第百九話:森の憤怒、翠の刃
騎士団の中でもひと際異彩を放つ巨漢、ガルバ。彼は下級貴族の出でありながら、その暴力的なまでの膂力で成り上がってきた男だ。片手で軽々と操る巨大な棍棒を振り回し、彼は戦場を蹂躙していた。
「がはははは! 殺せ、殺せ! 農民など虫けらと同じだ、まとめて踏み潰してやれ!」
ガルバの棍棒が唸りを上げるたびに、民兵の左翼が物理的に削り取られていく。彼は傷つき戦意を失った者にさえ容赦なく追撃を加え、その残虐な戦いぶりは民兵たちの心に絶望的な恐怖を植え付けた。左翼の崩壊は、もはや時間の問題かと思われた――。
その時、ガルバのすぐ隣を走っていた騎士が、音もなく馬上から転げ落ちた。それを皮切りに、周囲の騎士たちが次々と崩れ落ちていく。
「なんだ!? 何が起きてやがる!」
混乱するガルバの視界を、鋭い風の音が切り裂いた。シュッ、と空気を突く音と共に飛来した矢を、彼は反射的に棍棒で叩き落とす。睨みつけた先――そこには、ナユタ率いるエルフの精鋭たちが展開していた。
彼女たちの矢は正確無比。兜のわずかな隙間、あるいは喉元といった急所を寸分違わず射抜いてくる。神業に近いその射撃に、無敵を誇った騎士団に動揺が走る。
「うろたえるなッ!!」
ガルバが鼓膜を破らんばかりの怒号を上げた。
「間合いを詰めちまえば弓など杖代わりにもならん! 弓兵は援護しろ! 騎兵は俺に続けぇ!!」
ガルバは獲物を見つけた猛獣のような速さでナユタへと突撃を開始する。後方からの援護射撃を背に、矢の雨を追い越すほどの勢いで肉薄する。同行する騎兵たちが次々と射抜かれるが、ガルバは止まらない。
「死ねぇ、尖り耳がッ!!」
ついにその巨大な棍棒がナユタを捉えた。ナユタは瞬時に剣を抜き放ち、斜めに構えて打撃を受け流そうとするが、ガルバの剛腕はそれを上回る。凄まじい衝撃にナユタの身体は後方へと吹き飛ばされた。
その隙を逃さず、ガルバは周囲のエルフたちを次々と叩き殺していく。数名の同胞が犠牲となり、雪原に鮮血が散ったその時、体勢を立て直したナユタの全身から、森の静謐な、しかし烈火のごとき魔力が溢れ出した。
「……エルフが弓だけだと思われては、困ります」
ナユタの姿が揺らいだ。
次の瞬間、彼女の剣は「神速」と呼ぶにふさわしい速度でガルバの懐に滑り込んだ。
防戦に回ったガルバの表情が、驚愕と恐怖で引きつる。棍棒で受けることすら叶わず、閃光が一度、彼の視界を横切った。
ドサリ、という鈍い音。
ガルバの首が宙を舞い、巨大な体躯が血飛沫を上げながら馬上から転げ落ちた。
指揮官を失った騎士たちが沈黙し、逆にその勇姿を目の当たりにした民兵たちが奮い立った。
「ナユタ様に続け! 押し戻せぇッ!!」
左翼は一気に逆転し、騎士団を圧倒し始める。
だが、ナユタは勝利の叫びを上げることはなかった。彼女は戦場に倒れ伏した同胞のもとへ駆け寄り、その冷たくなり始めた手を固く握りしめた。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
戦火の中で、翠の瞳から大粒の涙が零れ落ち、雪に溶けていった。




