第九十九話:聖典の予言、巫女の沈黙
「モ、モルガウス様……いかがいたしましょう!?」
砂嵐の吹くモニターの前で、ヴェナールが狼狽え、縋るようにモルガウスへと詰め寄った。先ほどまでの傲慢な笑みは消え失せ、蛇に睨まれた蛙のように震えている。
「慌てるでない。あ奴がゼニスを連れて退いたということは、理由は分からんが、その『目的』のためにはまだゼニスが必要だということだ」
モルガウスは眉一つ動かさず、暗転した画面を冷徹に見つめていた。
「あれだけ徹底的に打ちのめしたのだ。神の力とて、回復には今しばらくの時を要する。ヴェナール、貴様はその間に『神罰の瞳』を修復し、完全なものへと昇華させるのだ」
「は、はは――っ!」
ヴェナールは弾かれたように深々と頭を垂れると、逃げるように部屋を飛び出していった。
後に残されたのは、父と娘。
重苦しい沈黙の中、モルガウスはいつになく穏やかな、慈しむような声音でリナへと語りかけた。
「リナよ、案ずることはない。我らの聖典には、あの少年の出現も、その強大さもすべて記されている。時さえ稼げれば、何の問題もないのだ」
「お父様……」
「リナ。何としても、アステリオを動かすのだ。彼を戦場へ引き出し、時を稼げ。それが、世界を救済するための唯一の道だ」
リナは唇を噛み、何かを言いかけ――だが、その言葉を喉の奥で飲み込んだ。父の瞳の奥にある、狂信的で揺るぎない「確信」を前にして、娘の言葉はあまりに無力だった。
「……期待しているぞ、リナ」
そう言い残し、モルガウスは静かな足取りで部屋を後にした。
一人、教団本部の冷たい静寂に取り残されたリナは、窓の外に広がる王都の夜景を見つめていた。
脳裏に浮かぶのは、建築士「ジン」として、不器用ながらも優しく微笑んでいたアステリオの顔。
(アステリオさん……私は、あなたを……)
欺き、利用し、戦場へと誘わなければならない。それが父の命であり、自分の宿命。
だが、リナの瞳には、父が説く「救済」への疑念と、愛する男を地獄へ引きずり込むことへの深い絶望が、雪解けを待つ氷のように張り付いていた。




