4話 浮気男の損切り
さらに翌日。先触れも出さずにグレッグ様が我が家の門戸を叩いた。
使用人が慌てた様子でわたしを呼びにきたので、応接室へ案内するよう指示をする。支度をしてから応接室へ入ると、ソファに座っていたグレッグ様は跳ねるように立ち上がった。
「ミシェリー! 本当に婚約破棄の書類を送ってくるなんて、何を考えてるんだ!?」
「え、損切りです」
あまりの剣幕に、するりと本音が出てしまう。わたしの言葉にグレッグ様はこめかみに青筋を立てた。
「人を不良債権みたいに言わないでくれ!!」
自覚がないのか、重症だ。それはそれとして、父の姿が見えない。
「とりあえず、先触れもなしに押しかけてくる人間を優良物件とは言いません」
「僕は君の婚約者だろう!」
「まだ、辛うじて、ですが」
わたしが淡々と言い返すことに、グレッグ様は苛立ちを募らせている。
「なんで君はそんなに婚約破棄したがるんだ?!」
「真実の愛を見つけたんですよね?」
わざわざ往来で宣言したくらいだ。グレッグ様にとっては、後ろめたいことはないのだろう。……ナターシャ様を騙したことも含めて。
「普通はまず悩むんじゃないのか? 自分が至らなかったんじゃないかとか、その、泣きだしたりとか。君は、僕のことが好きなんだから」
「ん?」
おかしな言葉が聞こえた。グレッグ様の顔をまじまじと見つめる。
「政略結婚、ですよ?」
まさかそこから理解されていなかった、とか?
「それは知っている。でも、僕のことを立てるような行動をしていた」
「それは婚約者との間に不和を招きたくないからです」
知っていて、その台詞が出てくるのか……。わたしの返答に焦ったようにグレッグ様は言い募る。
「僕が体調を崩すとすぐにお見舞いに来てくれた!」
「社交辞令的に体調気遣いますよね」
「僕のエスコートを受けて、はにかんでいただろう!」
「夜会で不機嫌な顔します?」
え、え、そんなささいなことで勘違いを? わたしは混乱してきた。
「そ、それに、苦手だと言いながら、建国祭に刺繍を贈ってくれただろう……?」
「一応婚約者ですからね。不仲だと噂されても困りますし」
「そんな義務感で……?」
グレッグ様がよろめいた。刺繍には返礼として花を贈る慣習もあるのだけど、グレッグ様からはいただかなかったので、喜んでいたとは思わなかった。
「そもそも、わたしがグレッグ様のことを好きだと信じていたのなら、なぜ浮気を?」
そう、そこが問題だ。グレッグ様は視線を彷徨わせたあと、顔を赤らめた。
「……縋って欲しかっただけなんだ」
「は???」
言葉の意味は、理解できる。けれど、わたしたちの間にその行動が適用されるとグレッグ様が考える意味がわからない。
「友人の修羅場に巻き込まれたことがあって……。浮気されていると誤解され、婚約者の令嬢に詰め寄られていた。令嬢は、彼に『自分の悪いところはすべて直すから捨てないでほしい』と縋り付いていた」
「……それで?」
「友人が羨ましかった。あんな、恥も外聞もなく愛を示されていて。僕も、ミシェリーにそうやって示してほしかったんだ。君はいつも落ち着いていて、感情を揺らすこともなかったから……」
グレッグ様は恥ずかしそうに目を伏せた。ちらりとわたしに視線を送るのも忘れない。
感情を揺らすって、なんだ。婚約者として適切な表情は選んでいた。
「くっだらない」
下町訛り全開で吐き捨てた。口の悪さにグレッグ様は目を白黒させている。
わたしは腕を組んで仁王立ちした。腕を組んでおかないと、目の前の男に張り手を食らわせかねない。そんなことをして、慰謝料の減額でもされたらたまらない。
「まずご友人は誤解なのに、なんでご自分は本当に浮気してんですか。しかも、ナターシャ様を巻き込んで」
「そ、それは……。君と違って、ナターシャ嬢は素直でかわいかったし」
わたしは天を仰いだ。こんな相手と婚約をしていた事実を記憶から抹消したい。しかし、記憶から抹消しただけでは不十分なのだ。早く、すべてを清算しなければ。
「クズの極みか。……それで、双方に振られたうえに、融資の返還や慰謝料の問題が出てきて慌てて縋りに来たと」
「え、僕は君に縋ってほしかっただけで」
「今、わたしに縋り付いてるのはどっちだって話ですが?」
そう言うと、やっと今自分がやっていることがどういうことか気づいたようだ。
グレッグ様の顔が赤くなったり、青くなったり忙しい。
——コンコン。
ノックの音に使用人が対応し、父が入ってきた。
「グレッグ様、もうすぐでお父上がみえられます。ちょうどいい、そのまま話し合いをいたしましょう」
挨拶もそこそこに告げられた父の言葉に、グレッグ様は目を見開いた。
「なっ、なぜ父上が……!」
「僭越ながら、私がお呼びいたしました」
貴族に対する礼で父が頭を下げる。姿勢を戻したときの顔は優しげで、完全に善意で行ったのだと言っているように見える。そんなわけないが。
わたしは父に、アイコンタクトで『助かった!』と送る。父は鷹揚に頷いてみせた。
