第25話 私ならこうします
『一人の例外を救うことはできた。では、それを百人を救う仕組みにするには何が必要か』
ユリウス教官が講評で残した問いは、夜になっても私の頭から離れなかった。
トーマスさんのように、初期の適性判断の誤りによって支援を打ち切られ、行き場を失っている人は、王都のどこかにまだ大勢いるはずだ。その人たち全員を、私たち学生が三人一組で数日かけて調べ直し、個別に救うことなど到底不可能だ。
アルベルトの「見込みのない者を切り捨てる」という一律のルールに対抗するには、同じように「彼らをもう一度掬い上げる」ための一律のルール――つまり、基準と制度が必要になる。
私は自室の机に向かい、失敗記録帳の白紙のページを開いた。
ペンを握り、トーマスさんの事例から抽出した「事実」を並べる。
『能力不足ではなく、身体条件と訓練内容の不一致で失敗した者』。
『別の条件であれば、実務をこなせる可能性が残っている者』。
私はそれらの条件をまとめ、一枚の報告書を作り始めた。タイトルは『支援停止者に対する、再審査および別職種での再訓練申請制度案』だ。
翌日の放課後。
私は完成した数枚の羊皮紙を手に、個別訓練室の扉を叩いた。
長机の奥では、ユリウス教官が書類仕事のペンを動かしていた。私が入室すると、彼は顔を上げ、私が手にしている書類へ視線を落とした。
これまでの私なら、ここで「教官、どうすれば仕組みを作れるでしょうか」と、彼に正解を求めていたはずだ。迷い、パニックになり、答えを与えられるのを待つだけの、無力な生徒として。
でも、今日は違う。
私は教官の前の机に、書き上げたばかりの書類を置いた。
「私なら、こうします」
震えそうになる声を腹に力を入れて抑え込み、教官の目を真っ直ぐに見た。
「前回の失敗を理由に支援を打ち切られた者のうち、身体条件や適性の不一致が認められる者に限り、一度だけ別の職種での再審査を認める基準案です」
教官は私の言葉を遮らず、置かれた書類を手に取って黙読し始めた。
静かな空間に、羊皮紙をめくる衣擦れの音だけが響く。心臓が早鐘を打ち、不安が足元から這い上がってきそうになる。
やがて、教官は書類から視線を上げた。
「『本人の希望による別職種への再審査を認める』とあるな」
「はい」
「では、本人が自分の適性を客観視できておらず、以前失敗したのと同じ危険な力仕事に固執して申請してきた場合はどうする? 現場で大事故が起きれば、それは救恤局の責任問題になるぞ」
「あっ……」
私は言葉に詰まった。「もう一度やり直したい」という本人の意思を尊重することばかり考えて、安全管理の視点がすっぽりと抜け落ちていた。
「それは、ええと……再審査の前に、必ず窓口で詳細な聞き取りを行って……」
「全員に長時間の聞き取りを実施するのか。ただでさえ処理に追われている救恤局の窓口が完全にパンクする。人員と時間の不足はどう解決するんだ」
教官の矢継ぎ早な指摘に、私の頭の中に冷や汗が滲んだ。
考えが甘かった。私の作った案は穴だらけで、これではアルベルトの冷徹な効率論に一秒で論破されてしまう。
教官の顔を見る。彼は私を否定するような呆れた顔はしていなかった。ただ、実務官としての鋭い目で、制度の欠陥を指摘し、「どう塞ぐか」を私に考えさせようとしているのだ。
答えはくれない。私が自分で修正するしかない。
「窓口の処理が滞るなら、手順を定型化するしかありませんわね」
不意に、開け放たれた訓練室の入り口から声が響いた。
振り返ると、エルザ様とフェリシア様が立っていた。二人は私の手元の資料を覗き込むと、両脇に並んで座った。
「ハルフォードさん。長時間の聞き取りが不可能なら、窓口の担当者が瞬時に判断できる『チェックリスト』を設ければいいのです」
エルザ様が私の紙に羽ペンを走らせる。
「『前職での失敗が、怪我や身体的制約に起因するか』『文字の読み書き等の代替技能があるか』。この三項目に合致した者だけを、再審査の対象としてふるいにかける手順にすれば、窓口はパンクしません」
「対象者の上限も決めるべきね」
フェリシア様が間髪入れずに言葉を継いだ。
「『希望すれば誰でも』では予算が持たないわ。再訓練の期間は一律二週間に限定。対象人数も、予算の予備費から算出すると、各月十名が限界よ。それ以上は上位の支援事業を圧迫する」
二人の容赦のない、けれど極めて現実的な指摘。
私が描いた理想論の骨組みに、エルザ様が現場の血肉を通わせ、フェリシア様が数字の鎖で縛り上げていく。
私一人では決して作れなかったものが、三人の視点が交わることで、現実の社会で機能する『制度』の形へと研ぎ澄まされていくのが分かった。
「フェリシア様、エルザ様。ありがとうございます」
私は二人が加えてくれた修正案を清書し、もう一度、ユリウス教官の前に提出した。
「……これが、私たちの案です」
教官は修正された案を一瞥すると、短く息を吐いた。
「検討に値する案にはなったな」
それは、決して甘い褒め言葉ではなかった。しかし、「提出書類として受理する」という、実務家としての明確な合格のサインだった。
翌日、私たちは三人の連名で、救恤局の実務担当官へその再審査基準案を提出した。
担当官は分厚い眉をひそめ、私たちの案と、それに付随する予算計画書を何度も読み返した。
「……机上の論理は通っている。人員の負荷も計算の範囲内だろう」
担当官は書類をデスクに置いた。
「だが、学生諸君。王国の予算を動かす制度が、君たちの案一つで今日から変わるわけではない。局長の決裁も、財政院の承認も必要だ」
「承知しております」
私は前に出た。
「ですが、現場には今も、適性を見誤られたまま支援を切られた人たちがいます。制度の正式な変更を待つ間にも、機会の喪失は続いています」
「……」
「ですから、私たちの学院実習の期間内だけでも構いません。対象者を五名に限定した、小規模な『試験運用』として、このチェックリストを使った窓口を設置させていただけないでしょうか」
正面から突破できないなら、試験という名目で隙間をこじ開ける。
担当官は深くため息をつくと、書類に仮承認の印を押した。
「あくまで実習の一環としての試験運用だ。二週間で成果が出なければ、即座にこの窓口は閉鎖する。いいな」
「はい……! ありがとうございます!」
全採用ではない。期間限定の、ごく小さな部分採用に過ぎない。
それでも、私たちは自分たちの手で、行政の強固な壁に風穴を開けたのだ。
実習の帰り道、私は鞄の中にある失敗記録帳の重みを確かめながら、空を見上げた。
嬉しい。でもそれは、私の案が通ったことに対する喜びだけではなかった。
私は今日、ユリウス教官に「どうすればいいですか」と答えを乞うのではなく、彼を「自分の案の穴を叩いてもらう壁」として利用した。
先生の答えを写したのではない。自分の足で立ち、自分の考えをぶつけ、彼から対等な実務家としての扱いを受けた。その手応えが、どんな称賛の言葉よりも誇らしく、私の胸を温めていた。




