第五十五話:真実を射抜く瞳、静寂の聖域
神官たちの手によって、イザベラの治療が始まった。
部屋の隅々まで満たす淡い燐光と、幾重にも重なる詠唱の旋律。最前線で戦い続けてきたガリウスにとって、その光景はどこか現実味を欠いた、あまりにも静かなものだった。
「……ふぅ」
イザベラの顔に微かな赤みが戻り始めたのを見届け、ガリウスはようやく一つ、深い息を吐いた。張り詰めていた筋肉が少しずつ弛緩し、熱を帯びていた頭が冷えていく。
落ち着きを取り戻した彼が、ふと窓の外へ目を向けた時――ある違和感に気づいた。
「……おい。この村、どうなってる?」
独り言のように漏らした言葉に、治療の補助をしていた老村人が歩み寄ってきた。
外は、あの地獄のような戦火の真っ只中のはずだ。だがこの村には、魔軍の影はおろか、争いの爪痕一つ残っていない。あまりにも不自然なほどの平穏。
「ああ、旦那。ここは『神隠しの里』と呼ばれてましてね。神官様たちが張った強力な結界のおかげで、外からはただの深い霧に包まれた崖にしか見えないんですよ。魔物共も、ここには何もないと思って通り過ぎていくんですわ」
「外から見えない……? 結界だと?」
ガリウスは眉をひそめた。
彼はここへ来るまで、一切の迷いなくこの村の門を叩き、道を歩く者たちを捕まえてきた。霧に包まれた崖など、一度も目にしなかった。
「……馬鹿な。旦那、あんたどうやってここへ入ってきたんです? この結界は、人の認識を狂わせる高度な幻術も兼ねているはずですが……」
老村人が目を見開いて後ずさる。
ガリウスは自分の大きな掌を見つめ、それから再び静かな村の景色を眺めた。
「俺には、普通に村が見えていたぞ。霧なんて欠片もなかった。……ただ、少し空気が歪んでるようには見えたがな」
ガリウスは、自分の特殊な資質に改めて直面していた。
幼い頃から、彼は騙し絵や蜃気楼の類に一度も惑わされたことがなかった。修行を積み、極限まで肉体を練り上げた結果、彼の五感は「本質」のみを捉えるまでに研ぎ澄まされていたのだ。
ガリウスの目には、幻術は通じない。
鏡に映った虚像も、魔力が作り出した偽りの景色も、彼の瞳を欺くことはできない。その事実は、この欺瞞に満ちた戦争において、大きな意味を持つことになる。
(……あの親父、ゼニス・レイ・ブレイバー)
ふと、王都の門前で見た伝説の勇者の姿が脳裏をよぎる。
あの時感じた、えも言われぬ違和感。もしあれが、ただの力による暴力ではなく、何か別の「理」に基づいたものだとしたら――。
「……次に会う時が楽しみだぜ、勇者様よ」
ガリウスは低く笑い、拳を固く握りしめた。
彼だけが持つ「真実を射抜く瞳」が、後にゼニスの隠された正体を暴くための、唯一の希望となることを、今の彼はまだ知らない。




