01前世ではごく普通の会社員だった。それがある日突然、交通事故に遭い、次に目覚めた時には剣と魔法のファンタジー世界に転生。不幸中の幸いか転生先の肉体は伯爵家の令嬢オリヴィア・ヴァルデマーに
グラスの中で揺れる琥珀色の液体を、静かに見つめていた。冷たい憎しみを帯びさせて。煩くて堪らない。
酒場のにぎやかな喧騒も遠い砂嵐の音のように響く。今日でこの店に来るのも何度目だろうか。何度同じ光景を目にしたことだろう。
「ロドリゴ……!」
呟かれた名は甘美さとは程遠い、冷たい憎しみを帯びていた。全てを壊したくて仕方ない。
彼はオリヴィアの恋人、だった。新興貴族の若き騎士。金色の髪に青い瞳。絵に描いたような王子様で女性たちの誰もが憧れる存在。
また、絵に描いたように浮気を繰り返す男でもある。
(過去の私も見る目がなかったけれど、今の私も大概)
オリヴィアは前世ではごく普通の会社員だった。それがある日突然、交通事故に遭い、次に目覚めた時には剣と魔法のファンタジー世界に転生。
不幸中の幸いか転生先の肉体は、伯爵家の令嬢オリヴィア・ヴァルデマーに。恵まれた身分と美しい容姿を与えられたが、唯一の不満は恋人とやらの存在だった。
最初は転生者らしく冷静に状況を分析し、婚約を破棄しようとも考えた。しかし、倫理観と伯爵家の威信がそれを許さない。
不貞を理由に婚約を破棄すれば、ヴァルデマー家の名に泥を塗ることになる。かといって、野放しにしておくのも我慢ならない。
(どうせなら、徹底的に叩き潰してやる)
オリヴィアの唇に、うっすらと笑みが浮かんだ。夜の闇に咲く毒の花のように美しくも恐ろしい笑み。
チラリと見ればロドリゴは若い酒場の女と楽しそうにグラスを傾けていた。視線を向ける度に、女は媚びるようにロドリゴの腕に触れる。
「ねえ、騎士様。奥様は、寂しくないの?」
女がわざとらしい声で問いかけると、ロドリゴは朗らかに笑った。
「ああ、オリヴィアはな、いつでも僕を信じてくれている。僕の誇りだ」
(嘘つきめ)
冷たく呟いた。賢いと言っても所詮は、この世界だけの教育を受けただけの、井の中の蛙。到底、自分の知る倫理や概念は比べものにならない。言葉は、誰にも届かない。
翌日、ロドリゴの屋敷に使いを遣った。
「ロドリゴ様には、しばらくヴァルデマー邸に滞在していただきたく。わたくし、最近体調が優れず、心細くて」
使いの者が戻ってくると、機嫌良く快諾したという。
「オリヴィアが僕を必要とするなら、喜んで」
転生者たるオリヴィアは、知っていた。貴族社会において、婚約者の屋敷に滞在するということは、婚約関係をより深める、結婚への準備段階を意味する。
世間体もある。まんまと罠にかかった。男がヴァルデマー邸に到着した日。
「オリヴィア!君が呼んでくれるなんて、嬉しいよ」
満面の笑みで抱きついてくるのを、冷ややかに受け流した。
「ええ、あなたに相談したいことがあって」
自然に自室に招き入れた。部屋には、使用人が用意したティーセットが置かれている。
「相談とは、なんだい?僕にできることなら、何でも言ってくれ」
気前よく答える。どの口が言うか?
「はい。実は、あなたの屋敷の執事について少々気になることがありまして……ふぅ」
優雅にカップを口に運びながら言った。
「執事?ああ、ウィリアムのことか?彼は優秀な男だよ?」
「ええ、そうですが。しかし、近頃、彼の管理する帳簿に、不審な点がいくつか見つかりまして。具体的には、領地の特産品であるワインの売上が、実際の出荷量と合わないのです……」
ロドリゴは、眉をひそめた。
「まさか、ふ、不正、を?」
「私の方でも、密かに調査を進めておりました。どうやら、個人的にワインを横流しし、私腹を肥やしていたようです」
一枚の帳簿を目の前に置いたそこには、ウィリアムが不正を働いた証拠がこと細かに記されていた。
「こ、これは!なんということかっ」
ロドリゴの顔から血の気が引いた。執事の不正は財政に大きな打撃を与える。監督責任も問われる問題、大問題だ。
「なぜ、君がこんなものを?」
震える声で尋ねられた。
「ええ、留守中に、使用人たちから様々な不満を聞きまして。直接、彼らの話を聞き、調査を行ったのです」
涼しい顔で答えた。呑気に浮気相手と過ごしている間に、屋敷の使用人たちに接触し、不満を聞き出し情報を収集していたのだ。
「ウィリアムは、今、どこに?」
「ご安心ください。すでに衛兵が確保し、現在は私設牢にいます」
彼はさらに言葉を失った。私設牢。それは、貴族が私的に罪人を拘束する場所。通常は、裁判の前に一時的に使用されるが、どこか冷たい響きがあった。
「あの、オリヴィア?」
男の今から許しをこいてきそうな声を、ぴしゃりと跳ね除けた。
「それから、もう一つ、あなたにお話したいことが」
表情を変えずに続けた。
「あなたの家の私兵隊の隊長、ガストンについてです。彼は最近、あなたの命令に背き……私的な賭博に興じているとかで」
「なっ、なんだと!?」
相手は驚きに目を見開く。
「ええ。賭博で負けた借金を補填するため、一部の兵士に横領を強要しているとか。兵士たちは大変困惑しているようです。士気もガタ落ちだとか」
再び、別の帳簿を差し出した。そこには、ガストンの賭博の記録と、横領の証拠がびっしりと書き込まれている。
「ば、馬鹿な!ガストンが?」
信じられないというように呟いた。ガストンは信頼を寄せていた部下だったのだから。
「ご心配なく。彼もまた現在、私の私設牢にいます」
笑顔なのに、氷のように冷たかった。自分がオリヴィアに完全に掌握されていることに気づき、背筋に冷たいものが走る。
「オリヴィア、君は、その、一体何を」
「何を、ではありませんわ」
ゆっくりと立ち上がった。瞳は、底知れぬ闇を宿している。
「あなたは裏切りました。信頼を、踏みにじった。ヴァルデマー家の名誉を、傷つけた」
ロドリゴは、たじろいだ。
「ま、待ってくれ!それは誤解だ!僕は君をっ、違うんだ本当にっ」
「誤解?毎晩のように街の酒場で女と戯れ、嘲笑っていたではありませんか?それなのに、誤解?」
オリヴィアの声は、感情を一切含まない。それが、かえって心臓を締め付けた。
「知っていました。あなたが、どこの酒場で、どこの女とどんな言葉を交わしていたか。執事が、私兵隊の隊長が何をしていたか。全て、知っていましたよ」
ロドリゴは、顔面蒼白になった。




