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王子は私に気づかない  作者: あおき華子


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第八話

「起きろ、野良犬」


 日の出の頃、ジョーンは陽気な護衛──サー・ヒューに足で突かれて起こされた。



 騒がしい外を窓から覗くと、城門から散り散りに駆け出していく大勢の騎兵たちが見えた。


「人手が増えて、姫が見つかるといいがな……」

 ヒューが外を見ながらぽつりと言った。


「お前、本当にダンズウェルの姫とかかわりがないのか?」


 ジョーンはヒューに背を向けて、微かに頷いた。




 城門のそばにいる、ラルフ王子。新しく濃紺のマントを着ている。


 ジョーンは身にまとう茶色のマントを両手で落ち着きなく撫でた。


 返すつもりだったのに。



 王子が振り向いた。

 

 ジョーンは意を決して、地面に指で『帰りたい』と書いた。


 王子はそこに少しだけ視線を向けると、表情も変えずに鐙に足をかけて馬に乗った。


「早く馬に乗れ」



 どこに行くか、誰からも説明がなかった。





 ジョーンは馬を走らせながら、頭をめまぐるしく働かせた。


 隙の無い護衛達。

 ぬかるんだ道を走って逃げても、すぐに捕まることは分かる。



 機会を窺ううちに、森を抜けた。


 大きな鐘の音が響いた。


 川に囲まれた高台にある、尖塔のある巨大な建物。

 王子はそこに馬を進めた。


 目的地はなじみ深いセント・セシルア大聖堂だった。





 長い石橋と登り道。

 巡礼者や農民達とすれ違いながらたどり着いた大聖堂。


 ラルフは馬を下りると、護衛達に男の両手首を縛らせた。


 不審な者を、司教の前で自由にさせておくわけにはいかない。


 少し離れた場所で腕を組むラルフを、男が反抗的に顎を高く上げて見返してきた。


 こんなに身の程をわきまえない男は初めてだ。



 腹の前できつく縄に縛られた男の両手。


 かすかに胃が締めつけられる感覚。


 ラルフはわけも分からず、足元の石を思い切り蹴飛ばした。





 ジョーンにとっては三カ月ぶりのセント・セシルア大聖堂だった。


 大聖堂の中で、豪華な服を着た司教が司教座に座って待っている。


 司教が厳かに立ち上がった。


「殿下。よくぞお出ましくださいました。話は耳にしております。ジョーン姫のこと、さぞ心を痛めておられることでしょう。さあ、共に彼女のために祈りを捧げましょう。城の外には狼やならず者──」

「司教閣下!」


 王子が吠えるような声を出した。


「申し訳ないが急ぎなのです。エドリック神父はどこに」


 じりじりとした王子に司教は眉を上げて、咳払いをした。


「司祭エドリックをここへ」

 聖歌隊の少年が走って行った。




 現れたエドリック神父を見て、ジョーンはぱっと顔を輝かせた。


 エドリック神父なら、呪いを解けるかもしれない……!


 ジョーンは大きく息を吸い込んで、胸を膨らませた。





「ジョーン姫は、よくこの大聖堂にいらしてました。無事を願わずにはいられません……」


 案内された石造りの小部屋で、暗い顔のエドリック神父が十字を切った。


 テーブルの上には──いつも悪魔払いに使っているのだろう──聖水や香が置いてある。


 ジョーンはそわそわと足を動かした。


「妙なことをするなよ」

 サー・ヘンリーが凄みながら距離をつめてきた。


 王子に人差し指で合図されたサー・トマスが、神父にあの羊皮紙を手渡した。


「エドリック神父。これを見てほしい。関係があるかもわからないが、今はこれしか彼女の手がかりがないのだ。これをどこかで見た覚えは?何か分かることはないだろうか?」

 早口でラルフ王子がまくしたてた。


 床に羊皮紙を広げた神父は、その図をじっと見据えると、上に聖水をまき散らした。


 一瞬真っ黒になった水滴。

 その後、何事もなかったように羊皮紙から水滴の跡が消えた。


 ジョーンはぶるっと身震いをした。


 王子と家臣が小さく声を漏らした。


「なんと……おぞましい」

 神父がルーペを持ち出して、細かく描き込まれた図形を調べ始めた。


「半分男で半分女、縫われた口……。こんなものは見たことがない。極めて悪意の強い呪物だ」


 顔を上げた神父。宙に浮いていた目線が、徐々にジョーンに定まった。




 ちらちらと訴えかけるすみれ色の瞳の男。


 神父は男を見ながら、首を傾げた。

「彼は?」


 王子は口を一文字に引き結んだ。


「これを持っていた異端者です」

 サー・ヘンリーがはきはきと言いながら、男の後ろ襟をきつく掴んだ。


「この羊皮紙はジョーンの親族の女──ペトロネラのもの……この男はそう言っている」

 太ももを指でトントンと叩きながら、王子が言った。


 稀な、すみれ色の瞳。エドリック神父は男を見ながら、同じ色の目を持つジョーンを思い出した。


 この若者は、ジョーン姫の兄にも少し似ている……


 エドリック神父は羊皮紙の図を見下ろし、そしてもう一度男とまっすぐに目を合わせた。


 神父の頭に、稲妻のような直感が走った。


 ありえないことだろうか。いや、しかし……




『ファーザー、助けて』


 ジョーンは神父に向かって、唇を動かした。


 魂の奥を覗き込むような神父の黒い目。それが、宝石のジェットのように深く光った。


「あなたは──」


 神父の瞳に男──自分が映っている。


 ジョーンは顔を背けて肩を丸めた。顔が惨めさにかっと熱くなった。

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