風哭草
数日が過ぎた。
ネマは朝食もそこそこに、自室の机に広げた本の山へ戻っていた。
広げられたのは、両親が遺した蔵書の山。図鑑、鉱物誌、古い錬金術の記録──それらを一冊ずつ、真剣なまなざしで読み進めていく。
エリオの薬のおかげで、体調は目に見えて回復していた。
ひどい時期には、星の光すら刺すように痛み、立ち上がることもできなかった。それが今では、自力でページをめくり、調合の構想を練る余裕もある。
だが、それはあくまで、一時的な平穏にすぎなかった。
いまだに瞳を縁取る金の輪が、その事実を静かに告げている。
金環病──そう名付けたこの病には、二つの鍵があった。
「空気不足」と「魔力反応」。
活力ポーションに含まれる主成分が、空気の足りない体内で分解されずに残る。そのまま魔力に晒されることで、金色の沈殿を形成し、臓器に蓄積していく。
それが、瞳に現れる金の輪の正体。
ならば、必要なのは──
「まずは、沈殿を溶かすもの……」
ネマは小さく呟き、本のページをめくった。
探しているのは、有害な沈殿を体内で「安全に」溶かせる素材だ。皮膚を焼く毒液、鉱石を崩す強酸……効果は強烈でも、どれも危険が大きすぎた。
(もっと……金の沈殿だけを選んで溶かしてくれるような……)
「もう一つの鍵は、空気……風属性かな」
別のノートには、分解の補助になりそうな「風」の性質を持つ素材をリストアップしていた。
風百合──高山の風を宿す花。
晴嵐の実──晴れた空気を蓄える種子。
微風の羽──風精の抜け殻とされる希少素材。
いずれも風の魔力を持つが、沈殿を分解する仕組みが思い浮かばない。
仮説は単純だった。
「空気が足りなかったせいで成分が分解されなかったのなら、逆に“風の気”を与えれば、分解を促せるのではないか?」
けれど、それを支える具体的な素材が、なかなか見つからなかった。
──そのときだった。
ぺらぺらとめくっていた本の中に、ふと目を惹く図があった。
白く細い鐘状の花が、風に吹かれてかすかに揺れている。
ネマは思わずそのページを開いた。
風哭草── 風に哭く草の名を冠する多年草。高地の断崖や風脈の吹き付ける岩場に自生し、白色の鐘状花を下向きに咲かせる。風化の魔力で土や石を侵食し、硬い岩盤に根を張る。
ページの下には、素材応用に関する記述が添えられていた。
風酸──風哭草の根部から得られる抽出液。風化の魔力を宿し、あらゆる岩石や金属をゆっくりと溶かす。一方で、生物に対しては恒常性によって作用せず、無害とされる。俗に、「服だけ溶かす薬」。
ネマの手が止まった。
岩を溶かすのに、生きた体には害がない?
──そんな都合のいい素材、あっていいの?
息を飲みながら、もう一度読み返す。
風化の魔力が、固いものだけを崩す。
生きた体は、恒常性によって守られている。
まさにそれは、「必要なものだけを、選んで溶かす」ということだ。
ネマのまぶたの裏に、ある光景が浮かんだ。
──金の輪が、風にさらわれた砂のように、さらさらと崩れていく。
その想像だけで、瞳の奥が熱くなった。
「……これだ」
ネマはノートを引き寄せ、筆を取る。
風哭草。
その名を、リストの一番上に書き込んだ。
ページの最後に添えられた、ふざけた通称も、ちゃんとメモしておく。
──服だけ溶かす薬。
ネマは思わず、くすりと笑った。
それは、ずいぶん久しぶりの笑顔だった。




