不名誉な噂
「──はぁ?」
カウンター越しにサラが声を裏返した。朝の雑貨屋に、やけに間の抜けた響きが広がる。通りを歩いていた客が数人、好奇の視線を向けてきた。
「たのむ、静かに……」
カイルが声を潜めると、栗色の髪の少女は少しだけトーンを落とした。
「……今、なんて言ったの?」
カイルは手にしていたメモを見ながら、ため息まじりに答える。
「……だから、『服だけ溶かす薬』」
サラは二回ほど瞬きしてから、じわじわと目を細めた。
「あのさ……『服だけ溶かす薬』って、つまり本当に服だけ溶かす薬ってこと?」
「そうだよ……」
「何に使うの?」
「治療に」
「……へえ~~~」
サラの目が細くなる。
「まさか、ネマちゃんに使うんじゃ……」
「違う! そういうんじゃない!」
カイルは慌てて手を振った。そして、真剣な顔で言い切る。
「いや……本当に治療に使うんだよ! その薬、服も石も溶かすのに、人には無害なんだ。だから金の輪も……」
風酸と言っても通じず、ネマが念のため書き残した俗称を口にした結果がこれだった。カイルは手のメモを恨めしげに見下ろす。
サラは肩をすくめた。
「どのみち、そんな冗談みたいな薬、置いてないよ。見たこともないし」
「じゃあ素材は? 風哭草」
「そっちも知らないね。少なくとも普通の店じゃ扱わない」
「じゃあ、どこなら?」
サラは顎に指をあて、わざとらしく考える素振りをした。
「うーん、変態向け専門店?」
「一旦そこから離れようか」
カイルが疲れた声で返すと、サラはくすっと笑った。
「まじめな話、あの人なら何か知ってるかもね」
「あの人?」
「リアンさん。ちょうど明日、ギルドの会合があるから、来るはずだよ」
「……ああ」
カイルは眉間にしわを寄せる。もとはと言えば、今こうして必死になっているのも、リアンの依頼のせいだ。
「……ダメもとで、聞いてみるか」
以前、エリクサーの錬成には賛成してくれたが、それはエリクサー自体に価値があったからだ。今回も同じように協力してくれるかは分からなかった。
⸻
その後、街の雑貨屋や薬草店を次々回った。どの店の店主も「聞いたことがない」と首を横に振るばかりだった。
最後に訪れたのは、以前ネマと立ち寄った老舗の薬草店だった。軒先に花が並び、奥の棚には乾いた草束が整然と吊るされている。
年配の店主は、カイルの話を聞くなり目を細めた。
「……風哭草か。厄介なもんを探してるね」
「知ってるのか?」
「ああ、名前はな。だが実物はそうそう見られん。高地の断崖、年中吹きつける風の中にしか生えん。足場は崩れやすく、風は人を持ち上げるほど強い。採りに行く者は少ないし……帰ってくる者は、もっと少ない」
「……それでも必要なんだ」
店主はしばし考え、やがて首を振った。
「助けてやりたいが、詳しい場所まではわからん。西の連峰は断崖も多いと聞くがな」
「西の連峰か……」
街からずっと西に行くと、国境に険しい山が連なる連峰がある。しかし、僻地に行けば行くほど、強力な魔物が出る。かなり時間もかかるだろう。とても現実的とは思えなかった。
カイルは深く息を吐き、店を後にした。
⸻
家に戻ると、すでに日が暮れていた。ドアを開けると、ネマは机の上で本を読んでいる。
「まだ治ったわけじゃないんだから、無理するなよ」
カイルが声をかけると、ネマは振り向きざまに聞いた。
「……どうだった」
「ダメだ。ほとんどの人は聞いたこともない。あの薬草店の店主は知ってたけど、西の連峰だって」
「……そう」
「リアンに頼むしかないかもな」
ネマは少し首をかしげた。
「賢者の石の素材じゃなくても、くれるのかな」
「……どうだろうな。まあ、交渉次第だ」
カイルはこめかみを押しながら、あの食えない男の顔を思い浮かべた。
後日、「あの錬金工房の兄は変態らしい」という噂が流れたのは、また別の話。
【ちょっと細かい設定】
風酸の力は、雨や風が岩石や大地を侵食する風化を源としています。一粒の雨や一筋の風が及ぼす変化はごく僅かなものですが、長い年月を経れば、岩を穿ち地を削ります。時の試練の前では、どんなに頑丈な物質も平等に無力です。
しかし、生き物は違います。体温や血圧など、体内環境を一定に保つ機能──恒常性があり、わずかな変化はすぐに打ち消されます。だから、風酸が起こす小さな変化は積み重ならず、生命にはほとんど害を与えません。
だからこそ、「風化」の力はあらゆる無生物にとっては恐ろしい酸になりますが、人体をはじめとする生命にとっては無害になるというわけです。
創作によく出てくる「服だけ溶かす薬」の原理がどんなものか考えていたら、いつの間にか、大自然の力を宿した壮大な薬になってしまいました。でも、こういうのを考えるのって楽しいですよね。




