笑顔の取引
ギルドの会合が終わる頃を見計らい、カイルは人通りの減った裏通りを歩いていた。冬の風が石畳をなぞるように吹き抜け、外套の裾がひるがえる。
遡り前も含めれば、何度も話したことがあったが、カイルはいまだにリアンのことが苦手だった。あの、どこか人を食ったような目で見据えられると、何もかも見透かされているような気がしてくる。
重厚な扉をくぐり、案内されたのは以前と同じ応接間だった。
落ち着いたハーブの香りと、座り心地のいい革張りの椅子が、妙に場違いに思える。
テーブルには茶が用意されていたが、手は伸ばさず、ただ黙って待つ。
やがて、扉の向こうからノックの音。
「……どうぞ」
カイルが返事をすると、静かに扉が開いた。
現れたのは、肩まで伸びた柔らかな髪を一束にまとめた痩身の青年。丸眼鏡の奥の目は穏やかに笑っていたが、その視線はどこか底知れなかった。
「ようこそお越しくださいました。今日は一人なんですね」
リアンだった。ゆったりとした足取りで入室し、対面の椅子に腰を下ろす。
「さて、例の仕事は順調ですか?」
「……その件で、ちょっと相談があってな」
カイルは早速本題を切り出した。
「風哭草って素材、知ってるか?」
その名を聞くと、リアンの手がティーカップの途中で止まる。
「……ええ。聞き覚えはあります。風が打ち付ける断崖に咲き、岩を蝕む草──でしたか」
リアンは目を細めながら、静かに問い返した。
「ああ。それが賢者の石の錬成に必要なんだ」
カイルはなるべく平静を装って言った。賢者の石の素材ではないが、そこまで言う必要はない、と判断した。
リアンは、何かを推し量ろうとするようにカイルをじっと見つめて、ゆっくり口を開いた。
「はあ。まったく……見くびらないでほしいものですね」
声こそ穏やかなままだが、その目はまるで笑っていなかった。
「いや失礼。しかし、残念です。まさか、私がただあなた方の話を鵜呑みにし、素材を差し出すだけの便利屋扱いされているとは」
「そんなつもりじゃ──」
「では、なぜ嘘を? 風哭草は賢者の石の素材ではない。そうですよね?」
リアンは間髪入れず、問い詰めるように言った。
「……違う、嘘じゃない」
カイルは食い下がった。
「ネマは……命が危ない。風哭草は治療に必要なんだよ。賢者の石だって、ネマがいなきゃ完成しない。だから……!」
リアンはカイルの言葉を冷ややかに切り捨てる。
「詭弁ですね。それはあなた方が賢者の石を錬金するのに必要なものであって、賢者の石そのものに必要なわけではない」
正論だった。だからこそ、言い返せない。
「妹君の病状については、既に耳にしています。そのために風哭草を探していることも」
声は淡々としていたが、その中には小さな失望の色がにじんでいた。
「なのに、嘘をついた。私は、その一点に失望したのです」
カイルの喉がひどく乾いた。言い返す言葉が浮かばない。
(……やっぱり、来るんじゃなかった)
唇を噛み、椅子から立ち上がる。
「……もういい。こっちでなんとかしろってことだろ」
カイルは椅子を押しのけ、立ち上がる。
そのとき、リアンが鋭く言った。
「──お待ちなさい」
カイルは振り返る。
リアンは相変わらず椅子にもたれたまま、涼しい顔をしていた。
「誰が『用意しない』と、言いましたか?」
「……は?」
カイルが戸惑うと、リアンは微笑をたたえたまま言う。
「私は、嘘が嫌いなんです。……たとえ悪気はなくとも、嘘は嘘です」
一拍置いて、彼は表情を引き締めた。
「しかし──妹君は、優秀な錬金術師です」
リアンは椅子から少し身を起こし、言葉を選ぶように続けた。
「雲払いの秘薬、カーディナイトの錬成。いずれも、彼女がいたからこそたどり着いた成果です」
リアンの目がまっすぐカイルを見据える。
「そして、優秀な錬金術師を失うことは、国家にとっての損失です。……私の雇い主は、それを望みません」
そして、ためらいなく言い切った。
「ですから、ご用意しましょう。風哭草を」
カイルは最初、状況に心が追い付かなかったが、やっとの思いで言葉を紡ぎだした。
「……ありがとう」
「礼には及びません。私は依頼主のため、最善の選択をしたまでですから」
そして、付け足すように笑って言った。
「──まあ、彼女が回復された暁には、馬車馬のように働いていただきますがね」
礼儀正しく、紳士的で、底の見えない笑顔。
カイルはその笑顔を見ながら、彼に目をつけられたネマを、ほんの少しだけ不憫に思った。
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その夜、カイルが戻ると、工房には柔らかな灯がともっていた。
調合部屋ではネマがフラスコの火を見つめていた。フラスコの中身は二層に分かれ、彼女は慎重に温度を調整している。
「……何してるんだ?」
「活力ポーション」
カイルの眉が跳ね上がる。
「また……!?」
「大丈夫。飲むわけじゃないから」
ネマはふっと笑う。
「沈殿が溶けるか試すのに、実験が必要でしょ。いきなり体で試すわけにはいかないし」
ネマの言葉に、カイルは頷いた。思い出していたのは、いつかのエリクサーの失敗だ。あのときは、カイルもネマも成功に舞い上がって、慎重さを欠いていた。
少し経つと、ネマはフラスコの中に金紅樹の樹液を入れた。活力ポーションの主原料となる焦げ茶色の樹液は、ゆっくりと沈み、溶液に溶け込んでいく。
やがて、上の層は見慣れた琥珀色に、下の層は煤けた暗褐色に変わった。
ネマは上の層だけを丁寧にすくい取り出して、別の瓶に注ぎ込んだ。
「これが、活力ポーションの原液。こうやって、魔力を込めると……」
たちまち琥珀色の溶液に、金色の沈殿が現れた。
カイルはその濁りを、憎々しげな目で睨みつける。
「……今度こそ、終わらせよう」
ネマとカイルは目を合わせ、深く頷き合った。




