夜に還る
「っ──、あ……!」
声にならない叫びをあげて、カイルは飛び起きた。
熱い。苦しい。重い。
あの日々の記憶が、洪水のように頭の中を満たしていく。
賢者の石を錬金する前の、ネマの穏やかな目。
子守唄を歌ってあげると、眠るように息を引き取った。
諦めきれなかったカイルに、与えられたやり直しのチャンス。
エリクサーを錬金することに決め、ついに成功させた。
そして──
最後の記憶を思い出し、腹の底から熱いものが迫り上がってくる。刺すような痛みが胸を貫き、うまく呼吸ができない。
今までの苦労が、全て報われるはずだった。
しかし、奇跡の薬と信じていたエリクサーは──毒だった。
後悔と自責の念が渦巻き、カイルを絶望の底へ引き摺り込んでいく。
「……どうしたの」
隣に佇むネマが、心配してカイルの顔を覗き込んだ。
ネマの後ろには、灯籠が空に広がっていくのが見える。
あの夜と同じ光景。あの日、失ったはずの時間。
また、戻ってきた──。
そう思うが早いか、カイルの視界はぐるりと反転した。
遠くの方でネマの呼びかける声が聞こえる。
薄れゆく意識の中、カイルはそのことに深く安堵した。
⸻
どこかで、小さな音がしていた。水を絞るような音、布を畳むような音。
目を開けると、天井があった。木の梁、白い壁。見慣れない部屋。
そして、消毒液のような匂い──。
「……起きた」
微かに聞こえた声に、首を向ける。そこにいたのは、間違いなく。
「ネマ……?」
彼女はそっとタオルを額に当てたまま、静かに頷いた。
「うん。……よかった、目、覚めた」
カイルは、思わず呟いた。
「……生きて……るのか……」
「生きてるって……おおげさ」
ネマが笑うと、カイルは震える手で、ネマの指先に触れた。何かを確かめるように、その手を強く握りしめる。
そこには、確かな温もりがあった。
ネマは目を瞬かせたが、嫌がらずに受け入れてくれた。
──そのとき、勢いよく扉が開いた。
「カイル! 無事なの!?」
駆け込んできたのは、栗色の髪に橙のスカーフ──サラだった。
ネマの後ろから顔を覗かせた彼女は、カイルの目を見て、ようやく肩の力を抜いた。
「も〜、ほんとに心配したんだからね! 倒れてる人がいるって聞いて、まさかと思ったら!」
サラはいつも通りの明るさで言った。その後、ふと視線を落とし、二人の繋いだ手を見て、付け加えた。
「ずいぶん仲良しだね?」
カイルは慌てて手を引っ込めた。
「……心配させてごめん。それで、ここはどこ?」
「私の医院だよ」
低く落ち着いた声が、部屋の奥から響いた。
現れたのは、白衣に身を包んだ長身で神経質そうな男──エリオだった。
無表情でこちらを見下ろす彼の姿に、カイルの身体が微かにこわばる。あの日、薬草店で会ったのがずいぶん昔に感じる。しかし、言われた言葉は、忘れようもなかった。
「お兄ちゃんが倒れたとき、助けてくれたんだよ」
ネマが少し複雑そうな顔で伝えた。
「そうなのか? ……いや、ありがとう」
カイルは驚いたが、とにもかくにも、礼を言った。
「私が君たちを助けるのが意外かね?」
カイルの考えを見透かすように、エリオは言った。
カイルは少しバツが悪そうに答える。
「まぁ、……あんたとは、色々あったし」
エリオは鼻を鳴らした。
「私は自分の仕事を忠実にこなしたまでだ。君たちの言うことなど、気にしないさ」
「そのわりには、ムキになってたように見えたけどな」
「お兄ちゃん」
ネマは静かに首を振った。カイルは口を噤んだ。……わだかまりがないわけではないが、助けてもらっている立場だ。
エリオは相変わらずの不機嫌そうな顔で言った。
「まあいいさ。病人を追い出すほど鬼ではない。今日はもう遅い。泊まっていけ」
そう言い残し、彼は足音も立てずに部屋を後にした。
扉が閉まると、しばらく微妙な沈黙が流れる。その空気を破ったのは、サラだった。
「あの人、いっつもあんな感じだけど、悪い人じゃないんだよね」
苦笑しながら、彼女は窓のほうへ目をやった。
「今日だって、休ませてくれたでしょ?」
「まあ、な……」
「とにかく! 今日は安静にして寝ること」
そう言ってサラは立ち上がった。
「私は帰るね。ネマちゃん、あんまり夜更かししちゃダメだよ」
「……うん。色々、ありがとう」
ネマが礼を言うと、サラは手をひらひら振りながら出ていった。
部屋には再び静けさが戻っていた。
窓の外では、星明かりがちらちらと空に浮かんでいる。
「……今日は、ごめんな。こんなことになって」
カイルがぼそっと言うと、ネマはタオルをたたみながら小さく頷いた。
「ううん。でも……びっくりした」
「そんなにひどかった?」
「うん。急に倒れるし、汗すごいし、うなされてるし……」
カイルは目を伏せた。あの記憶の濁流を、夢の中でも反芻していたのかもしれない。
「でも、エリオさん、すごく冷静だった。薬の処方も早かったし、脈も一瞬で見て……」
ネマの声には、わずかに驚きと感心が混じっていた。
「腕は確かってことか」
カイルが答えると、ネマは考え込むように言った。
「それもあるけど……もしかしたら、誤解してたのかも」
「誤解?」
カイルが問い返すと、ネマは遠慮がちに答えた。
「家の資料と器具を持っていったこと。……命令なら、断れないだろうし」
「まあ、それは……」
カイルはわずかに目を伏せて、苦笑した。
毛布の上から、微かな重みが肩を包む。
ネマがそっと掛けてくれたらしい。
「……今日は、ありがとな」
カイルがぼそりと呟くと、ネマは頷きながら椅子に腰を下ろした。
「ううん。びっくりしたけど……大丈夫そうでよかった」
「……迷惑、かけたな」
「ほんとにね」
ネマが苦笑すると、カイルも釣られて口元を緩めた。夜の静けさが、ふたりの間に流れ込んでくる。
会話が途切れると、カイルは睡魔に襲われ、うとうとと目を閉じた。
気づけば、そのまま夜の奥へと沈んでいた。




