3話 思いもよらぬ提案
午後になると、急な先触れと本来この家に訪れるはずのない人物が、我が家の廊下を歩いていた。わたしの姿を見つけると、歩幅が少し大きくなった。
「なぜ、ウィリアム様が……」
とろりとしたはちみつ色の髪が、柔らかな緑の瞳にかかっている。甘く細められた目を真正面から見てしまって、慌てて目を逸らした。
「あなたが私への返信を遅らせることなど、一度もなかっただろう? 何かあったかなと思ってね」
彼はウィリアム・ブラックフェザー伯爵令息。定期的に送られてくる手紙の相手。
遅らせる、っていっても普段は翌日の午前に届くようにしていたから、実際遅れているのは数時間。判断が早すぎやしないだろうか?
「ウィリアム様?! 応接室でお待ちだったのでは?」
父が慌てて駆けてきた。使用人から、ウィリアム様が消えたと報告を受けたのだという。
ウィリアム様は自然にわたしの手を取ると、父に微笑んだ。
「ミシェリーを迎えに行っていたんだ。驚かせてすまないね」
「お客様が我が物顔で当家を歩き回らないでください……」
ウィリアム様の言葉に思わず突っ込んだ。ハルパ家に来た回数など数えるほどしかない。わたしがどこにいるかなどわからないはずなのだ。父はウィリアム様とわたしの顔を交互に見て苦笑いした。
「だって、ミシェリー。あなたのことが心配なんだ。さあ、顔をよく見せてくれ。うん、いつも通りかわいいね」
「ウィリアム様、いつも言っていますが、それ普通の婦女子なら勘違いしてしまいますよ。取引で慣れているわたしは平気ですが」
そう、ウィリアム様にからかわれるのはいつものこと。真に受けてはいけない。そんなことをしたら、あっという間に身包み剥がされてしまう。
頬に添えられた手をさりげなく外そうとする。しかし、わたしの手を握り込まれてしまった。
「そんな素敵な笑顔で誘惑されても、今は有益な情報は持ち合わせていないんですけど……」
「ミシェリー、私が誰彼構わず誘惑しているみたいに言うのやめてくれる?」
ウィリアム様は困ったように眉尻を下げた。そう思うなら、早く手を離してほしい。手汗が出てきたら恥ずかしい。
手を振り払おうとするけれど、びくともしない。わたしの様子をにこにこと眺めている。
「ヒース家との縁談をどうするのか教えてほしいな?」
「……どうして」
「昨日、あれだけ人の多い場所で騒ぎが起これば……ね?」
耳元に唇を寄せられて、「あなたなら切り捨てるだろうと思ってるんだけど、当たってる?」と囁かれる。……これは囁く必要がある内容なのか。耳に当たる吐息がくすぐったい。
「とりあえず、今さらですが応接室へ戻りましょうか。……お父様も一緒に」
「え、わしも?」
「まさかブラックフェザー伯爵令息がいらしているのに、放って仕事をされる気ですか?」
ウィリアム様に手を握られたまま、わたしは父の腕を引っ掴んだ。服にシワが寄ったけれど、構うものか。
「ミシェリー、忙しいのなら無理に引き留めなくてもいいよ。あなたさえ隣にいてくれれば」
「……わたしはまだ婚約者がいる身なので」
「商談のときは二人きりじゃないか」
「密室ではないですよね?」
ウィリアム様は結局手を離してくれない。父はさっさと応接室へ向かってしまうし、しかたなくウィリアム様のエスコートを受ける形になった。
「で、本日はどのようなご要件で? 事情をご存知なら、当家は今、立て込んでいるのも理解されておりますよね?」
わたしはウィリアム様の対面に座った。
ウィリアム様のことだから何もかもご存じなのだと思って、前振りも何もかもふっ飛ばす。お茶を淹れていた使用人がぎょっとしていた。
「ふふふ、ミシェリーらしいなぁ。今日はこれをあなたに。自分でも調べているだろうけど、証拠は多いほうがいいだろう?」
応接室に残っていたブラックフェザー家の側仕えが、紙の束をテーブルに置いた。
「……拝見しても?」
「もちろん」
紙の束は、グレッグ様の行動記録だった。一番古い日付は三か月前。
そのころに、ナターシャ様に声をかけたらしい。わたしに会う回数よりもずっと多く二人は共に時間を過ごしていた。
こんなにマメに会っていては、グレッグ様の『婚約者とは解消する予定で進んでいる』という嘘は見抜けないだろう。
ハルパ商会の跡取りとして婚約者の行動を見逃すとは、なんて情けない。グレッグ様の態度は変わらないし、政略結婚の性質上そんな馬鹿なことをしないだろうと思っていた。
無駄な信頼を寄せてしまっていたことは、未熟だとしか言いようがない。
ちらりとウィリアム様に視線を送る。失望の色が見えないか探してしまう。彼はただ穏やかな表情でわたしを見ていた。
彼にだけは失望されたくない。
じっと見つめていると、ウィリアム様がふわりと優しく微笑んだ。知らず詰めていた息が漏れる。
「裏取りしやすいように、証言者の名前も書いておいたよ」
「……ブラックフェザー家を疑うことはしませんよ」
ブラックフェザー伯爵家は、代々優秀な文官を輩出している家だ。そして、ある方面ではハルパ商会と同業でもある。ブラックフェザー家の方がより深く暗い方面だけど。
規模も伯爵家のほうが大きく、上位貴族などハルパ商会が入り込めない領域を主な客層としている。
