第九十二話:春を待つ嵐、それぞれの不文律
村の境界を覆う不可視の結界――その内側から、延々と続く王国兵の行進を眺め、ガリウスは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「あいつら……生きては帰れねぇだろうな」
地響きを立てて北へ向かう軍靴の音。その先に待つのが、かつての「最強」を超越したゼニスという名の絶望であることを、彼は身をもって知っている。
隣に立つイザベラが、静かに頷いた。
「いくら王国に恨みがあっても、あんなの見せられたら同情しちゃうわね。……いい、ガリウス? 間違っても助けになんて行こうと思わないでよ。あんたには、この村とアステリオのお母様を守るっていう大事な役目があるんだから」
「……分かってるよ。分かってるってんだろ」
ガリウスは力なく首を振った。武器を手に死地へ向かう「騎士」の背中を見捨てることが、彼という男にとってどれほどの屈辱か。それでも彼は、親友との約束を果たすために、その衝動を握り潰した。
遠く離れた絶界宮。アステリオの元にも、王国の不可解な大移動の報せは届いていた。
「親父が……また、殺しを繰り返すのか」
拳を震わせ、今にも飛び出さんとする主の肩を、リリスが鋭い眼差しで制した。
「ヴェイル様……今は動く時ではありません。勝手な行動は、絶対に慎んでくださいね?」
「……分かっている。まだノインも、グラシャも戻っていない。今、俺がうかつに動けば、すべてが台無しになる」
アステリオは絞り出すようにそう答えたが、リリスは「それならいいんですけどね~」と、疑うような目でじろりと彼の顔を覗き込んだ。
俺はその視線を逃れるように、窓の外、北に連なる険しい山脈を見上げた。ノイン……あの子は、今この瞬間も、自分を救うために必死に力を抑え込もうとしているのだ。
一方、静謐なエルフの里。
数ヶ月に及ぶ療養を続けていたヴィンセントは、ついにその身に銀の甲冑を纏い、出立の準備を整えていた。雪が解け始める春を待たず、彼はガリウスたちとの合流を決意した。
傍らにはナユタ、そして一族の中から選び抜かれた精鋭たちが、静かに、だが決然と弓を整えている。
「ナユタ……すまない。君たちまで、この泥沼に巻き込んでしまって」
ヴィンセントの沈痛な言葉に、ナユタは揺るぎない瞳を返した。
「いいえ。これは私たちが愛する森、そしてこの世界の命運に関わる問題です。ヴィンセント様、共に参りましょう」
冬の終わりを告げる冷たい風が、彼らの旅立ちを祝うように吹き抜けた。
散り散りになっていた「勇者の欠片」たちが、運命に導かれるように再び一つの場所へと引き寄せられてゆく。




