第百十五話:暗雲のハルミナ、予期せぬ影
王都グランゼールの南西に位置する高台。アステリオはヴィンセントと並び、夕闇に沈みゆく不落の城塞を黙して眺めていた。かつては平和と誇りの象徴だった白亜の城壁が、今は冷徹な死を司る墓標のように見える。
「お前と二人、まさかこのような形で王都を眺めることになるとはな」
ヴィンセントが自嘲気味に笑い、隣の親友に視線を向けた。
「そうだな……」
アステリオは短く答えた。
勇者ゼニスの息子として祝福され、王国のために剣を振るうはずだった自分が、いまや魔王軍の総統として、この国を滅ぼす「死神」の役割を担っている。運命の皮肉に、胸の奥が焼けるような感覚を覚えた。
「王都からの動きはない。静かすぎるのが不気味だが、予定通り明朝、攻撃を開始しよう」
ヴィンセントはそう言い残し、自陣を整えるべく馬を返した。
一人残されたアステリオは、暗闇に飲み込まれていくグランゼールの街並みを、いつまでもただ見つめ続けていた。
一方、後方の守備を任されたハルミナ村では、イザベラが薄暗い室内で魔導水晶を覗き込んでいた。
「……どこも目立った攻撃はないわね。教団の連中、守備を一点に集中させているのかしら」
周辺の村々からの報告も、混乱に乗じた野盗の類に過ぎない。しかし、その「静寂」こそがイザベラの不安を煽っていた。アステリオたちが戦う王都の方が気になり、自分も救援に向かうべきではないかと迷いが生じ始めた、その時だった。
水晶に映し出されたハルミナ村近郊の森の端。そこに、陽炎のように揺らめく「黒い影」の集団が映り込んだ。
「……っ!? なにこれ……」
その影は一、二ではない。数十、数百という規模で、音もなく木々の間を縫うように移動している。そしてその進路は、迷いなくハルミナ村へと向けられていた。
「この村は強力な秘匿結界に守られているはず……外からは見えないはずなのに、どうして!?」
イザベラの背中に、氷のような寒気が走る。
それは教団の騎士でも、魔導師でもなかった。生きた人間が発する気配を一切持たない、絶対的な虚無を纏った軍勢。
「まさか、これがあいつらの……」
決戦を前にしたハルミナ村に、教団の毒牙が音もなく忍び寄ろうとしていた。