「昨日の今日で用意できるなんて、さすがウィリアム様ですね」
「うん、このくらいはね」
にこりと微笑む姿は麗しい貴公子そのもの。
「で、いくらですか?」
「これくらいかな?」
ウィリアム様は側仕えが用意した紙に、金額を書き付けた。テーブルに置かれた紙を手に取ると、相場よりも三倍も高い。
「……高いですね」
「回収はできるだろう?」
微笑みを崩さないまま、ウィリアム様が告げた。回収はできる。しかし、商人として足元をみられたままの金額で取引するのは腹が立つ。口元をわずかに歪めてしまった。ウィリアム様が目を細めた。
「これを相場の半値で売ってもいいよ」
「……その場合、わたしはこの金額以外に、何を要求されるんですか?」
いきなりの値下げに眉をしかめる。こういうとき、出てくる条件はろくなものがない。
「私と結婚しよう」
ウィリアム様の口から出た言葉が理解できず、固まってしまった。数瞬のち、頭に内容が染み込んできたけれど、やはり解せない。
「当家は平民なんですが……?」
やっとそれだけ口にすると、ウィリアム様はうん、と頷いてさらに想像の上をいく言葉を重ねた。
「大丈夫。うちの家門は実力主義だから。平民なのは本当に気にしないし、家格についても一度子飼いの貴族家の養子にすれば国の承認は受けやすい。貴族たちは……黙らせればいい」
まあ、うるさいのは黙らせればいいっていうのは同意するけれど。
「実力など……。ウィリアム様に遠く及びません」
「そんなことはない。どんなに気をつけて変装しても、あなたには必ず気づかれるし」
そう言ってウィリアム様は、恥ずかしそうに頬をかいた。そういえばウィリアム様がわたしに目をかけてくれるようになったのも、変装を見破ったのがきっかけだった。
「ミシェリー、これは政略結婚と同じだよ。ブラックフェザー家は優秀な人材を取り込みたい。ハルパ家は貴族位が欲しい。よい商談だと思わないか?」
「ね?」と甘く微笑まれて、背筋にゾクゾクとしたものが走る。
わたしは隣に座る父の顔を見た。同じタイミングで明後日の方向に顔ごと逸らされた。
「条件は悪くない。第一、伯爵家から正式にそんなものきたら断れんからな」
小声で言われた言葉に「やっぱり、そうだよね……」と同意したくはなる。
ウィリアム様に視線を向ける。一見すると、柔和な害のない笑顔。けれど、これに騙された商会員に泣きつかれたことがある身としては警戒せざるを得ない。
「前からもったいないと思っていたんだ。私ならヒース男爵家よりもミシェリーを上手く使えるのに、って。でも、それとなく言っても全然なびいてくれないから」
悲しげな表情を浮かべつつ嘆く様は、絵になるというか、胸にグッとくるというか。なんか悪いことをしてしまった気分になる。言っていることは、わたしのことを道具のように見ている外道なのだけど。
けれど、愛だの恋だのを持ち出されるよりはよほどわかりやすい。
「以前言われたのは、冗談ではなかったのですね。それは嬉しいのですが」
わたしはそこで一拍置いた。
「それでも、ウィリアム様がわたしとお話してくださるようになったのは、グレッグ様と婚約後ですからね。我が家から持ちかけた商談を、もっとよい条件を提示されたからと破棄などできません。信用に関わります」
わたしの言葉に先ほどまでの悲壮な顔はどこへやら、ウィリアム様は薄く微笑んだ。
「では、ヒース家との婚約を破棄したなら、ブラックフェザー家からの『商談』を受け入れるのは問題ないね」
「それだけですか?」
ヒース家との縁談と比較して、ブラックフェザー家のほうが条件は格段にいい。けれど、このまま言われるままに了承しては、ハルパ商会までブラックフェザー家にいいように扱われてしまうかもしれない。
「ハルパ商会の独自裁量権は侵害しないよ。あなたは私の隣で妻として振る舞ってくれればそれでいい」
「では、おっしゃった条件を書面にしてください。この場で」
使用人に契約書に使う上等な紙を用意させる。真っ白な紙に美しい筆致でハルパ商会の経営には干渉せず、これまでどおり独立した取引先として扱うことを書きつけた。
「私は信頼がないね」
「違います。ウィリアム様が有能だからこそ警戒するんです」
ウィリアム様が署名し、わたしに紙を差し出してくる。内容を確認し、父にも目を通してもらった。父が頷くのを見て、ウィリアム様に向き直る。
「商談成立ですね」
不良債権が発覚したと思ったら、ご褒美のように条件のよい縁談が転がり込んできた。わたしは貴族に向けるのには相応しくない満面の笑みを浮かべた。
「そう、だね」
ウィリアム様が口元に手を添えて、横を向いた。心なしか頬が赤い。
「ミシェリー、早く片付けておくれ。待っているよ」
「はい、お任せください!」
口元の手を外した、まだ赤みの残る頬。甘く微笑みながら名前を呼ばれて。
わたしは心臓がはねたことを誤魔化すように、胸を叩いて返事をした。
明日以降の予定です。今回の話は2万字くらいでサクッと終わります。
10/30,31 20時10分
11/1 7時10分、20時10分
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