第76話 衝撃
「なんだ。あいつ……」
たかしくんが不信がっている。
河川敷の下。その下の林。その林の中から「何か」が這い出てきた。
見れば近くには不法投棄されたであろう壊れた家電が転がっている。
冷蔵庫。電子レンジ。あと、テレビ。
マナーの悪い人が捨てたのだろう。
であれば。
「彼」がそれを捨てた本人なのだろうか。
「きひひ。きひひ。きひひひひひひ」
「故郷だ。故郷だ。きひひひひひひひひひ」
「え。なんだアイツ……。お、お姉さん早くいこ……」
「お姉さん?」
「マリス……」
「マリスって?」
ふと、言葉を放つ。マリス。
マリスとは。
「まさか……。マリスは……。20年前に滅んだ筈で……」
博士も、俺と同じ疑問を感じたようだ。
「マリスって? なぁ春美」
すっかり呼び捨てとなり、たかしくんが博士に問う。
マリス、とは。
「アレは……。コスプレか何かよ……。本当、悪趣味な人が居る者だわ。ね……」
「コスプレ? 何言ってるんだ? 何のコスプレなんだ?」
コスプレ。下の林から出てきた人物。
形は人間に似る。だがその全身は白く。鼻は赤い。髪色も赤で……。
その見た目は。
ピエロ。に近かった。
そうしてピエロに似た男が、同じくピエロが着るような道化師の恰好をして。
何かしら喚いている。
「きひひ。きひひひひ。そうかぁここが俺達の故郷。かぁ」
「きひひひひひ。ひひ。きひひひひひひ。そうかぁ。俺の故郷かぁああ」
「ひひひ。ああ……。感じる。ここには「魔力」がない」
「そうか。ここが……。きひひひひひひひ」
魔力? 奴は、何を言っている?
「ひひひひ。ひひひひ……。人間。人間はどこだぁあああ?」
人間……? 君は人間じゃないのか?
「きひひ。きひひひひひ。ああ、人間……。人間を」
人間を?
「人間を殺したいなぁあああああああ。ああ。故郷に戻って来たなら」
「沢山人間を殺さないと。そうだ。そうだそうだ。満たすんだ」
「この世を悪意で満たすんだ。満たす。満たす」
「きひひひひひひひ。ひひひひ。ひひひひひひ」
「殺す、殺さなきゃぁあああああ。ああ、ここでは魔力の制限を受けない」
「あああああ。フルパワーだ。フルパワーで暴れられるぞおおおお。きひひひひひ」
「どんな風に殺さそうかな。なるべく苦しめ。きひひ。きひひひひひ」
「人間。人間を殺したいなぁあああああ。きひひひひひひひ」
「ああ人間だけじゃない。他の命も。何もかも吸収して……。きひひ。きひひひひ」
「ああ、この宇宙を悪意で満たすんだ。きひひひひひひ」
「ああ。ああ。心が躍るなぁああああああ」
「きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
「なんだ……。あいつ」
たかしくんが訝しむ。ああ、そうだろう。
今の時代に、あんな奇行に走る人物は居ない。
ピエロの恰好をして。1人で馬鹿みたいに叫んで。
他人を殺してやるなんて。
そんな奇行に走る人物は。
そんな人物。
もうどこにも居ない筈で……。
「マリス……。そんな訳ない。マリスはもう」
博士も俺も。「彼」から視線を離す事が出来ない。
万が一にも。「その」可能性が拭えないのなら。
見るしか。無いのだ。
「なんだあの男……」
ああ、たかしくん。たかしくんが居た。ああ、そうだ。
見ている暇なんかない。
甥っ子を守らないと。博士も。
俺は、大人なのだから。
俺は2人の手を静かに掴み、その場を後ずさる。
刺激してはいけない。
見てはいけない。
見つかってもいけない。
だから。
静かに。
後ろに遠ざかる。
博士には俺の意図を感じ、共にその場を去るべく静かに後ろへ引き下がる。
しかし。
「おいっ!! あんたっ!!」
たかしくんにその意図は伝わらず。
彼は目の前の人物に声をかけてしまった。
「たかし、くん……。駄目」
「何やってんだあんたそんな所でっ!? あんた、パーティーの余興の練習か何かかっ!?」
「マリス」という存在がどういったものか。
教育を受けていないであろうたかしくんはその実態を知らない。
だからこそ。
いや。そうだ……。
もしかしたら。
本当に「そう」かもしれない。
あれはただの悪趣味な「仮装」で。
俺達はまんまとそれに騙されているって事も。
そう。
そうだ。
そうだろう?