「さあ、グレッグ様。お座りください。今新しいお茶を用意させましょう。お茶請けは流行りの——」
グレッグ様は父の畳み掛けるような話術に圧倒され、素直にソファに座った。そのまま口を挟めずにいるうちに丸め込まれて、当初の目的を忘れたようにお茶を飲み始めた。
しばらくして、ヒース男爵が到着したと連絡が入り、応接室へ案内されてきた。
ヒース男爵は悠長に座って談笑する息子の姿を見つけると、大股で歩み寄って頭に拳骨を落とした。
「ばっかもん!!!」
「いっだ——?! 父上、一体なぜ!」
「わからんのか、お前は!!」
突然の暴力でグレッグ様の目にじわっと涙が浮かんだ。
貴族家用の広めの応接室とはいえ、大音量の怒声は耳に響く。
わたしの耳を押さえる動作に気づいたヒース男爵が、グレッグ様を射殺さんばかりににらみつけてからわたしと父の方へ向き直った。
「愚息がご迷惑をおかけしました!」
ほぼ直角の礼に、こちらがぎょっとする。父はすっと目を細めてそれを観察していた。
「まあまあ、急ぎお呼び出ししてしまいましたが、対応してくださってありがとうございます。まずはお茶を飲んで落ち着かれてください」
父がヒース男爵に席を勧めた。ヒース男爵は息子を睨みつけながら、その隣に座り新しく用意されたお茶を飲んだ。
「せっかく揃ったので、このまま精算を始めてしまいましょうか」
「精算……?」
え、まさか理解できていない? 父の言葉を首を傾げながら復唱したグレッグ様に、全員が目を向けた。
「ええ、グレッグ様とうちの娘の婚約破棄に関わる精算ですよ」
父が柔らかい笑みを浮かべながら説明する。その言葉にグレッグ様は慌てて首を横に振った。
「そんな! 今回のことはちょっとした行き違いです!」
ギリィ……! 笑顔を浮かべたままの父から歯ぎしりの音が聞こえた。器用すぎる。
わたしも大げさにため息をついてみせた。
「グレッグ様、時間がもったいないです。そのおかしい認識も、言い訳も話がすべて終わってからお父上にお話しください」
「そ、それじゃ遅いじゃないか!」
「もう、すでに遅いのですよ」
ヒース男爵の前に、ウィリアム様から仕入れた証拠と、友人たちの証言をまとめたものを加えた束を置く。もちろんどちらも複製済だ。
「当家は取り扱う商品の性質上、何よりも信頼に重きを置いております。己の欲望のために、簡単に人を裏切る人間とは縁を結べません」
「承知しております」
重々しく頷くヒース男爵を信じられないものを見るように、グレッグ様が口をパクパク開けていた。金魚みたいだな、と考えているとヒース男爵の手から紙の束を奪い取るのが見えた。
「な、なんだこれは! 僕の行動を見張っていたのか!」
「同業者から買い取ったものと、友人たちの証言です。……皆、快く協力してくれましたよ。浮気男に目にものを見せてやれ、と」
「ぐぅっ! こんなもの」
苦し紛れかグレッグ様は、紙の束をいっぺんに破ろうとした。しかし、束は厚い。力が足りず、捻れた跡がついただけだ。
「一応伝えておきますけど、それ複製なんで。さあお父様、ヒース男爵。お話を進めましょう」
ヒース男爵は手の力が抜けた息子から紙の束を抜き取り、改めて中身を確認する。
あ、また殴った。
グレッグ様は頭を押さえながら悶絶していた。
「では、まず援助額ですが——」
父は気にせず話を始めた。ヒース男爵もグレッグ様のことは意識の外に追いやったようでもう見向きもしない。
一度グレッグ様が茶々を入れようとすると、また拳が炸裂した。そして、ヒース男爵に「ハルパ家とはいえ、平民に婚約破棄されたお前に発言権があると思うな!」と怒鳴られていて、少し胸がスッとした。
「返還の猶予をいただけるのはありがたいのですが、これだと生活が厳しくて……」
「領民に罪はありません。こちらとしても、せっかく育ち始めた事業を潰すのは惜しい。しかし、無駄な手心を加える気はありませんな」
父にすげなく断られて、ヒース男爵はがくりと肩を落とした。男爵自身が慎ましく生活すれば滞りなく返済できる額だ。もし、できなければ仕方ない。事業自体の経営権をハルパ家に売却してもらうだけだ。
「慰謝料のほうは、一括でのお支払いをお願いします」
父に最後に釘を刺されたヒース男爵は、口元を歪ませていたけれど、素直に頷いた。そして、グレッグ様を馬車に押し込めてから、自分も乗り込み帰っていった。
それを見送ってから、屋敷に入ろうとする父を呼び止めた。
「ブラックフェザー家への手紙は、わたしが出してもいい? ウィリアム様から最短の日付で、と念押しされてるんだよね」
「ずいぶん嬉しそうだな……」
「敬愛している方の妻になれるなんて、こんな条件のよい商談に喜ばない商人なんている?」
「商談……」
ブラックフェザー家に嫁げば、貴族位を得られる。かの家の技術に触れられる機会も得られる。なにより、情報を扱う者として、ウィリアム様のことを尊敬している。わたしにとってはいいことづくめだ。
「そういうことじゃないと思うんだがな……」という呆れたような父の声は、わたしには届かなかった。




