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婚約破棄された落ちこぼれ令嬢は、鬼教官と失敗記録帳で百二十七位から人生を立て直す  作者: 他力本願寺


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第14話 誰に時間を使うのか

翌日の実務演習の時間は、重苦しい静寂に包まれていた。


 私たち生徒の机の上には、昨日の合同演習で財政院のアルベルトが持ち込んだ資料の写しが配られていた。


 教壇に立つ担当教員が、淡々とした声で本日の課題を告げる。


「現在、学院には王家から下賜された『特別実務指導』のための追加予算と、教員たちの限られた余剰時間が存在します。本日の課題は、この限られた教育資源を、百二十八名の生徒にどう配分するか。各自で計画案を作成しなさい」


 私は手元の資料に目を落とした。


 そこには、アルベルトが作成した冷徹で隙のないデータが並んでいた。過去数年間の生徒の成績推移と、追加教育を施した場合の成果をまとめた表だ。


 表が示している事実は、残酷なほど明白だった。


 成績上位二割の優秀な生徒に教員の時間を集中させた場合、彼女たちはより高度な政策立案や領地経営の技術を即座に習得し、卒業後すぐに王国の実務官として高い成果を出す。


 一方で、私のような下位二割の生徒に同じだけの時間を割いたとしても、基礎的なミスの修正に終始するだけで、目に見える『成果』はほとんど上がらない。


 資料の末尾には、アルベルトの所属する改革部門の推奨案が記されていた。


『限られた資源は、上位層へ集中的に投資すべきである。成果の出ない下位層への追加教育は国家予算の浪費であり、一定の基準に満たない者は速やかに切り捨てるのが最も合理的である』


 その一文を読んだ瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


 彼が私との婚約を解消した理由そのものだった。そして、この資料の数字に嘘や捏造はない。私が失敗記録帳をつけて、何十回も同じ課題を反復してようやく平均点をもらっている間に、フェリシア様のような才能ある生徒はもっと先の高度な実務をいくつも習得している。


 数字で見れば、私に時間を使うことは明確な「無駄」なのだ。


「こんなもの、議論するまでもない結論ですわね」


 同じグループのテーブルで、エルザ様がペンを回しながら言い放った。


「貴族の義務は、領民と王国の税に応える成果を出すことです。努力しても結果を出せない者に、これ以上の予算を使うなんて背任行為もいいところですわ。私なら、上位五十名にすべての特別指導枠を回します」


「私も、方向性としてはローゼンベルク嬢に同意します」


 向かいに座るフェリシア様も、静かに頷いた。


「学院の目的は、即戦力となる優秀な実務家を育てること。予算に限りがある以上、全員を平等に救済しようとすれば、全体が共倒れになります。国家の利益を最大化するためには、選別は避けられません」


 二人の意見は、どちらも極めて論理的で正しかった。


 私は手元の白紙の計画案を見つめたまま、ペンを動かすことができなかった。


 下位層を切り捨てるべきではない。そう言いたかった。でも、どんな言葉を使えばいい?


「私のように覚えの悪い生徒も見捨てないで、時間をかけてほしい」――そんな感情論を口にしたところで、それはただの我が儘だ。他人の税金や教員の時間を、自分の成長のためだけに浪費してくれと懇願しているに過ぎない。