「人物」がこちらの方を向く。
向いて、笑った。
それはえもいわれぬ程に下卑た。邪悪で、おぞましい笑みであった。
「ひっ」
勝気なたかしくんも流石に恐怖を感じたのか。びくりと恐怖し、身をすくめる。
「人物」が河川敷の堤防を大きくジャンプして、俺達の前方に立ち塞がった。
4、5mはあろうかという距離を一瞬で。
ああ、そ、そんな事……。超兵ならばそれくらい出来るかもしれない。
だから。
だからそこまで心配するような事は……。
ない、筈で……。
「きひひひひひひひひひひひひひひ」
先ほどの下卑た笑いを継続し「人物」がこちらに歯を見せる。
その歯は明らかに人間の物と違い、狼などの獣の。牙がぎっしりと並んでいた。
そういう。整形を……。したのかな?
「な、なんだ……。なんだよ。あんた」
たかしくんが怯えている。俺はたかしくんの背後に寄せ。
目の前の人物と対峙した。
「ごきげんよう」
「きひひひひひひひひひひひひひひ」
こちらの問いに答えず。目の前の人物は笑うのを止めない。
目は真っ赤に充血し、唇からはよだれがダラダラと滴り落ちている。
まだ。
まだ。
そういう。
コンセプトの仮装なのかもしれない。
「きひひひひひひひひひひひ、人間だ。人間だ」
「ああ。人間だ。ああ。憎い憎い憎い憎い」
「憎い」
「愛しい」
「ひひひひひひひひひひ。憎い。愛しい。憎い愛しい人間が居る。居る」
「ああ良かった。殺せる。恨みを果たせる」
「ああ、俺は人間が大好きだ。それも故郷に居るような人間は」
「ひひひひひひ。ずっとあの世界に居て、ひひひひ。退屈だった」
「ああ、ここは良い。制限を感じない。きひひひひ」
「異世界ってやつぁ。居心地が悪かった」
異世界……? 何を言っている……。
「でも、やっぱり娑婆は良いなぁ。きひひひひひ」
「ああ、殺したい……。人間を殺したい」
「きひひ。きひひ。きひひひひひひひひ」
「あの、冗談にしても。それは笑えませんわ。その恰好」
「その恰好は……」
悪趣味。そうだろう? だから。
だから……。
違う。だろう?
そんな恰好、全然笑えないよ。
だから。
だから違うって言ってくれ。
自分は。
違う、と。
「きひひひひひひひ。お初にお目にかかる」
なん、だって……?」
「俺は「闇の勢力」が1人。今を持って現世に復帰し」
「この世に我らの理想を再び広める為再誕した」
「我が名はマリス」
「この世を悪意で満たす者なり」
「きひひひひひひひひひひひひひひ」
「ああ」
「これが感動ってやつか? きひひひひひひひひ」
「動くなっ!!」
博士が隠していた銃を持ちだして「人物」に向ける。
安全装置を外し、すぐにでも撃てるような状態にして……。
「冗談はそこまでにしときなさい。笑えない冗談は嫌いよ」
「手を上げて、床に伏せなさい」
「伏せなさいっ!!」
博士が激昂する。銃を持ち手先が震えている。
俺は博士から銃を取り上げると、代わりに銃を向ける。
狙うべきは頭だ。
「貴方の冗談は笑えません。いますぐ仮装を解かないと」
「撃ちます」
「え……。あ、あの……」
たかしくんが狼狽している。そうだ。先ほどまで一緒に話してた人が。
見知らぬ人物に銃を向けているのだから。
怖いだろう。
そう。怖い。
銃を向けられれば誰だって怖いんだ。
そうだろう?
「きひひひひひひひひひ。きひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
そう、だろう……?
