第五十九話:蝕まれる白、拒絶の黒雨
「いいから来いッ! つべこべ抜かすな!」
嫌がって腕を振り払おうとする幼いイザベラを、ガリウスは半ば強引に抱え上げた。その細い手首を掴む掌には、無骨ながらも決して離さないという執念が籠もっている。
真っ白な虚無の中を、出口を探して突き進む。だが、数歩も行かないうちに、背後の「白」が急速に塗り潰されていくのを感じた。
――ゾクり。
背筋を走った凍りつくような悪寒。ガリウスは直感的に横へ跳んだ。
直後、彼がいた場所を這いずるような「黒い影」が通り過ぎる。影が触れた白い地面は、まるで強酸を浴びたように黒くただれ、底の抜けた闇へと崩れ落ちていった。
振り返れば、あの「母親」の形をした異形が、口角を吊り上げて嗤っていた。その瞳には慈しみなど欠片もなく、ただ娘の魂を、共に虚無へ道連れにしようとする濁った執着だけが渦巻いている。
「……ッ、このアマ……!」
その瞬間、天地が激しく鳴動した。
純白だった空が、一瞬にして墨を流したような漆黒に染まり、天を覆い尽くす。
そして、その「黒い空」から、音もなく無数の槍が降り注いだ。
シュッ、シュッ!! と、空気を切り裂く不吉な音。
ガリウスは咄嗟にイザベラを背負い直し、岩のような筋肉を極限までしならせて、黒い雨の間を縫うように駆けた。
ドスッ、ドスッ!!
背後で、降り注いだ黒い槍が地面を貫く。刺さった箇所から腐食が広がり、足場が次々と崩落していく。この精神世界そのものが、主であるイザベラの自己嫌悪に呼応して、自分自身を消滅させようとしていた。
「なんて魔力だ……。これが全部、アイツの心の重さだってのかよ!」
ガリウスの額から、大粒の汗が流れ落ちる。
身体が重い。精神世界特有の、魂を直接削り取られるような疲労が彼を襲う。
だが、背中で震える小さな体温を感じるたびに、ガリウスの瞳には鋭い光が宿った。
「見てろ、イザベラ。こんな安っぽい幻覚も、腐った槍も……全部俺が叩き潰してやる!!」




