第85話 対峙
「きひひひひひひひひ。まぁあああてぇええええ――――」
誰も居ない無人の街中を少年一人。そして一匹のピエロが鬼ごっこを続けていた。
必死に逃げる少年と、余裕しゃくしゃくに追うピエロ。
その構図がずっと続いている。少年。茂山レイジ。
彼だって分かっていた。
逃げられない。
そんな事、状況を冷静に考えればすぐ分かる。
分かる。
分かるけど。
分かるからと自らの命を棒に振るほど彼は愚かでなかった。
だから逃げた。
一瞬でも良い。何かの弾みで生き残れたら。
それだけを考え、彼は逃げ続けた。
逃げる。
逃げる。
逃げる。
追われる。
追われるが、逃げ続けるしかない。
街には誰ひとりとしていない。どこに行ったのか。
「どう」なったのか。何も分からない。
遠くの方で大きな音が聞こえる。
その先に。もしかしたら「助け」があるかもしれない。
それを希望に。走る。走る。
ほんのわずかな希望を胸に、彼は走り続ける。
「まぇえええええてぇええええええ。きひひひひひひひ」
それを追う「何か」
マリスと呼ばれる。訳の分からない何かだ。
彼が後を追う。
本当はすぐに捕まえられる癖に。
でも捕まえない。
それはなぜか。
「面白いから♪」
「きひひひひひひひひひひひひひひひっ!!」
追う。追う。
逃げる。逃げる。
たかしは、その場からただ逃げ続ける。
先へ。先へ。
声が聞こえる。
きっとこの先に。
大きな声が。
聞こえる。
きこ。える……。
ああ。
そこで気づいた。
その悲鳴は。
嘆きだ。
悲鳴だ。
誰かが苦しんでいる。
誰かが泣いている。
そんな。聞いていたくないような。
声。
誰かの。
そんな非業の集合が先にある。
ここに助けはない。
そう思った。だが思っても体は本能的に他人を求める。
それでも。
誰かが助けてくれるかもしれない。
それを信じて、ただ前のみを進む。
分かっていた。でも、分かりたくなかった。
だから先に進み続ける。
進んで、進み続けて。
そして見つけた。
「あ……。ああぁ……」
そこには「人」が居た。
いや厳密には固められた人の塊だ。
人だった者が溶かされ、重ねられ。
それが塔のようにそびえ立ちながら存在している。
そこに人がいる。ドロドロに溶けてその形を崩して。
ピンク色の肉塊でみんな一緒になって。
手が。顔が。足が……。
塔の中でぐちゃぐちゃになって、そんな体の部位だけが塔から露出している。
全て人で構成された人の、肉の塔。
都心の広い交差点の真ん中で、それは飾られるように存在してた。
たかしはそれを見る。
見て、恐怖より疑問が先だって考える。
これは、何なのだろうかと。
肉塊は悲鳴を上げる。苦痛にもがく。
だがその肉塊の1人がたかしを見つけて。
こちらを向いて。
「助けてぇええ……」
呟く。
それに続き、他の者達も気づく。
そして最初の者に続くように。
「助けて」
「助けて……」
「殺して……」
「助けて」
塔の中に埋められた者達が一斉にたかしを見て助けを求める。
手を伸ばす。顔を伸ばす。足を伸ばす。
舌を伸ばす。
体の部位全てを使って、一滴の救いの粒を逃さぬように。
まるで合唱団のように重なり合わせながら。
助けて。
それだけを思い、小さな少年に救いを求める。
だが。
たかしにそんな力は無かった。
「う……」
「うわぁあああああああああああああああああ――――っ!!」
大声を上げて、その場を後にする。
入ったのは小さな路地。そこなら逃げられるのではと思案した。
背後からはまだ助けを求める合唱が聞こえてくる。
しかしたかしはそれを気に留める余裕はない。
ただ。
逃げねば。
それだけを考えて先に進む。
逃げたい。
生きたい。
それだけが彼の望みだった。
だから逃げ続ける。
あのピエロの声は届かない。
ならもう逃げられたのか?
