第六十話:腐食の母性、断絶の対峙
ガリウスの目の前で、漆黒の槍が乱れ飛ぶ。
突き刺さった先から白い大地がドロリと溶け、底の見えない「奈落」が口を開けていく。逃げ場はもうない。背後には崩落し続ける虚無、腕の中には震える幼きイザベラ。
ガリウスは崖っぷちに踏み止まり、背中の少女を庇うようにして、悠然と佇む「母親」と対峙した。
「……おい。あんた、正気かよ」
ガリウスの声は低く、地を這うような怒りに満ちていた。
「なぜ自分の娘を、ここまで追い詰められる。こいつが、あんたに何をしたって言うんだッ!」
その問いに、女は小首を傾げた。
吸い込まれるような美貌を歪ませ、まるで初めて聞く言葉を咀嚼するように、唇をゆっくりと動かす。
「……私の、娘?」
女はフッ、と嘲笑を漏らした。その瞳には、慈しみはおろか、憎しみという名の熱さえ宿っていない。そこにあるのは、ただひたすらな「自己愛」という名の渇きだけだった。
「ああ……。そういえば、この子を産んだせいで、私はあんな冴えない男と結婚する羽目になったんだったわ」
女は自分の白く細い指先を眺め、愛おしそうに撫でる。
「私の美貌、私の才能、私の輝かしい未来……。すべて、この子が奪っていったのよ。この子が生まれなければ、私は今でも王宮の華として、世界中の称賛を浴びていたはずなのに」
女の言葉が吐き出されるたび、降り注ぐ黒い槍の勢いが増していく。
それは彼女の放つ魔力ではない。母親という呪縛から逃れられないイザベラの「絶望」が、自らを貫く刃となって降り注いでいるのだ。
「……こいつは、何を言ってやがる……」
ガリウスは愕然とした。
目の前にいるのは、かつてイザベラを泣かせていた母親の幻影。だが、その言葉の刃はあまりにも鋭く、あまりにも無慈悲に、背中の少女の心を切り刻んでいく。
「あんたの人生が上手くいかなかったのを、子供のせいにしてんじゃねぇぞ……ッ!」
ガリウスの瞳が、怒りで赤く燃え上がった。
幻術の通じない彼の目には見えていた。この「母親」の正体が、ただの思い出の残滓ではなく、イザベラの心に巣食い、彼女の命を啜り続けてきた「本物の怪物」であることを。
「イザベラ、聞くな。こんなクソ女の戯言、一言も聞くんじゃねぇぞ!!」
ガリウスは地を蹴った。
奈落の縁を、崩れゆく足場を、彼は迷いなく突き進む。
目指すは、毒を吐き続けるその麗しき貌の真ん中――。




