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応急処置

エリオの医院に着いたのは、ちょうど診察時間が終わった頃だった。


ドアを開けた瞬間、薬品とインクの混ざったような匂いが鼻をつく。カイルは荒い息を吐きながら飛び込んだ。


書き物をしていたエリオはペンを止め、ちらりとカイルを見た。そして、呆れたように言う。


「……君は、ここを自分の家か何かだと思っているようだね」


「これを見てくれ!」


カイルは持ってきた瓶を差し出した。瓶の底には、夕日を閉じ込めたような金色の沈殿が、静かに揺れている。


「この金色。ネマの瞳の輪と、全く同じ色なんだ」


エリオは肩をすくめながら瓶を受け取り、光にかざして目を細めた。


「……ふむ。これは……」


沈黙の間も待ちきれず、カイルは続けざまに言葉を吐き出した。


「保管庫の外で放置してたら、沈殿ができてたんだ。多分、調合部屋から魔力が漏れてた」


エリオは、喜ぶでも疑うでもない中立的なトーンで聞いた。


「君の妹は、沈殿が起きた状態で飲んでいたのかね?」


「……いや、飲んだときは普通だった」


「なるほどな」


エリオは瓶の底をじっと見つめ、しばらく黙り込んだ。


「この沈殿自体は、特段珍しいものではない。活力ポーションは魔力感受性が高いからな。魔力場に長く置けば、一部成分が凝縮して沈殿する。ただ、それが体内で起きるとは……普通は考えない」


「でも、ネマの瞳に出てきたのは、これと同じ金色なんだ。何度も見てる。間違いない」


エリオは頭を掻きながら、低くうなる。


「……完全に否定はできないな。ポーションの主成分は通常、体に入れば速やかに分解される。しかし、もしその分解が阻害されていたとしたら……残留した成分が魔力と反応して、体内で沈殿を作る可能性もゼロじゃない」


「その『阻害される理由』って……?」


「それが分かるなら、悩んではいないさ」


エリオはため息をつき、一拍開けて続けた。


「しかし、沈殿が原因だとすると、症状を緩和する方法はある」


「何だって?」


カイルが身を乗り出すのを片手で制し、エリオは戸棚に手を伸ばす。


「人間の体には、血液を濾過して毒素を排出する機能がある。肝臓や腎臓だ。そこに異物が詰まれば、当然、解毒もままならない。今のネマ君の状態は、そうした機能の停滞が原因かもしれない」


小さな瓶を取り出す。中には白い錠剤が数粒入っていた。


「これは、その解毒機能を一時的に補助する薬だ。詰まりを取り除くわけではないが、血流を改善し、臓器の負担を軽減する効果がある」


カイルに瓶を手渡しながら、指を一本立てて言う。


「一日一回、寝る前に飲ませること。それと、夕飯は消化の良いものに。治癒ポーションの類は厳禁だ。今は臓器の負担を減らすことが最優先だからな」


「……これで治るのか?」


カイルの声には、わずかな希望がにじんでいた。


「いや、これは応急処置にすぎない。治すには、沈殿そのものを分解する必要がある。……こちらでも考えてみるが、ヒントが足りない」



カイルが家に戻ると、サラがネマの傍で看病していた。


扉を開けた瞬間、サラがこちらを振り返って、にっこりと笑う。


「で? ネマちゃんが大変なときに、おにいちゃんはどこ行ってたのかな?」


冗談めいた口ぶりだったが、目の奥に光るものは鋭い。


「……ごめん、エリオに話を聞いてきたんだ。ネマは?」


「……起き、てる」


ベッドの方から、かすかな声が答えた。


カイルはすぐに近づき、しゃがんでネマの顔を覗き込む。


「少し楽になる薬をもらってきた。……飲めるか?」


ネマは小さく頷いた。


カイルは小瓶から錠剤を一粒取り出し、水とともに飲ませる。ネマは薬を飲み込むと、そっと目元に手を当て、そのまま静かに目を閉じた。


寝息は浅いが、表情はわずかに和らいで見える。


カイルとサラは音を立てぬよう部屋を出る。


廊下に出てから、サラが小声で尋ねた。


「それで? なにか分かった?」


カイルは戸口にもたれて息をつく。


「……ネマの病気の原因は、活力ポーションの沈殿かもしれない」


サラの声が少しだけ大きくなる。


「沈殿? まさか、あのまま飲んじゃったの?」


「いや、そういうわけじゃない。飲んだ後、体の中で沈殿ができたかもしれないんだ」


サラは首を傾げた。


「でも、それなら他の人にも同じことが起きてるんじゃないの? 魔法使いとか」


「それが分からないんだ。ネマと両親だけが発症してる。……他の人と、何かが違う気がする」


カイルの胸の奥に、言葉にならない違和感が渦巻いていた。何かが噛み合っていない。でも、それが何かはまだつかめない。


「……うーん、分からん」


沈黙のあと、サラが声を上げる。


「あっ、もう帰らなきゃ!  お店の帳簿つけないと」


「……送ろうか?」


「いいって。ちゃんとそばにいてあげて」


玄関に向かいながら、サラはふと思い出したように振り返る。


「そうだ。切った密桃、残しておいてあげたからね。台所にあるよ」


「……何もかも、ありがとな」


「ほんとだよ? お礼はネマちゃんのポーション、独占販売権でいいよ」


「……持ち帰って検討させてくれ」


二人は小さく笑いあった。


サラが帰った後、カイルは台所へ向かう。


テーブルの上には、皿の中央に一片だけ、密桃がちんまりと乗っていた。


「……残してるって、一切れじゃないか」


カイルは小さく笑い、桃をつまんで口に運んだ。果肉を噛むと、蜜のような甘さが口いっぱいに広がった。


皿を片付けながらも、意識はどこかで沈殿のことを追いかけていた。


密桃の甘さが消えたあとも、口の中にはわずかな渋みが残っていた。

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