第七話 ミルキーちゃんの力
ミルム聖堂の前には、朝から大勢の人が集まっていた。
旅装の夫婦や、大きな荷物を背負った商人。杖を手にした巡礼者に、楽器の箱を抱えた若者たちまでいる。
聖堂へ入っていく者もいれば、正面の階段で手を合わせている者もいた。町そのものはそれほど大きくないと聞いていたが、ここだけを見るとかなりの賑わいだ。
「ここが聖堂か」
フミタロウは建物を見上げた。
「結構、人多いな」
「そうですね。旅をされている方が多いみたいです」
ミルキーも周囲を見回している。
聖堂と聞いて、フミタロウは尖った屋根や鐘楼のある教会を想像していた。
だが、目の前の建物は少し違う。
白い石で造られた巨大な聖堂には、丸みを帯びた大屋根と複数の塔があり、フミタロウには異国の宮殿か寺院のように見えた。
正面の壁には、翼を広げた天使と横笛を組み合わせた紋章が掲げられている。
「音楽関係の人だけが来る場所かと思ってました」
サンキチが言った。
「旅人の安全祈願でも有名らしいで」
フミタロウは昨日、ナミアから聞いた伝承を思い出した。
まだミルムという町すらなかった頃、病に倒れた旅人の前へ天使が現れ、笛の音で命を救った。
その話が残っているため、この聖堂には楽士や吟遊詩人だけでなく、旅人たちも多く訪れるらしい。
「皆さん、お待たせしました」
聖堂の入口から、クリフトスが姿を現した。
昨日と同じ上質な旅装だが、今日は胸元に音楽神を示す紋章をつけている。
「中へどうぞ。クラウド様がお待ちです」
三人はクリフトスに続いて聖堂へ入った。
*
扉をくぐった瞬間、フミタロウは思わず足を止めた。
「……すごいな」
内部は、巨大な円形ホールになっていた。
高い天井の中央から大きな灯籠が吊り下げられ、壁面には二階、三階へ続く回廊が巡っている。その手すりにも、音符や翼を模した細かな彫刻が施されていた。
さらに目を引いたのが、壁一面を埋める楽器だった。
横笛や縦笛、弦楽器、太鼓、角笛。それに、フミタロウには名前すら分からない奇妙な形の楽器まで、年代も材質も違う品々が整然と飾られている。
「なんなんですか、これ」
サンキチも圧倒されたように見回していた。
「あはは。驚きましたか?」
クリフトスは少し誇らしそうに笑った。
「楽器の上達を願う人や、上達したことへの感謝を捧げる人たちが、自分の愛用品を奉納したものです」
「全部、本物なんですか?」
ミルキーが、壁に飾られた銀色の笛を見上げる。
「中には歴史的な価値を持つものもあります。有名な楽士が生涯使い続けた楽器や、王家から奉納された品もありますよ」
「それ、盗まれたりしないんですかね」
サンキチが小声で言った。
クリフトスは周囲を確認し、少し声を落とした。
「ここだけの話ですが、特に高価な品については複製を展示しているものもあります」
「やっぱり」
「昔、盗賊団に狙われたことがありまして」
その時、盗賊たちが持ち去った楽器には、目立たない印と追跡用の魔法が仕込まれていたという。
遠く離れた町で売ろうとした瞬間、居場所が判明し、盗賊団は一人残らず捕まった。
「その事件も、この辺りでは神の御業として語られています」
「仕掛けたの、聖堂の人なんですよね?」
「はい」
「それ、神の奇跡でええんかな」
フミタロウは首を傾げた。
自作自演という言葉が一瞬浮かんだが、口には出さなかった。
こういう場所で余計なことを言うと、本当に何か罰が当たりそうな気がする。
都合の悪い時だけ、フミタロウは信心深かった。
「ようこそ、お越しくださいました」
奥から穏やかな声が聞こえた。
一人の老人が回廊の向こうから歩いてくる。
白髪で、質のよい法衣をまとっていた。手には短い杖を持っている。背はそれほど高くないが姿勢はよく、柔らかな目をしていた。
「話はクリフトスから聞いております。私は、この聖堂の守り人を務めておりますクラウドと申します」
老人は三人へ丁寧に頭を下げた。
「昨日は、珍しく、たいへん美味しい魚をいただきまして」
最初の話題が魚だった。