「人物」は動じない。ただまっすぐこちらを向いて。
ジリジリと、近づいてくる。
ジリジリと。
ジリジリと。
こちらに。
にじり寄ってくる。
バァン。
「えっ!!」
驚くたかし君の横で、俺は銃を撃った。だって「人物」は止まらなかったから。
止まらず、こちらに近寄ってきたから。
だから撃った。責任は全て俺が取る。
そう、これは正しい判断だった。
ああ。
正しい判断だった。
だって。
「きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
脳天を着実に撃ちぬいた筈なのに、奴はそのまま歩いてくる。
「動いて……。撃ったのに、なんで……。え?」
「離れないで。傍に居て」
人物の脳天には俺が撃った筈の銃痕が。
しかしその痕はみるみる塞がり、代わりに地面の草木が生気を失い枯れていく。
ああ……。
「マリスだっ!!」
俺は2人を背後に突き飛ばし、そのまま両手を使って目の前のマリスに銃撃を放つ。
1発。2発。3発。次々と銃弾を放ち。正面でその足止めをする。
全ての銃弾を足先に。撃たれたマリスは態勢を崩しながら行動を続ける。
ただこちらに。
まっすぐこちらを見て。
マリスはこちらに向かってくる。
「きひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
「逃げろっ!!」
俺は叫ぶ。後ろの彼らに。
「逃げろっ!! 早くっ!!」
「この場を去るんだっ!!」
「で、でもお姉さんが……」
「はやくっ!!」
「逃げなさいっ!!」
言う最中、銃を撃つのは止めない。何発も何発も。
撃てる限り撃って足止めする。
「博士っ!! たかしくんをっ!!」
「あ、あんたは……」
「早くっ!!」
俺の心配などしている暇はないっ!!
いいから。いいから……。
いいから逃げてくれっ!!
「早くにげろぉおおおおおおおおおおおおおおお――っ!!」
出せる限りの最大限の声量で、2人に逃走を促す。
ああ、こんな時まで京子の声でなくても良いのに。
ああ。ああ。
馬鹿……。馬鹿……。
クソがぁあああああああああああああああああああ――っ!!
「逃げなさいっ!! 早くっ!! 早くっ!!」
「ああ、なんで……。くそっ!! 逃げるわよたかしっ!!」
「で、でもお姉さんがっ!!」
「いいから早く逃げなさいっ!! 逃げるのよっ!!」
「早くっ!! 早くっ!!」
「お、お姉さんっ!!」
「早く逃げろおぉおおおおおおおおおお――――っ!!」
「ほら、来なさいっ!!」
「お姉さんっ!!」
「きひひひひひひひひひひひひひひひひ」
「ひっ!!」
近づいてきた「奴」の腕が針状に変化し、俺の心臓めがけて突き刺さった。
形態変化まで。
ああ。これは。
マリス、だ……。
「お姉さんっ!!」
「良いから逃げるわよっ!!」
「逃げる、逃げるのっ!!」
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおお――――っ!!」
「きひひひひひひひひひひ。ひひ、ひひひひ」
「ああ、やっぱり殺すならガキが良い。小さい、小さいガキが……」
「ひひひひひ。追いかけっこ。追いかけっこだぞぉガキ」
「さぁ、出てこい」
「怪獣」
声と共に「奴」の背後から大きな稲光が落ち、周囲に煙が雲散する。
その散る煙と共に。
奴が言う。怪獣が姿を現した。
「あ、あああ……」
見上げるほどの大きさ。それはかつて京介が訓練時に対峙した「ゴジュラ型」に近い様相をしていた。
体長は50m程度。その巨躯の下に奴がいた。
「きひひひひひひひひ。さぁ、でっかい怪獣だぞぉおお」
「逃げろ。逃げろ」
「無様に逃げて。俺を楽しませろおぉおおおおおお」
「きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ」
「追いかけっこ。追いかけっこだぞぉおおおお」
「きひひひひひひひひひ」
「あ、あ……」
目の前の脅威にすくみ、足元を震わせるたかし。
そのたかしの腕を掴み、春美が叫んだ。
「逃げるっ!!」
「逃げるのよっ!! 早くっ!!」
彼女の言葉を聞き、観念したようにたかしは春美に手を引かれその場を後にする。
その様子を奴はじっと眺めていた。
「きひひひひひひひひひひ。鬼ごっこ。鬼ごっこだな。きひひひひひ」
「ああ、数えないと。きひひひひひ」
「い――――ち。に――――ち。さ――――――ん」
「きひひ。きひひ。きひひひひひひひひひひひひひ」
「し――――――――――」
「し」
「し」
「死っ!!」
「きひひひひひひひっ!! さぁ殺戮ショウの始まりだあぁああああ」
「きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ――っ!!」
10数えるよりも早く、奴は河川敷の道路の上を歩いていく。
その背後に怪獣が付いていき、その巨躯によって踏みつけられ河川敷の堤防がガラガラと崩れていく。
その瓦礫の中に埋まり、京介の体は隠れてしまった。
怪獣は進む。
かつてのように。
その全てを破壊すべく。