 私はアルベルトの数字を前に、完全に反論の言葉を失っていた。


 その時、大講堂の重厚な扉が静かに開いた。


 入ってきた人物の姿に、室内の空気が一瞬にして張り詰める。教員たちが慌てて姿勢を正し、私たち生徒も一斉に立ち上がって深々と頭を下げた。


 アデライド王妃殿下だった。


 学院の名誉総裁であり、王家の救恤きゅうじゅつ基金や教育支援の強力な後援者でもある王妃は、視察のために予告なく現れたのだ。


「楽になさい。今日は皆がどのような実務的判断を下すのか、見学させてもらいに来ただけです」


 四十代の王妃は、華美な装飾を抑えた気品あるドレス姿で、静かに教壇の脇へと歩を進めた。


 王妃はいくつか生徒のテーブルを回り、フェリシア様の作成した配分案を手に取った。


「オルブライト嬢。あなたは下位の生徒への特別指導枠を完全にゼロにする案を立てましたね」


「はい、殿下」


 フェリシア様は臆することなく答えた。


「限られた資源を散財することは、結果的に誰の役にも立ちません。確実に成果を出す層へ集中させることが、王国の未来に対する最大の貢献であると考えます」


「……なるほど。冷酷に見えますが、極めて現実的で合理的な判断です。上に立つ者は、時にそうした選択を引き受けなければなりません」


 王妃はフェリシア様の案を否定せず、むしろその論理性を公平に評価した。


 私は再び、自分の白紙の答案に目を落とした。


 やはり、アルベルトの論理は正しいのだ。王国のトップに立つ人々から見ても、彼の提示した「効率」は正解の一つだった。


 これでは勝てない。私の「もう一度挑戦したい」という思いだけでは、この冷徹な数字の壁を越えることは絶対にできない。


 重苦しい思考に沈んでいた私の視界の端で、ふと動くものがあった。


 見学に来ていたユリウス教官だった。彼は講堂の通路を歩き、私の隣のテーブルで固まっている下位の生徒の横で足を止めた。


 その生徒は、予算の計算式を間違えてしまい、何度やり直しても合計が合わずに泣きそうな顔をしていた。


 アルベルトの論理に従えば、ここで彼女から見切りをつけ、より早く計算できる生徒の指導へ移るのが「正しい資源の配分」だ。


 しかし、ユリウス教官はそうしなかった。


「どこで詰まっている」


 教官は短く問いかけ、生徒の計算用紙を指でなぞった。


「この四行目だ。ここで固定費と変動費の数値を混同しているから、以降の計算がすべて狂う。この数字を一度分けてから、もう一度足し直せ」


 教官の言葉は、わずか十秒にも満たない短いものだった。彼は生徒の「才能のなさ」を嘆くことも、できない彼女を切り捨てることもせず、ただ『どこで間違えたか』という原因だけを特定し、手順の変更を指示した。


「あっ……本当だ。ありがとうございます……!」


 生徒の顔にパッと光が戻り、止まっていたペンが再び力強く動き始める。教官はそれ以上何も言わず、静かに次の生徒のテーブルへと歩いていった。


 私は、その光景から目が離せなかった。


 アルベルトの資料にある数字は正しい。下位の生徒は、教えるのに手間がかかる。


 けれど、ユリウス教官は「成果が出ないから切る」のではなく、「詰まった場所を見つけて、方法を変えさせる」ことで、先ほどまで完全に止まっていた生徒の時間を再び動かしたのだ。


 もし、アルベルトの表の数字が絶対に正しいのだとすれば。


 今、私の目の前で、切り捨てられるはずだった生徒が再び歩みを進めたこの現実は、一体何なのだろう。


 私はペンを握り直した。


 アルベルトの表には、何かが欠けている。彼の数字は嘘ではないけれど、測っている範囲が決定的に狭いのだ。でも、それが何なのかは、今の私にはまだ言葉にできない。


「数字が正しいなら……何を見れば、別の答えが出るの?」


 私は、その疑問符だけを頭の片隅に深く刻み込んだ。感情で喚くのではなく、いつか彼の論理を数字と事実で覆すために。


 授業の終了を告げる鐘が鳴り、アデライド王妃が静かに講堂を後にした。


 教壇の教員が、集められた計画案の束を揃えながら、声を張り上げる。


「本日の課題はここまで。さて、次回の重要実習について告知します」


 生徒たちの間に緊張が走る。


「次回は、大規模な予算と人員を実際に動かす複合実習を行います。ある大邸宅の晩餐会を、与えられた予算内で黒字運営するという課題です」


 家政と会計、そして人員配置が絡む難易度の高い実務。


「この実習の第一グループの責任者として、エルザ・ローゼンベルク嬢を指名します」


 名前を呼ばれたエルザ様は、一瞬驚いたように目を見開いた後、誇り高く立ち上がった。


「承知いたしました。ご期待に必ず応えてみせますわ」


 彼女の得意とする分野だった。周囲の令嬢たちが感嘆の声を漏らし、エルザ様は完璧な自信に満ちた笑みを浮かべていた。彼女自身、自分がこの重要実習で素晴らしい成果を上げることを、微塵も疑っていないようだった。

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