6話 暗躍※ウィリアム視点
「参ったな……」
「主様、頬が緩んでいましてよ」
ナターシャに指摘されても、口元はゆるゆると笑みの形を作る。
彼女が激しい感情をあらわにし、私を睨みつけた。
情報を扱う者として綺麗事だけで生きていけないとわかっている彼女が、策を弄されたことに本気で怒っていた。
想像以上に彼女に信頼されていたのだと思うと、後悔よりどうしても歓喜の感情が胸を支配する。
「追いかけなくともよろしいのですか?」
「今は逆効果だろうね」
ミシェリーが出ていった扉を見つめる。ピタリと閉じられた扉は、彼女の心のようで。
そう考えると胸は痛むのに、それでも彼女を手放すことなど考えられなかった。
ハルパ家の娘として接触したのは、二年近く前のこと。
もともとブラックフェザー家は取引相手として、ミシェリーとやりとりをしていた。たまに食事の席でハルパ商会の跡取りは有能だと話題になった。
それを実感したのは、直接取引をしたときのことだ。
「先日のグラウム伯爵家での夜会、そのときに集めた情報も売ってください」
「……その夜会には行ってないけど?」
嘘だ。偽名を使い、変装をして参加していた。後ろ暗い情報を集める場合、本来の姿は邪魔になる。髪を染め、化粧で元の顔を誤魔化す。姿勢を少し意識して変えると途端に誰からも気付かれなくなる。
「アディ男爵令息と名乗って参加されていましたよね?」
変装には自信があった。それを、まさか当然のように見破られるとは。
「なぜ」
「言葉選び、思考順序、……あと手がウィリアム様っぽくて」
「手」
「手、です」
こくりと何の感情も浮かべていない顔で頷かれた。気になって観察していたら気づきました、と。
思わず自分の手を見つめた。貴族令息として、荒れていない肌。文官としてペンを握ることが多いからペンだこはある。
次の夜会から手袋をするようになった。
「今度は、何で気づいたの?」
別の機会でもやはり気づかれた。彼女は当然のように、得た情報を買い取ろうと交渉してきた。それを遮って、理由を聞いた。
ミシェリーは気分を害することなく、感情を表すこともなく、私の問いに答えた。
「……背中」
「背中?」
「背中から、腰にかけてのラインが似ていると思って観察していたら、生え際のホクロが同じ場所にあることに気づきました」
ホクロは今度から化粧で隠そう。それにしても、着眼点がマニアック過ぎる。
「ミシェリーは、私の隅々までよく見ているね……やらしい」
いつも表情を変えない彼女を少しからかっただけの軽口。
「に、人間観察力が高いと言ってください!」
ぱっと頬を赤く染めて、ミシェリーが反論した。ただ、それだけ。
彼女はすぐに表情を取り繕うと、取引の続きを促してきた。
それに応えながら、自分の心臓が早鐘を打っている事実に動揺する。淡々と話を続ける彼女の表情を崩したい。
そう考える自分が、おかしくて笑いたくなった。
ハルパ商会の窓口は、すべて私が担当した。ブラックフェザー家とやり取りをする商会員は何人かいたが、取引の価格を少しずつ吊り上げていく。すると、ミシェリーが私の対応をするようになった。
「では、この金額で」
「相場よりだいぶ高いですね。前情報は提供しました。この金額が妥当では?」
私が指で提示した金額を、二本も少ない数でミシェリーが示す。
ミシェリーは、ときに交換条件を持ちかけ、ときに値下げ交渉をし、いつも適正価格に収めてきた。
会う回数が増えれば、自然と仕事以外の話を差し込む余地ができる。
そこで、彼女が貴族位を得るために男爵令息と婚約したことを知った。
「惜しいな。今からでも乗り換える気はない?」
「魅力的なお申し出ですね。しかし、この婚約はすでに成立しています。あとからよい条件が出てきたからと契約を反故にしていては、商会として信用が落ちます」
ミシェリーは社交辞令と受け取ったらしく、困ったように眉を下げた。
商人なのに、自分の利だけを追い求めることもしない。公正と信頼を重んじる彼女のことだ。きっと心変わりなどはしないだろう。
私はミシェリーの婚約者を調査させた。仕事も社交も問題ない。ただ、ミシェリーに対しては『ひたすら与えられるものを享受するだけの男』だった。
ミシェリーが奴に礼を尽くすことを喜んで受け入れる。奴の好みを完璧に把握した贈り物を贈られることを当然とし、彼女の笑顔は自分のものだと驕っている。
奴はミシェリーが靴擦れしても気づかないし、ミシェリーへの贈り物も彼女の好みを考慮しない。適切な距離をミシェリーから越えてほしいと友人に愚痴る。自分からは動かない。
商人の仮面をかぶったミシェリーに気づかない。あの、素が出る愛しい瞬間を知らない者がミシェリーを手に入れるなど許せない。
「君が羨ましいな……。僕の婚約者は、嫉妬などはしてくれないだろうから」
「でも、お前の婚約者、すごい尽くしてくるじゃないか。愛されているんだろう?」
「いや、いつも笑顔で接してはくれるけれど、物足りなくて……」
「お前……贅沢だなぁ。私はあのあとも大変だったんだぞ」
そんな会話をしていることを報告された。修羅場を羨ましがるなど酔狂だと思う。しかし、これは使えるのではないかと思い直した。
人を使って、『わざと』浮気に見せかけて、恋人の嫉妬を煽ったという話を奴の耳に入れた。
奴はその話を黙って聞き、考え込んでいたそうだ。
籠絡用に用意した人員に見向きもせず、相手にナターシャを選ぶとは思わなかったが。
ナターシャには事情を伏せて、奴との会話を報告させた。ナターシャは記憶力がずば抜けていて、一言一句違わず再現することができる。……なぜか真似をしないとできないらしいが。
「主様! ご報告申し上げていた令息ですが、わたくし、浮気相手でしたの!」
ナターシャから緊急の連絡がきたとき、蒔いた種が無事に黒色の花を咲かせたことを喜んだ。
ミシェリーが動きやすいように、前々から準備していた証拠をまとめる。
ナターシャからハルパ家を訪問する予定を聞き、そのすぐ後に訪れることができるよう先触れを送った。
あとはもう、彼女によりよい条件で私との結婚を提案すればいい。
きっと彼女は私を選ぶ。いや、選んでくれることを祈るしかない。
彼女に対しては、思い通りにならないことばかりだ。それがまた少しおかしかった。
「主様は愛情表現が下手ですわね」
ナターシャが口元に手を添えて笑った。
「うるさい」
「ミシェリー様には感謝しなくては。こんな人間らしい主様を見ることができるなんて」
うふふ、と声を漏らすナターシャを睨みつける。それすらも楽しそうに、彼女は目を細めた。




