第五十七話:精神の深淵、白き孤独
「おい!! 一体どうすりゃいいんだよッ!」
ガリウスの怒声と共に、近くにあった木製の椅子が凄まじい音を立てて砕け散った。壁まで吹き飛んだ破片を横目に、神官たちは顔を引きつらせる。
「落ち着いてくれよ旦那! 暴れたって状況は変わらねぇ!」
慌てて詰め寄るガリウスを、数人の神官が必死になだめる。荒い息を吐きながら、ガリウスは血走った目で彼らを睨みつけた。
「……手がないわけじゃないんだろ。だったら早く言いやがれ!」
「……彼女が自分でこちらの世界に来るのを拒んでいる以上、ただ待っていたって、やがて器……つまり身体の方が死んじまう。心と身体が完全に切り離される前になんとかするなら……」
神官はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めたように言った。
「誰かが彼女の『精神世界』に飛び込むしかない」
「じゃあ俺が行く。今すぐやれ」
ガリウスは、迷いの一片すら見せずに即答した。そのあまりの決断の速さに、神官のほうが面食らった。
「簡単に言うなよ! 精神世界に入るってことは、あんた自身の魂も身体から引き離すってことだ。下手をすれば彼女と一緒に、あんたまで帰ってこれなくなるんだぜ?」
「……構わんと言ってるだろ。早くしろ」
ガリウスの揺るぎない双眸に見据えられ、神官の顔から金への卑しさが消えた。彼は感銘を受けたように、深く頷いた。
「……旦那、あんたは男の中の男だ。商売抜きで、あんたという漢に惚れたぜ。……準備しろ!」
神官たちがイザベラの寝台を囲み、古の言語で重厚な詠唱を開始した。部屋の中に、現実の理をねじ曲げるような紫光の奔流が渦巻く。
「いいか旦那、精神世界に入ったらすぐにイザベラさんを探すんだ。そして何としても彼女を……口説き落として連れ戻せ。時間はないぞ、主を失った身体は長くはもたねぇ!」
「……わかった」
ガリウスは短く応じ、重い瞼を閉じた。
瞬間、暗闇の中で、幼い頃の記憶から今に至るまでの光景が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
――身体が熱い。
血管を溶岩が流れているかのような、灼熱の感覚。自分の存在が希釈され、世界の境界線が溶けていく。
(……これが、魂が抜ける感覚か……!)
意識が遠のき、視界が眩い白一色に染まった。
全ての音が消え、ただ耳元で微かな「風のささやき」だけが聞こえる。
ガリウスは、ゆっくりと目を開いた。
「……ここは……」
そこには、天地の境目すら定かではない、どこまでも続く「白い世界」が広がっていた。
冷たく、何もかもが欠落した空間。
それが、他人に囲まれながらも、誰にも心を開かずに生きてきたイザベラの孤独の深淵だった。
だが、ガリウスの「瞳」は、その虚無の中にある「違和感」を逃さなかった。
幻術の通じない彼の視界には、白い世界の奥に揺らめく、微かな、けれど確かな「赤い影」が映っていた。




