第三十話:峻険なる境界、戦場への足跡
ルカと別れ、一人になった俺は「最終防壁」へと向けて歩を進めていた。
道中、幾騎もの伝令が俺を追い越していく。その顔には焦燥と困憊が深く刻まれており、王都へ運ばれる報せが芳しくないものであることは容易に察しがついた。
防壁が視界に入る距離まで近づいた時、俺は足を止め、思案に暮れた。
これまではルカの通行証という「隠れ蓑」があった。だが、今の俺はただの素性の知れない流れ者だ。軍の最前線であるあそこを正攻法で突破しようとすれば、必ず足止めを食らう。
「……面倒だが、山を越えるか」
ここで正体を疑われ、目的を阻まれるわけにはいかない。俺は街道を外れ、要塞の両翼を支える峻険な山脈へと足を踏み入れた。
***
数時間後、俺は自分の選択を激しく後悔していた。
「断絶の門」の一部を成すこの山々は、まさに天然の要塞の名に恥じぬ険しさだった。道なき道を切り開き、垂直に近い岩壁を指先ひとつで登り詰める。かつて鍛え上げた体でなければ、とうに滑落して命を落としていただろう。
山頂付近のわずかな平地にたどり着いた俺は、荒い息を吐きながら腰を下ろした。パンパンに張った足の筋肉を叩き、疲労を散らす。
ここからなら、目指すべきゲシュタール平原の全貌を見渡すことができた。
立ち上がり、平原の方角に目を凝らす。
視界の端々で幾筋もの煙が上がり、地平の先は不気味な霞に覆われている。遠すぎて軍の動きまでは判別できないが、大地が悲鳴を上げているのを感じた。
(ヴィンセント、無事でいろよ……)
かつての友の顔が脳裏をよぎる。今は一刻の猶予もない。俺ははやる気持ちを抑え込み、重力に逆らうように急斜面を駆け下りた。
ついに、足元が険しい岩場から乾いた土へと変わる。
ゲシュタール平原。数多の英雄が血を流し、歴史の転換点となってきた呪われた地だ。親父が絶望し、ゼノスが蹂躙しようとしている世界。人間はなぜ、同じ過ちを何度も繰り返すのか。
俺は地面に地図を広げた。
王国軍の進軍経路、魔軍(偽魔軍)の伏撃ポイント、地形から導き出される最前線の位置……。かつて総帥として戦場を支配した知見をフル回転させ、地図の上に戦況を描き出す。
王国軍と遭遇しても、偽魔軍に見つかっても面倒だ。両軍の隙間を縫う「死の回廊」を最短距離で駆け抜けるルートを割り出す。
「よし、これで行こう」
俺は地図を乱暴に畳み、懐に仕舞い込んだ。
ここから先は、一歩間違えれば地獄。俺は覚悟を決め、殺気渦巻くゲシュタール平原へと一歩を踏み出した。




