02私を愚かだとでも思いましたか?常識に疎いとでも?女と油断して?
自分を監視していたことに、全く気づいていなかったのだ。
「私を、愚かだとでも思いましたか?常識に疎いとでも?女と油断して?」
唇に、薄い笑みが浮かんだ。それは、今まで見てきたどの笑顔よりも恐ろしいもので。
「確かに私は愚かでした。あなたという存在を婚約者として持つ、愚か者でした」
顔を覗き込むように、一歩近づいた。
「あなたはね、自分がいかに無能で、いかに周囲に足元を見られているか、全く気づいていなかった。あなたの財政は破綻寸前。騎士団は規律が乱れきっている。全ては、あなたの無責任と浮気のせいですからね?」
問いかけるとロドリゴは、震える声で言った。
「オリヴィア、お願いだ!許してくれ!僕は」
「は?許す?」
鼻で笑う。
「いいえ。許しませんが」
机の引き出しから一枚の紙を取り出したそれは、正式な契約書。
「ここにサインしなさい。あなたの屋敷の資産の半分と、あなたの領地の半分をヴァルデマー家に譲渡するものです。さもなくば」
不敵に微笑んだ。
「あなたの執事と私兵隊の隊長が、どのような末路を辿るか。想像に難くないでしょう?監督不行き届きの責任も重いですよ」
絶望に顔を歪めた。私兵隊の隊長と執事は、財政と名誉を握る要。もし彼らが公に罪を暴かれれば、立場は完全に失墜する。
「まさか、君は……」
「正当な報復です。生ぬるいですけれど」
ペンをロドリゴに差し出した。
「さあ、早く。私の忍耐も無限ではありませんから」
震える手でペンを握り、契約書にサインした。彼の人生はこの瞬間、完全に掌握される。
「賢明な判断ですね」
満足そうに頷く。
「これで、あなたは二度と逆らえない。監視下で言う通りに生きるのです。どうやら、そうしないとこちらも被害に遭うから仕方ないこと、ですよ」
死刑宣告にも等しかった。底知れぬ知略と冷徹さに、今更ながら恐怖を覚える。
「そして」
頬にそっと手を触れた。指は、凍えるほど冷たい。
「もう二度と、私以外の女に触れないこと。もし、また裏切るようなことがあれば。次は、あなたの命をもって償っていただきます……なんてね」
深く、冷たく輝くそれは魂を凍りつかせる絶対的な支配者の目だ。恐怖に震えながら、オリヴィアの前に跪いた。彼の恋人の、いや、彼の主人の前に。女は満足そうに微笑んだ。
夜の闇に咲く毒の花が、満開を迎えたかのような、美しくも恐ろしい笑顔。
(私のもの。永遠に、この地獄で苦しむがいい)
愛を裏切った男に、苛烈な報復の剣を突きつけたのだった。
ロドリゴがヴァルデマー邸に滞在するようになって、早くも三ヶ月が経った。世間では、オリヴィア伯爵令嬢とロドリゴ騎士爵の仲が以前にも増して深まり、年内の婚姻も間近と噂されている。
誰もが二人の仲睦まじい姿を微笑ましく見守っていたが、実態を知る者は、オリヴィアただ一人。ロドリゴは、ヴァルデマー邸の一室を与えられ、表向きは婚約者として丁重に扱われていた。
しかし、行動は常に監視下に置かれている。食事の内容から、いつ、誰と、どんな会話をしたかまで全てが報告される。もちろん、邸宅の外に出ることは許されない。
(まるで鳥籠の中の鳥ね?ふふ!)
庭園のベンチに座り、読書をするロドリゴを眺めていた彼の顔には、以前のような傲慢な笑みは消え失せ、代わりに疲弊と諦念が浮かんでいる。あの輝く金髪もどこか色褪せて見えた。
「オリヴィア様」
背後から控えめな声がした。振り返るオリヴィア付きのメイド、リーゼが立っている。彼女はロドリゴを監視するために配置した、腹心の部下。
「報告を」
促すと、リーゼは淡々と告げた。
「今朝も食堂の食事にほとんど手をつけられませんでした。食欲がないご様子です。また、書斎にこもられ一日中、手紙を書いておられましたがいずれも途中までで破り捨てておりました」
「そう。他に変わったことは?」
「いいえ、特に。ただ」
リーゼは、一瞬ためらう。
「最近、夜中にうなされる声が聞こえることがございます。何か悪夢でもご覧になっているのかもしれません」
そんなことかと、フンと鼻を鳴らした。
「自業自得。踏みにじった私の悪夢に比べれば可愛いものだわ」
瞳の奥には、未だ癒えぬ憎しみが燃えている。平穏を踏みにじったのだから、この程度の報復では、まだ足りない。
うっそり笑う。遊び尽くさないと失礼だろう。コツコツと靴音を響かせてオリヴィアは、ロドリゴの部屋を訪れた。
ノックをしても返事がなかったため、そのままドアを開ける。中を見ると窓際に座り、遠くの空を眺めていた。いいご身分だ。
「ロドリゴ」
声をかけると、ビクリと肩を震わせ、振り返った顔は幽霊でも見たかのように青ざめている。
「なっ、オリヴィアっ」
「食事が進んでいないようね。体調でも悪いのかしら?」
オリヴィアは心配するふりをして、顔色を伺った。
「い、いや、その少し、食欲がなくて」
「そう。邸の食事は、一流の料理人が腕を振るっているのだけれど。あなたの舌には合わないかしらね?」
ねっとりとした皮肉を含んでいた。




