の診断試験が特殊なのは、この形式にあった。一度の実技で採点を終わらせるのではなく、『初回実技→短い講評→同形式の再実技』という手順を踏むのだ。現在の完成度だけでなく、指摘を受けた後に生徒がどう対応を変えるかまでを含めて観察する制度らしい。
「ハルフォード嬢。あなたは不測の事態に直面した際、パニックを起こして視線を完全に手元の書類へ落としました。また、相手の要望を最後まで聞く前に、当てずっぽうに答えを出そうとする悪癖があります。実務において最も重要なのは、まず相手の顔を見て状況を確定させることです」
「……はい。申し訳、ありません」
「では、十分後に二回目の実技を行います。次は別の条件を出しますから、準備をしておきなさい」
教員が去った後、私は壁際の待機席に力なく座り込んだ。
周囲からの視線が痛い。「あのユリウス・ヴァイスが初めて個人推薦を出した生徒」という触れ込みは、すでに新入生全員の知るところとなっていた。どんな怪物級の才女が現れるのかと期待を集めていた結果が、この惨状だ。呆れと嘲笑が混じった囁きが、ひそひそと耳に届いてくる。
中でも、一際鋭い視線を私に向けている令嬢がいた。
艶やかな金髪と、意志の強そうな蒼い瞳を持つ美しい人。彼女の実技は、私の少し前に行われていたが、淀みない判断と優雅な所作で完璧に課題をこなしていた。
「……あれが、ヴァイス教官の推薦状を持った生徒? 冗談でしょう」
彼女――エルザ・ローゼンベルクは、隠そうともしない不快感を声に滲ませていた。
隣にいる取り巻きの令嬢が、エルザに同調するように囁く。
「本当ですわ、エルザ様。あんな実力で推薦されるなんて、何かの間違いとしか思えません。エルザ様はかつてヴァイス教官の指導を受けておられたのに、推薦は頂けなかったのでしょう? あんな何もできない方が選ばれるなんて、到底納得できませんわ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
エルザ様は、かつてユリウス教官の指導を受け、それでも推薦は得られなかったらしい。完璧な実技を見せた彼女の前に、何もできない私が推薦生として現れた。
腹を立てるのも無理はない、とその時の私は思った。
「ハルフォード嬢。二回目の実技を始めます」
教員の声に呼ばれ、私は再び模擬受付の前に立った。
「条件が変わります。晩餐会の最中、急病人が発生しました。あなたは現場の責任者です」
心臓が早鐘を打つ。想定外の事態。何をどうすればいいのか、頭が真っ白になりかける。
「……あ、あの……」
私は再び、逃げるように視線を手元のマニュアルへ落とそうとした。
――その瞬間、直前の講評が脳裏をよぎった。
『視線を完全に手元の書類へ落としました。相手の顔を見て状況を確定させることです』
私は、落としかけた視線を、無理やり引き上げた。
震える首に力を込め、教員役の顔を真っ直ぐに見る。
「き、急病人の、現在の症状と……ご年齢をお聞かせください。それから、どなたか、医務室へ……」
言葉はひどくつっかえた。声は震え、手元は落ち着かない。
症状を聞き出せたものの、結局その後の手配の順番を間違え、私は再び教員から終了のベルを鳴らされてしまった。再実技でも、私の課題達成度は絶望的なままだった。
完全に失敗だ。私は力なく肩を落とした。
しかし、教員は手元の記録用紙にペンを走らせながら、淡々とこう呟いた。
「相変わらず処理速度は遅く、実務の合格基準には遠く及びません。……ですが、パニック時に視線を落とす癖と、確認前に動く癖については、意識して留めようとした痕跡が見られました。完全に同じ失敗は繰り返していませんね」
教員はそれだけを記録の端に書き込み、次へ行くように促した。
異常な才能を発揮したわけでも、劇的に成長したわけでもない。ただ、「言われたことを一つだけ変えようとした」という、極めて小さな事実だけが、公式な記録として残された。
全生徒の診断試験が終了し、広間の掲示板に総合順位が貼り出された。
百二十八名中、私の順位は『百二十七位』だった。
下から二番目。事実上の最下位に近い。上位層の欄には、総合十位台であるエルザ様の名前が輝かしく載っていた。
「本当に百二十七位ですって……」
「ヴァイス教官の推薦生が、まさかあんな底辺だなんて」
「ただのコネか、何かの手違いですわよ」
周囲のざわめきが、波のように私を打ち据える。エルザ様は掲示板の前で私を一瞥すると、失望と怒りが混ざったような冷たい目を向け、無言で立ち去っていった。
彼女の目には、私が推薦枠を無駄にした卑怯な人間に映っているだろう。何も言い返せなかった。百二十七位という数字が、私の現在の無力さを客観的に証明していたから。
夕刻。
試験の片付けが行われている廊下の隅で、私は一人、壁に寄りかかっていた。
足音に顔を上げると、そこにユリウス教官が立っていた。
彼は診断試験の会場にはいなかった。学院の厳格な利益相反規則により、推薦者である彼は、私が受ける試験の採点や順位決定には一切関与できないのだと、試験前に説明を受けていた。
教官の手には、教員たちが書き込んだ私個人の試験記録の束が握られていた。
「……百二十七位か」
教官は記録を一瞥し、平坦な声で言った。
失望される。見捨てられる。そう思って身をすくませた私に対し、教官は叱責の言葉も、慰めの言葉も口にしなかった。
彼はただ、片手で一冊の帳面を私へ差し出した。
表紙には何も書かれていない、真新しい空の帳面だった。




