金の沈殿
素材の検証を終え、部屋を出た直後、ネマはゆっくりと腰を下ろした。
マスクとゴーグルを外してやったが、呼吸は浅く、肩の上下もかすかだった。
「……ネマ?」
カイルが声をかけると、彼女はわずかに頷いた。だが、返事の声はなく、体はそのまま前に傾き始めた。
慌てて支えようとしたカイルの手に、ネマはか細い声で言った。
「……ちょっとだけ、休みたい」
「……背負うよ。ベッドで横になったほうがいい」
ネマは否定もせず、抵抗もせず、静かに頷いた。
カイルはネマを背負い上げた。その軽さに、胸が締めつけられる。
「……ごめんね」
カイルの背中で、ネマはかすれる声でそう呟いた。
「……謝るのは、まだ早いだろうが」
そう言いながらも、ネマを背負うカイルの顔は涙に濡れていた。
「着いたよ」
寝室の布団にそっと体を下ろすと、ネマは腕を目元にかざした。
部屋は静まり返っていた。
その沈黙は、ただ静かなだけではない。どこか、空っぽだった。
あまりにも深い無力感が、言葉という言葉を全部、飲み込んでいく。
(本当に、もう、打てる手が──)
カイルは俯いた。拳は固く握られ、白くなっている。
いくら握りしめても、答えを掴めるわけではないのに。
──その、瞬間だった。
「おっじゃましまーす!」
勢いよく扉が開く音と共に、明るい声が家の中に響いた。
「……サラ?」
驚いて顔を上げると、玄関の方から声が返ってきた。
「お、そっちの部屋ー? 入っても大丈夫?」
「……いいけど」
答えるが早いか、栗色の髪を揺らしながら、両手に包みを抱えた少女がずかずかと入ってきていた。
「なんか暗い顔してるねー、カイル。さては寝不足でご飯も食べてないでしょ?」
「……はは、まぁ、ね」
乾いた笑いで返すと、サラは続けた。
「エリオさんから聞いたよー。なんか今やばいんだってね」
「知ってて、そのテンションなんだ」
カイルが半笑いで答えると、サラは気にしない様子で肩をすくめた。
「どんなに大変でも、落ち込んだってしょうがないよ。落ち込んでご飯食べなければ、ネマちゃんの病気が治るの?」
サラはカイルをまっすぐ見ていった。
「それに、まだあきらめたわけじゃないんでしょ?」
「……」
一瞬、きまずい沈黙が流れた。たった今、最後の希望が潰えたばかりだ。
その沈黙で何かを察したのか、サラの表情が一瞬だけ揺れた。しかし、すぐに笑顔に切り替える。
「そうだ! お見舞い持ってきたんだよ。ヴェルナ地方の蜜桃。知ってる? ちょっとお高いけど、甘くて果汁たっぷりで、おいしいんだよ」
サラはベッドの脇まで近づくと、優しい声で聞いた。
「ネマちゃん、今食べられそう?」
ネマはぼそりと言った。
「……食べ、る」
「よっしゃ! 今剥いてくるね。台所借りるよ~」
そう言いながら、サラは勢いよく台所に向かった。
カイルは思わず苦笑いした。サラのマイペースには振り回されっぱなしだ。しかし、今はその能天気がありがたくもあった。
少しすると、ふいに台所から声が上がった。
「あ~! ダメだよ、これ。保管庫に入れないと~」
どうやら、サラが何かを見つけたらしい。
「え、何が?」
カイルが寝室から顔を出すと、サラがカイルの方を責めるような目で見ていた。
「……これ、沈殿できちゃってるよ」
手には、琥珀色のポーションが入った瓶。数日前、カイルが飲みかけて、飲みきれなかった活力ポーションだ。どうやら片付け忘れてしまったらしい。
……沈殿?
遅れて、その言葉が頭に入ってきた。カイルが近づいて、瓶の中に目を凝らすと、確かに金色の沈殿ができている。
どこかで見たことのあるその色に、どくん──と心臓が跳ねた。見つけた。何か、とても大事なものを。
「これ、どういうことだ……?」
「ええ、知らないの?」
サラは瓶を振らず、底を見せたまま言った。
「活力ポーションって、強い魔力にさらされると沈殿できちゃうの。渋くてもう飲めないよ。……あーあ、もったいない」
カイルは動けなかった。
視線は沈殿に釘付けになったまま、脳内で何かが結びついていく。
魔力で沈殿が生じる。
その色は、あの金の輪と──まったく同じだった。
(……まさか)
思えばネマは、いつも眠気覚ましにこれを飲んでいた。忙しくしていた両親も、活力ポーションに頼って山場を乗り越えることが多かった。
飲むたびに、この沈殿が体内に溜まっていたとしたら──
「……こんな身近に、あったなんて」
あれだけ素材を疑い、文献を読み、リストを作って調べたのに。探し求めていたものは、もっとずっとありきたりなところにあった。
「ごめん、サラ。ネマを頼む!」
「えっ? ちょ、待っ」
サラの手から活力ポーションを受け取り、カイルは駆け出した。向かうのはもちろん、エリオの医院だ。
握りしめた瓶の底で、金色の沈殿が、夕日を浴びてきらめいていた。




