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王子は私に気づかない  作者: あおき華子


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第九話

 神父が短く祈った。


「殿下、彼は異端者ではありません。呪われた──まさに被害者です」


 家臣達がざわめいた。


「呪い?……呪いとはどんな?」

「彼は話せないのでは?」


 ラルフは口を開けて神父を見つめた。


「……それが呪いのためだと?」

「ええ」


 ラルフは、心許なげに立つ男に視線を移した。


 呪いなど、本当にこの世にあるのだろうか。


「直ちに祈祷したい。彼と二人きりにしていただけますか?」

 エドリック神父がラルフに尋ねた。




 ラルフ王子の容赦ない視線に、ジョーンの肌がざわざわと騒いだ。

 早く出て行ってくれないかしら……


 王子がすれ違いざまに立ち止まり、何かを言いかけた。

 結局口を閉ざしてそのまま出ていった。



 二人きりになった小部屋。

 エドリック神父がジョーンの前に立ち、縄を優しく解き始めた。

「お辛かったでしょう」


 ジョーンは胸を上下させながら息をした。


「ジョーン・ド・ダンズウェル。あなたですね?」


 いたわりに満ちた声だった。


 ジョーンは少しずつ顔を上げた。


 輪郭の滲んだアーチ窓のステンドグラス。やたらと眩しくて、見ていられない。


 閉じた瞼の隙間から涙を流しながら、ジョーンは静かに頷いた。





 ジョーンは筆談で、ペトロネラとのいきさつ、その後のことをエドリック神父に伝えた。




 ひんやりとした石床に両膝をついたジョーン。


 神父は部屋に聖水を振りまき、香を焚いた。

 ジョーンは奥深い香のかおりを、胸に思い切り吸い込んだ。


 エドリック神父はジョーンに向かい、声が枯れるほど聖句や祈りを唱え続けた。


 神父が火を入れた暖炉に、呪物の羊皮紙を入れた。

 羊皮紙に火が燃え移った。


 ジョーンは急に手足から力が抜けて、床に崩れ落ちた。

 



 エドリック神父は目の前の光景が半分信じられなかった。


 青年が瞬く間に、瑞々しく可憐な乙女の姿に変わった。


「姫!」


 神父は十字を切り、崩れ落ちた彼女を抱えた。


 ジョーン姫が朦朧とした目を開いて、唇を薄く開いた。


「……ファーザー……体が、おかしい……」


 姫の頭が、がくりと後ろに倒れた。





 祈る声が聞こえる。目をあけると、部屋の長椅子の上にいた。


「おお、姫。お気づきになりましたか」


 少し青ざめたエドリック神父がスツールから立ち上がり、ジョーンの顔を覗き込んだ。


 まばたきを繰り返しながら、ジョーンはうなずいた。


 肌がやけに汗ばんでいた。


 ジョーンは体を起こし、首元に流れる汗を、着ているチュニックで拭った。



 祈祷はどうなったの?


 肩を落とした神父がひどく気になった。


「まことに残念です。……いっとき解けた呪いは、すぐさま元に戻ってしまいました」


 ジョーンは大きく口を開けて固まった。


 いっとき解けていた?


 長椅子から転がり落ちるように下りて、体中を触り女の体の形跡を探した。


 平らな胸。喉仏。

 喉に力をこめた。声も出ない。


「申し訳ない。ジョーン姫」

 消え入りそうな、神父の声。


 ジョーンは項垂れながら、首を何度も横に振った。





 日のあたる中庭を囲む、回廊。並んで歩くエドリック神父が口を開いた。


「ダンズウェル卿のもとに、戻られるのですか?」


 背筋がぞくっとした。お父様が今の私を信じてくれるとは思えない。

 ジョーンは思いきり首を横に振った。


「では、これからどうされるおつもりです?」


 ジョーンは、首をかしげてはぐらかした。

 

 延々と旅を続けるリュートの流し。

 エドリック神父にそれを言うのは、気が引けた。


 ……本当に生きていけるのだろうか。


 薬草の植えられた四角い中庭を見ながら、ジョーンはそわそわと腕をさすった。


「殿下はずいぶんあなたのことを案じておられるようですね。……お伝えにはならないのですか?」


 足がいつの間にか止まっていた。

 唇を噛みながら、ジョーンはすがるような眼差しで神父を見つめた。


 彼は男を愛したりはしない。


 神父は眉尻を下げて、ジョーンの肩にそっと手を添えた。


「簡単に受け入れられる話ではありませんね。……口を閉ざしておきます。お約束しましょう」



 風が回廊と中庭を通り抜けた。

 ローズマリーの新鮮な香りがした。


「──ジョーン姫。あなたはここに留まることもできるのですよ」

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