第17話 晩餐会を黒字にせよ
王都の閑静な区画にある、貴族が所有する大邸宅。
本日の実習は、この広大な空間を丸ごと使って行われることになっていた。
「これより、複合実習を開始する」
教壇に立つ教員が、私たち生徒に向けて告げた。
「課題は『大邸宅の晩餐会を、与えられた予算内で黒字運営すること』。各自の班で、食材の調達、調理場の管理、人員配置、そして来賓役への礼法まで、すべてを規定の時間と予算の枠内で成立させなさい」
今回は、先日の実習で補助役として触れた「会計」「家政」「礼法」を、自分たちの班で一つに束ねて運営する応用課題だった。淑女学院が単なる花嫁学校ではなく、家と人と金を動かす実務家を育てる場所であることを、まざまざと見せつけるような課題だ。
私は数人の令嬢たちとともに、一つの班の運営を任されていた。
実習の前半、事前の計画段階ではすべてが順調だった。私たちが組んだ予算案では、季節の魚を前菜にし、メインには見栄えのする仔牛肉を用意する予定だった。給仕の動線も確認し、これなら問題なく乗り切れるはずだった。
しかし、現場の平穏は容赦なく破られる。
「報告します。王都への街道で落石事故があり、予定していた仔牛肉の価格が市場で三倍に跳ね上がりました。現在の予算では購入不可能です」
教員から告げられた変更条件。息を呑む間もなく、さらなる報告が重なる。
「加えて、給仕を担当する予定だった生徒が二名、急な馬酔いで欠員となりました。人員の補充はありません」
食材価格の急騰と、給仕の欠員。
二つの予定外の事態が同時に投入されたのだ。
頭の中で、いくつもの数字と手順が絡まり合い、一瞬にして思考がショートしかけた。
遠くのホールでは、別の班を指揮するフェリシア様の声が響いていた。
「メインは豚肉に変更。浮いた予算で前菜の品数を一つ増やし、見栄えを保ちますわ。給仕が減った分は、配膳の回数を減らせる大皿での取り分け形式を一部に採用して、動線をカバーなさい」
彼女は初見のトラブルに対して、数秒で完璧な代替案を弾き出していた。数字と人員を同時に組み替える速さは、私には到底まねできない。
一方の私は、予算表と人員配置図を前にして、ペンを持ったまま固まっていた。
仔牛肉が買えない。給仕が足りない。この二つをどう同時に解決すればいいのか。焦れば焦るほど、頭の中の数字がバラバラに散らばっていく。
過去の私なら、ここでパニックになり、「どうにかして最初の豪華な計画に戻さなければ」と足掻いて自滅していただろう。あのときエルザ様が陥ったのと同じ、連鎖崩壊の罠だ。
私はドレスの布を握る手に力を込め、小さく息を吐き出した。
全部を元通りにすることはできない。私にはフェリシア様のような処理能力はないのだ。
失敗記録帳をつけてきた思考を思い出す。まずは、絶対に守るべき条件と、捨てる条件を分けること。
絶対に守るべきは『予算内で黒字にすること』と『来賓に大きな失礼を働かないこと』。
ならば、捨てるのは『見栄えの豪華さ』だ。
「……メインの仔牛肉は諦めます」
私は班の令嬢たちに告げた。
「代わりに、手に入りやすい鶏肉へ変更します。それから、コースの品数を一品減らして、スープを省きましょう」
「スープを省く? それでは晩餐会としてあまりに質素ではありませんこと?」
班の令嬢が不安げに声を上げた。
「ええ。ですが、給仕が二名欠けている状態で元の品数を出そうとすれば、必ず配膳に遅れが生じます。料理が冷めることや、来賓をお待たせすることの方が、礼法上の失点は大きいはずです」
私は手元の予算表にペンを走らせた。
「スープの分の食材費と手間を削れば、鶏肉のソースに少しだけ良い香草を使えます。配膳の回数が減れば、欠員した給仕の負担もカバーできますわ」
ただ会計の数字だけを合わせるのでもない。ただ礼法のマナーだけを守るのでもない。
献立の変更が、予算の数字をどう動かし、それが給仕の人員配置にどう影響し、最終的に来賓のテーブルにどう反映されるのか。
これまで個別の授業でバラバラに学んできた『会計』『家政』『礼法』といった科目が、頭の中で一本の線としてつながっていく感覚があった。
豪華さは失われるかもしれない。でも、この妥協案なら、今の私たちの能力でも絶対に破綻させずに最後まで回しきれる。
「これで、行きましょう」
私の提示した再計画案に、班の令嬢たちも頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。
結果として、私たちの班が提供した晩餐会は、フェリシア様や他の上位陣が運営したテーブルに比べれば、明らかに地味で華やかさに欠けるものだった。
だが、温かいものは温かいうちに提供され、給仕が滞ることもなく、予算はきっちりと黒字の範囲内に収まっていた。
「豪華さには欠けますが、人員不足という状況下で、これ以上の失態を防ぐために品数を削った判断は現実的です。何より、予算の超過を出さなかった手腕は評価に値します」
採点教員の講評は、手放しの称賛ではなかったものの、確かな及第点を与えてくれるものだった。
実習が終わり、夕暮れに染まる邸宅の庭園で、私は一人で小さく伸びをした。
単科目の点数を取るだけでなく、崩れた計画を組み直すという実務の入り口に、ようやく立てた気がした。
「少しは実務らしくなってきたな」
背後からかけられた声に振り向くと、ユリウス教官が腕を組んで立っていた。
「教官……」
「会計と人員、そして礼法。別々の要素を妥協点ですり合わせた。だが、初動の判断速度はやはり上位陣に遠く及ばないな」
「はい。不測の事態が二つ重なると、どうしても頭が追いつかなくて……」
私が正直に悔しさを滲ませると、教官は平坦な声で返した。
「初見の事態に誰よりも速く対応できる人間になる必要はない。君は君の戦い方をすればいい」
「私の、戦い方……」
「ああ。初見の判断が遅いなら、その場で考える時間を減らせばいいだけのことだ」
教官は私の手元にある失敗記録帳を一瞥した。
「起きる前に、想定できる事故を増やせ。次はそのための課題を出す」




