第3話 水ならなんでもいいんじゃないんですか?
ピーターはゾッとした。
前半部分はまったく覚えていない。聞いたことのないような意味不明な言葉の数々。いったい何度聞き直すことになるか……。
それを想像すると、ピーターの胃は勤務初日にしてキリキリし始めた。
「やれやれ。ほら、あたしも一緒に聞いてやるから、しゃんとしな」
見かねたマーサがピーターの背中をパンと叩く。
マーサの手助けのおかげで、ピーターはなんとか書き留めることができた。
「ありがとうございます。僕一人じゃ、何回聞きなおしていたことか……」
「慣れてくりゃ、なんとかなってくるよ」
マーサの優しさに、ピーターは思わずウルッとしてしまった。怖い人だと思っていたが、不器用なだけなんだ。
「これって、ここまで細かく記入する必要があるんですか?」
ピーターは書類の裏面にまで及んだ魔法名を見つめる。
「昔はそうじゃなかったさ。あの娘が来てからだ。しょっちゅう冗談みたいなやらかしをするもんだから、いったいどんな魔法を使っているんだって、上から問い詰められてね。それ以来、一字一句もらさず報告することになったのさ」
「それはなんとも……、あ、いえ……」
「『いい迷惑』、だろ?」
言葉の続きをマーサに言い当てられ、ピーターは苦笑いをするしかなかった。
『――ザザッ……。まっ……。落ち着い……』
まだ起動していた魔道具から、何やら不穏な言葉が聞こえてきた。
「ポールさん、どうかしましたか?」
『か……、申し訳っ――。水を……るって……』
何を言っているのかわからず、ピーターとマーサは顔を見合わせる。
「ポール! ちゃんと報告しな! 聞こえないんだよ! 何があった!?」
『ぎゃあーーーーー!!』
マーサが怒鳴るも、魔道具から聞こえてきたのはポールの悲痛な叫び声と、ゴオオオッという何かの音だけだった。
「ついに死んだか?」
マーサは冗談で言ったのだろうが、ピーターは笑えなかった。
数分後、なんとか生きていたポールから連絡があった。
池を消してしまったことを申し訳なく思ったルリは、なんと転送魔法で大量の水をよそから持ってきて、それをそのまま池にぶち込んだそうだ。
だが、池の大きさより持ってきた水のほうが多かったため、ポールはあふれた水に押し流されてしまったのだ。
『はあっ……はあっ……、ゴホッゴホッ!!』
ポールが不憫すぎて、ピーターは掛ける言葉が見つからなかった。
『ず、ずみまぜん……。ゴホッ。はあっ……。じぬかと思った……』
「お疲れさん。さすがに今回のは、手当てつけとくよ。まあ、水が戻ってきたのはよかったじゃないか」
「えっ!? 水が戻ってきたのかい!?」
徘徊していたハンスがようやく我に返り戻ってきた。
「どこかから水を持ってきたそうです。転送魔法で」
ピーターが説明すると、ハンスは目を輝かせた。
「おおっ! たまにはやるじゃないか! どこかの水路から持ってきたなら大丈夫さ。すぐにまた流れてくる。ははっ! 解決解決!」
ピーターの手を取り小躍りするハンスだったが、ポールの一言で、彼は再び地獄へと突き落とされた。
『海です……』
ハンスが手を挙げたまま停止すると、恐る恐る、ポールに聞き直した。
「どこ……だって?」
『海の水を、持ってきました……』
静まりかえる事務所――。
「海水持ってきてどうすんだい!!」
マーサが激怒すると、ポールが『ひっ』と怯えた声をだした。
ドサッ!!
床には気絶したハンスが横たわっていたが、ピーターもマーサもそれどころではなかった。
『しかも、海水とともに、大量の魚も持ってきていまして……』
「さかなあ!?」
『はい……。池から海水があふれたことで、あたりに魚の死骸が散乱していて……。臭いも…』
現場の悲惨さを想像すると、ピーターはポールの精神がよく崩壊しないなと心配になった。
「この国の暑さじゃ、陸に上がった魚なんてすぐに干からびちまうよ!」
『はい……。池の中にはまだ魚がいますが、水温はみるみる上昇しています。このままでは……』
「もったいない! せっかくの魚が! 今すぐ、手の空いてるやつをそっちに向かわせる! みんなで捕るんだ!」
「マーサさん! ですが、先ほど確認したときには、今行ける人は誰も……」
「じゃあ近隣住民に手伝ってもらいな! 捕った魚は自由に持って帰っていいと言えば、喜んで手伝うさ!」
ピーターたちのいる国に海はない。新鮮な魚はめったに食べられないのだ。
「水がなくなったことへのお詫びの品だとでも言っといてくれ! 先に機嫌をとっときゃ、後々やりやすくなる」
さすがに無理があるのではとピーターは思ったが、言わなかった。
「こうしちゃいられないっ!」
マーサはなぜかせっせと荷物をまとめ始めた。
「マーサさん? どうしたんですか?」
「あたしも行ってくるから、あとは任せたよ」
「ええっ!? 僕一人でですか!?」
「もうここのやり方はわかったろ!? 不安ならハンスを起こしな!」
「起こすと言っても……」
ピーターは横たわるハンスを見る。もはや死んでいるようにしかみえない。
「ふんっ!!」
「ぐわぁっ!!!」
マーサがハンスの背中を思いっきり踏んづけると、ハンスが痛みで目を覚ました。
「いつまで寝てんだい! 仕事しな!」
「ううっ……。二度と目覚めるつもりはなかったのに……」
ハンスが涙で床を濡らす。
「じゃあね! あとよろしく! 魚があたしを呼んでる〜!」
マーサはルンルン気分で事務室を去っていった。
「マーサさんて、タフですね……。僕、まだ初日ですけど、とてもじゃないですがあんな元気はありません」
ただ報告書を作成しただけなのに、ピーターはどっと疲れていた。
「ピーターくん……。きみもいずれわかるときがくる。マーサが異常なんだ。この職場でおかしくならずに仕事ができるほうが、『変』なんだよ」
ピーターは勤務初日にしてこの仕事の、いや、『歩く天変地異』のやっかいさを、いやというほど痛感した。




