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王子は私に気づかない  作者: あおき華子


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第五話

「捕らえろ!」

 男爵の声に、兵士だけでなく、騎士も立ち上がった。


 ジョーンは下り階段に向かって駆け出した。


 調理場を走り抜け、飛び込んだ貯蔵庫。

 隠し通路に繋がるあの石板の上に、巨大なチーズが積み重ねられている。


 ジョーンは拳でチーズを叩くと、全身を使って押しのけた。


 拍車の音がした。

 素早く振り返ると、戸口に王子が腕を組んで立っている。


 ジョーンは視線を落として彼の足元を見つめた。


「お前は、私付きの詩人ということにした」


 はっと顔を上げた。

 追っ手がやけに遅いことにようやく気がついた。


 ジョーンはその場にへたりこんだ。


「城にまで入り込んで……。ペトロネラと、いったい何があった」

 王子は顔をしかめてじっとジョーンを見ている。


 ジョーンは立ち上がり口を開いた。声を絞り出そうとしても、喉から血の味がするだけだった。


「……話せないんだったな」

 王子は首を横に振ると、背を向けて大股で歩き始めた。


 料理人やキッチンメイドが呆然とした顔をしている。


 ジョーンは小走りで、王子に付いていった。


「お前にかまってる暇は、私にはないんだ」

 王子が階段の途中にある狭い窓を、目を細めて覗き込んだ。


「ダンズウェル卿──」

 彼の声が硬くなった。


 武装した父が騎兵を引き連れて、こちらに向かっている。


 ジョーンの息が不規則に乱れた。

 殺されるのだろうか。私だと気づかれないまま、父に。


 両肘を抱えて、瞼を強く閉じた。


 主よ……。父と私をお守り下さい……


 不意に王子がマントを脱いでジョーンに被せた。


「お前を捕らえるために、わざわざあそこまでしない。ペトロネラを問いただしに来たんだろう」


 王子はそうつぶやくと、また階段をのぼり始めた。


 ジョーンはマントのフードを被った。ほのかな王子の香り。

 体が少し震えた。




 軍事場に様変わりした大広間。

 男爵は、こちらも武装しようと言い出した家臣を怒鳴りつけている。


 王子はサー・トマス達と合流すると、そこを通り過ぎ、出入口に向かった。



 つよい風。外は土ぼこりが立っていた。


 外階段の上。ジョーンは麓に向かう彼の背中を、うつろな目で追った。


 また、会える日が来るだろうか。


 早くここから逃げなければならない。分かっているのに、動く気力が出ない。


 王子が振り向いた。じっとこちらを見上げている。


「置いていくぞ!」

 風にかき消されそうな、彼の声が聞こえた。


 ジョーンははためくマントをぎゅっとつかみ、空を仰いだ。


 この姿で、彼に仕える。そんな生き方もあるかもしれない。


 鼻をすすりうなずくと、ジョーンは音を鳴らして外階段を駆け下りた。

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