第六十六話:崩落の聖域、紅蓮の叛逆
絶界宮を揺らす怒号と、凍てつく風の唸り。
そんな城内の喧騒を他人事のように聞き流しながら、ノインはどこか落ち着き払った足取りで、薄暗い回廊を歩いていた。
「なんだか、みんな大変そうだな。……リリスはどこに行ったんだろう?」
首を傾げながら角を曲がると、前方で必死に壁の魔法陣へ魔力を注ぎ込んでいるリリスの後ろ姿が見えた。
「リリスー!」
ノインはいつものように、無邪気な笑顔で大きく手を振った。
だが、その声に応えて振り返ったリリスの表情は、歓喜ではなく、恐怖によって一瞬で凍りついた。
「ノイン様ッ!!!!!!!! ……な、何をしてるんですか、ここで!?」
リリスの絶叫に近い問いに、ノインは不思議そうに目を瞬かせた。
「うん。お外がうるさいし、何が起きてるのか誰も教えてくれないから。気になって見に来たんだ」
「駄目じゃないですか! あんなに部屋から出るなって……! 早く、早く戻ってください!」
リリスが詰め寄り、ノインの小さな肩を掴んで押し戻そうとした、その刹那だった。
――ドォォォォォォォォン!!
鼓膜を直接叩き割るような衝撃音と共に、絶界宮の堅牢を誇った城壁が、紙細工のように無残に吹き飛んだ。
結界の破片が火花を散らして霧散し、廊下には殺人的な吹雪と、鉄錆の匂いを含んだ熱風が流れ込む。
「えぇえええ! ちょっと、まずいんですけどーっ!!」
リリスの悲鳴が、爆音にかき消される。
崩落し、瓦礫の山となった城壁の向こう側。そこから、雪崩のように「敵」がなだれ込んでくるのが見えた。
それは、あの日王都を襲ったゼニスの軍勢でも、人間たちの騎士団でもない。漆黒の鎧を纏い、禍々しいオーラを放つ――同胞であるはずの「魔族」の精鋭たちだった。
「止めて! 侵入を許さないで!!」
リリスが必死に叫ぶ。
周囲にいた絶界宮の守備兵たちが、主と少年を守るべく、一斉に敵軍へと躍りかかった。だが、その忠義も虚しく、先頭を突き進む「一人の影」が振るった一撃によって、彼らは一瞬のうちにゴミ屑のように吹き飛ばされた。
舞い上がる土煙を切り裂き、侵入したその影が、ゆっくりとこちらを向く。
その姿、その威圧感、そして何よりその双眸に宿る冷徹な光を捉えた瞬間。
リリスの顔から血の気が失せ、指先がガタガタと震え始めた。
「…………っ、……グリル……様」
そこに立っていたのは、かつてアステリオの右腕として共に絶界宮を支え、ノインを誰よりも慈しんでいたはずの、あのグリルだった。
だが、今の彼が纏っているのは、かつてのような実直な騎士の覇気ではない。深淵の底から這い出してきたような、すべてを拒絶する「死」の気配だった。