僅かながら希望を持つ。だが足を止める事が出来ない。
体は疲れでボロボロだ。だがそのボロボロの体を前に進ませるほど。
たかしの生存本能は燃えたぎり、己が体を動かしている。
前へ。前へ。前へ。
その先に。きっと逃げ道が。
いや。
進む彼の眼前には。
コンクリートの壁が。
その先は行き止まりだった。
コンクリート塀の高い壁が行き先を塞ぐ。
壁の高さは3メートル程度。
壁はツルツルしていて、昇れそうになかった。
口をあんぐりと開けて、その壁を見る。
見て、踵を返し正面を見る。
そこに、居た。
「つぅううううかまぁあああえたああああああ~♪」
ピエロ。
いや。
マリスと言った方が正しいだろう。
マリス。
マリスが、退路が断たれたたかしの前に立ち塞がる。
たかしと。
マリスが。
袋小路の中、共に対峙している。
ネズミは。
猫は。
どちらなのか。
「にゃあぁあああああん♪ きひひひひひひひ♪」
すっかり猫の気持ちになって。
マリスが首を縦に振りながら、たかしの前でおどけて見せる。
それは彼の姿である道化師のなせる業か。
それは、極めてどうに入った見事なピエロ捌きだった。
道化。という意味で彼は完璧だった。
きひきひと笑いながら、たかしの前でおどけて見せる。
きひきひと。きひきひと。
彼はたかしの前でおどける。楽しませる。
楽しませるのは。
自分だ。
「きひひひひひひひひっ!! ひひ、ひひひ」
「あ、ああ……」
「きひ、きひひひひひ。あああぁああ。良いよぉおおその絶望の表情」
「そう、そうだねぇええ。その顔が見たかった。そうだよぉおお」
「これこそ相互理解っ!! これこそが全宇宙の統一っ!!」
「ああ。そうだ」
「ぼくらは分かりあってるっ!! 通じ合ってるよっ!!」
「きひひひひひひっ!! 恐怖こそが。畏怖こそが」
「憎しみこそが。恨みこそがっ!!!!」
「この世全ての生命を1つにする究極の感情っ!!」
「この世全てを「闇」に内包して差別も、争いも無い社会を作るっ!!」
「これこそがマリスっ!! これこそが正義っ!!」
「きひひひひひひひっ!! 俺達はどこまで正しいっ!!」
「そして、楽しい……」
「きひ。きひひひひひひひ。さぁ、鬼ごっこは終わりだ。少年」
「さっきのお団子タワーは楽しかったかな? 君を楽しませる為、あそこに置いておいたんだ」
「人間の頭がお団子みたいで。まあぁるくて。きひひっ!! 楽しかっただろぉおお?」
「ああ、そうだ。みんなお団子にしてやろう。殺した人間も生きた人間もみんなお団子にして」
「そうして飾るんだ♪ きっとみんな喜んでくれる」
「喜んで泣いてくれるよ♪ きひひひひひひひひ」
「うあ……。あ……」
「ああ、君から凄まじいマリスを感じるよ。きひひひ。ああ、相互理解……」
「なんて美しい」
マリスが、天をいただき感謝を述べる。
それが何に対して行われたのか。たかしには分からなかった。
分からない、が。
怖い。
それだけでは分かった。
怖くてたまらなかった。マリスはまだ何某か呟きながら空に向かって叫んでいる。
その隙を突いて、逃げ出したかった。
だが、それが出来ないのは火を見るよりも明らかだ。
足が震える。唇が震える。瞳孔が見開き、まばたきをする事が出来ない。
まばたきをする、その一瞬の間に何かをされたら。
それは考えたら。目を真っ赤に充血させながら。
彼はただ目の前だけを見る。
マリスは。
「きひひひひひひひひひひっ!! ひ、ひぃ。ひひひ」
「ひひひひひひひひひっ!!」
まだ、何かを言っている。言っていて。そして。
「じゃあ、今から解体するから♪」
そして……。
「ひひひひひひひひひ、大丈夫♪ 殺さないから♪」
「痛い事しようね♪」
マリスが己の腕を鋭利な刃物に変化させる。
「苦しい事しようね♪」
マリスが手をまっすぐに伸ばす。
「泣こうね♪ 叫ぼうね♪」
変化した刃が。
「さぁ、一緒に」
「相互理解♪」
「しよう、ね♪」
刃が、まっすぐにたかし目掛けて飛んでくる。
彼は。
思わず叫んだ。
それは。
「たすけて……」
「助けて京介お兄ちゃぁああああああああんっ!!」
◇ ◇ ◇
「きひ?」
マリスは訝しんだ。
どういう訳か、分からなかった。
伸ばした刃が。
「誰か」に止められている。
誰か、とは。
そこには居た。
真っ黒な。
黒の鎧を身にまとった。
全身黒づくめの。
「何か」だった。
「なんだぁああ? お前」
その何かは獲物の少年の前に立ち塞がり、己が刃を受け止めている。
刃の硬度を上げ、奥に奥にと力を込める。
しかしその刃は目の前の存在に砕かれ、地面にボロボロと落ちる。
「きひ」
内部的には破壊など不可能な程の硬度の刃。それを一瞬で。
只者ではない。マリスは気づいた。
鎧の存在。彼の者の目が光る。
その黒き兜から発せられる妖光を覗き。
「き、ひ……?」
一瞬、ぞくりと得体のしれない感情が湧き、マリスが一歩退いた。
しかしその感覚を信じたくなく。マリスはその存在に問いかける。
「きひ……。きひひひひひ。なんだ、なんだお前っ!?」
「な、なにものだぁあああああっ!?」
声が上擦る。マリスは感じていた。
己の中に浮かび出した。喜びとは違う感情を。
しかしそれを封じ込めて。目の前の「それ」に問う。
それは。
言った。
「アンノウン」
「俺はアンノウン・ゼロだ」




