第三十一話:戦域の影、宮殿の灯
最終防壁を背に、俺は一人ゲシュタールの荒野を進む。
目的地である廃鉱山は平原の北東に位置し、現在地からは対角線上の真反対だ。最短距離で突っ切れば、そこには王国軍と「偽魔軍」が激突する地獄の中央戦線が待ち構えている。
「……正気を疑われるな。迂回するぞ」
俺は中央を避け、南側の外縁を大きく回るルートを選んだ。
道中、目に入る光景は凄惨の一言に尽きた。放置された死体が腐臭を放ち、折れた剣と破れた軍旗が風に虚しく翻っている。王国軍の死体ばかりが目立つ。
(ヴィンセント……お前はどこにいる。この地獄のどこかに……)
親友の顔がよぎり、胸が締め付けられるような痛みを感じた。
日は落ち、辺りは不気味な薄暗闇に包まれる。ゲシュタール南部に広がる広大な雑木林。ここなら身を隠せる。俺は林の奥で小さな焚き火を熾し、堅い干し肉を噛み砕きながら思考を巡らせた。
(ノインやリリカは無事か。まあ、あそこにはイザベラがいる。最悪の事態にはなるまい……)
そう自分に言い聞かせ、俺は泥のような眠りに落ちた。
一方その頃――魔界・絶界宮
「いやぁぁ〜! 西門が危ないですぅ〜! ちょっと待って、あっちからも敵がいっぱい来てるんですけどぉ!」
絶界宮の回廊に、四天王リリカの情けない絶叫が響き渡っていた。
軍師グリル不在の隙を突いた敵の急襲。統制を失った宮殿内は、パニックに陥っていた。
「イザベラ様はどこに行ったのよ!」
リリスが近くの下級魔族の首根っこを掴んで怒鳴りつける。
「よ、夜の配信があるとかで、部屋にこもっておられます!」
「配信ぃ!? こんな時に何考えてんのよ! 早く呼んできなさい!」
「無理です! 近づくと叱られます!」
「くっ……! 私が行くわ!」
リリスがイザベラの部屋に辿り着くと同時に、重厚な扉が静かに開いた。
「あらリリスちゃん。どうしたの、そんなに血相を変えて」
「どうしたのじゃありません! このままじゃ絶界宮が落城しちゃいますよ!」
「はいはい、わかったから。どいて」
悠然と歩き出したイザベラは、中庭の中央に流麗な手つきで魔法陣を描き、その中心に立った。
「魔力を高める時間が必要だったのよ」
不敵な笑みをリリスに向け、彼女は詠唱を開始した。
イザベラの足元から純白のオーラが爆発的に膨れ上がり、やがてそれは宮殿全体を包み込む巨大な結界へと成長する。
結界に触れた「偽魔軍」の兵たちは、悲鳴を上げる暇もなく光の粒子となって消滅していく。
「ふぅ……とりあえず、これで大丈夫かしら」
圧倒的な力を見せつけられ、呆然とするリリス。
だが、涼しい顔をして扇子を仰ぐイザベラの額には、一筋の汗が滴り落ちていた。
(……アステリオ、早く帰ってきなさいよ。私だって、そう長くは持たないんだから……)
宮殿を守る大結界。その光の裏で、イザベラは一人、アステリオの帰還を静かに祈っていた。




