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王子は私に気づかない  作者: あおき華子


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第十二話

 しばらく進むと、波の音が聞こえてきた。


 丈の短い草地の街道から、ジョーンは柔らかいため息をつきながら周りに視線を巡らせ、その壮大な景色に見とれた。


 街道の下には白い岩の断崖が続いている。

 断崖のすそに広がる砂浜、灰色の海、向こう側に城のそびえ立つ孤島が見えた。


 あそこにペトロネラがいるのだろうか。


 馬に乗る王子の背中はピンと張りつめていて、とても筆談で聞くことなど出来ない。


「潮が引くのはいつだ?」

 ラルフ王子が城を見ながらサー・トマスに尋ねた。


「日が落ちる前には恐らく……」

「ジョーンは本当に無事なんだな?」

「そのように聞いております」


 ジョーンはラフの上で、体をこわばらせた。


 どうして……あそこに私がいるかのように、話しているの?


 瞬きもせずに、小高い山の上の城を見つめた。



 海の肌寒い風。

 磯の香り。


 サー・ヘンリーはやけに鼻をすすり続けている。


「風邪かヘンリー」

「いえ、鼻が詰まっただけです」


 サー・トマスの問いに、ヘンリーがくしゃみをしながら答えた。



 夕日がさしはじめた頃、潮が引いて島に続く砂州が現れた。





 嫌がるラフを落ち着かせながら、石畳の敷かれた細い砂州を進んだ。


「何だ、この臭いは」

 サー・ヒューがむせ込んだ。


 鼻水をすすりながらサー・ヘンリーが首をかしげた。

「何も臭いませんが」


 島に近づくにつれて漂い始めた苦くて甘い、ねっとりとした臭い。


 妙に喉が渇く。


 ジョーンは自分の体が浮いているような錯覚をおぼえた。


 ラフの足元も少しふらついている。





 砂州の終わりで待ち構えていた兵士。


 その男の先導で煙った森を抜け、城にたどり着いた。


 扉を開けて細い通路を進んだ先の大広間。

 奥の上段に座っていた、モンタギュー伯らしき人物が立ち上がった。


 そのすぐ隣に、薄いベールと金の冠を髪に被ったペトロネラが、しおらしく立っている。


 ジョーンは朦朧としながら、両手を音がなるほど強く握っては開いた。



 殺してやる────



 強烈なほど強まった甘い臭いが上段から漂っていた。





 甘い臭いに目眩がする。


 ラルフはくらくらとする頭をおさえながら、素早く視線を巡らせた。


 上段に立つジョーンを見つけてからは、他には何も目に入らなかった。


 暖炉の炎に照らされたジョーンの肌は神秘的な金色に輝いて、この世のものとはとても思えない。


 美しい女はいくらでもいる。


 どうして彼女は私の心をこんなに捉えて離さないのだろう。


 ジョーンがベールを引いて、顔をしとやかに隠した。


 すみれ色の目が霞むラルフの目を、ベール越しにとらえた。


 ラルフは衝動的に駆け出して、華奢なジョーンの体を強くかき抱いた。


「殿下……」

 ジョーンの透き通った声。


 心が満ちていく。


 ──誰かといたのか?

 一瞬わずかに浮かんだ不安を頭からかき消した。


 今は何も聞かない。


 モンタギュー卿が、頷きながら微笑んでいる。


「ジョーン……」

 ラルフは枯れた声を漏らした。


 ようやく……ようやく彼女を取り戻した……




 奥の上段で、王子がペトロネラを抱きしめている。


 ジョーンは足を震わせながら後ずさりをした。


 いつの間に、二人はこんな関係になっていたの?


 周りの目も気にせず、その場に座り込んだ。


 バチバチと暖炉の火がはじけている。


「ジョーン……」


 王子がペトロネラに呼びかけた声に、ジョーンは眠りから目覚めたように、はっと顔を上げた。





「殿下。お越しいただき、誠に光栄でございます。さあさあ、どうぞお座り下さい。……ええと……ジョーン?姫と積もる話もございましょう。皆のもの。宴の準備をせよ」


 モンタギュー卿が締まりなく笑いながら手を叩いた。


「ジョーン姫?」

 裏返った鼻声が聞こえた。


「……どうなっているんだ?」

 サー・ヘンリーがひきつった顔で、剣の柄を握りしめていた。


「ああ、やっとゆっくり飯が食える」

「殿下のお役に立てた……何よりだ」


 サー・ヒューとサー・トマスが足をふらつかせながら宴席に向かった。


 そわそわとするサー・ヘンリーと目が合った。


「い、異端者。──私の目はおかしいのか?殿下がウィックス卿の娘と抱き合っているようにしか見えない……」


 ジョーンは石の床に両手をついて、必死にかぶりを振った。


 サー・ヘンリーと自分以外の誰もが、ぼんやりとして魂が抜けているように見えた。

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