第九十三話:凍土の焚き火、師弟の距離
北の果て、一年中雪が止むことのない険しい霊峰の洞窟。
外の荒れ狂う吹雪の音を遠くに聞きながら、ノインは小さな焚き火の前に座り、必死に指先を見つめていた。
「……だめだ、また消えちゃった」
ノインの掌の上で、淡く輝いていた「魔王の火」が、一瞬の揺らぎと共に煙となって霧散する。
己の内側に眠る強大な力を、針の穴を通すような緻密さで制御する訓練。それは、ただ力を解き放つよりも何百倍も体力を削る作業だった。
「焦る必要はありません、ノイン様。貴方の魂は、まだその巨大な器に馴染もうとしている最中なのですから」
グラシャが静かに、スープの入った鍋を火にかけた。美女の姿をとった彼女の仕草は、どんな場所にあっても優雅で、どこか浮世離れしている。
「でも、グラシャ。早くできるようにならないと、パパを助けられない。僕、みんなを守れるくらい強くなりたいんだ」
ノインが膝を抱えて俯くと、グラシャはふっと柔らかな笑みを浮かべた。彼女はノインの隣に腰を下ろすと、冷え切った彼の小さな手を、そっと自分の両手で包み込む。
「冷たいですね。……少し、休みましょう。修行と同じくらい、休息も大切な『教え』ですよ」
グラシャの手は、冷たい雪山には似合わないほど温かかった。
数千年の時を生きる彼女にとって、人間や魔族の寿命は瞬きのようなものだ。かつてのアステリオス神に仕えていた頃の彼女なら、未熟な子供にこれほど寄り添うことはなかっただろう。だが、ひたむきに「誰かのために」と願うノインの純粋さは、古の魔獣の乾いた心に、不思議な潤いを与えていた。
「ねえ、グラシャ。……僕、時々怖くなるんだ。僕の中にあるこの力が、いつか僕じゃなくなっちゃうんじゃないかって」
「……その時は、私が貴方を呼び戻して差し上げます。たとえ貴方が世界の果てまで迷い込んでも、このグラシャが必ず見つけ出しましょう。約束です」
グラシャはそう言って、ノインの頭を慈しむように撫でた。
主従でもなく、ただの師弟でもない。過酷な修行の日々の中で、孤独な魂を持つ二人の間には、血の繋がりを超えた「家族」に近い絆が芽生え始めていた。
「……うん。グラシャがいてくれるなら、僕、頑張れる」
ノインは温かいスープを受け取ると、少しだけ表情を和らげた。
焚き火の爆ぜる音が、二人だけの静かな空間を温めていく。
春が来る頃、この小さな肩にどれほどの重責がのしかかるかを知りながら、グラシャはただ、穏やかな眼差しで少年を見守り続けていた。