「ありがとうございました。ミルムでは魚を扱う旅人が少ないもので、できましたら今後も定期的にお越しいただけると嬉しいのですが」
どうやらフミタロウたちは、魚を売り歩いている一行だと思われているらしい。
「いや、俺らは別に魚屋というわけでは……」
そこまで言いかけて、フミタロウは考え直した。
聖堂の偉い人と仲良くなっておいて損はない。
「聖クラウド様に喜んでいただけたなら何よりです。また機会があれば、お届けさせていただきます」
「私は、ただのクラウドですよ」
老人はおかしそうに笑った。
「聖クラウドと呼ばれるのは、我が一族の祖先であり、この聖堂を開いた人物だけです」
「あ、これは失礼しました」
「いえいえ。よく間違われますので」
まったく気にした様子はない。
人のよさそうな老人だった。
「クラウド様」
クリフトスが静かに割って入った。
「魚のお話も大切ですが、そろそろミルキーさんの力を確認していただけますか?」
「おお、そうでした」
クラウドが額へ手を当てる。
「魚に夢中で忘れておりました」
聖堂の守り人として、それでいいのだろうか。
もっとも、フミタロウも魚と酒を前にすれば似たようなものである。
「それでは、こちらへ」
クラウドは円形ホールの中央を示した。
*
聖堂の中央には、床より一段高くなった円形の台座があった。
表面には幾重もの円と音楽記号を組み合わせた魔法陣が刻まれ、その外周には拳ほどの大きさをした十二個の魔石が等間隔に配置されている。
「ここに立つんですか?」
ミルキーが尋ねた。
「はい」
クラウドが頷く。
「この台座は、音に含まれる魔力を測るためのものです」
クリフトスが、昨日使っていた横笛を取り出してミルキーへ渡した。
「緊張せず、好きな曲を演奏してください」
「好きなように……」
ミルキーは笛を受け取った。
昨日は、焚き火を囲んだ仲間たちの前で吹いただけだった。
だが今日は、巨大な聖堂のど真ん中である。
クラウドとクリフトスだけではなく、周囲を行き交っている参拝者たちも、何が始まるのかとこちらを見ていた。
緊張するなという方が無理な話だろう。
「大丈夫です」
クリフトスが安心させるように微笑んだ。
「うまく演奏しようと考える必要はありません。あなたが音楽を楽しめば、それで十分です」
「はい」
ミルキーは小さく息を吸い、笛を口元へ運んだ。
最初の音が、円形ホールへ響く。
澄んだ音色だった。
高い天井へ昇り、壁に並ぶ楽器の間を抜けるように、静かに聖堂全体へ広がっていく。
すると台座の周囲に置かれていた魔石が、一つ、また一つと淡い光を放ち始めた。
「おお」
サンキチが身を乗り出す。
魔石は曲の強弱に合わせるように、明るくなったり暗くなったりしていた。
さらに、ゆっくりと動き始める。
「なんか、ネオンサインみたいできれいですね」
サンキチが感心したように言った。
「だな、パチンコ屋みたいや」
「……似てますね」
二人で妙に納得する。
芸術的な場所に来ても、発想は大して変わらなかった。
「お二人とも、もう少し静かにしてください」
ミルキーが演奏の合間にちらりとこちらを見る。
「すいません」
「ごめん」
二人は素直に黙った。
光る魔石は、ミルキーを中心に円を描き始めていた。
内側を速く巡るものもあれば、外側をゆっくり動くものもある。互いにぶつかることなく、それぞれが違う軌道を描き続けていた。
「曲に含まれる魔力が多いほど、魔石の動きは大きくなります」
クリフトスが小声で説明した。
「また、軌道の安定性を見ることで、演奏者がどれだけ魔力を制御できているかも分かります」
魔石の光は少しずつ広がっていった。
ただ大きく動いているわけではない。
ミルキーの演奏へ寄り添うように、滑らかな円を描いている。
「ほう」
クラウドが感心したように目を細めた。
「魔力量そのものが、飛び抜けて多いというわけではありません」
「そうなんですか?」
サンキチが尋ねる。
「しかし、この軌道は実に美しい。魔力にほとんど乱れがなく、音の一つ一つが正確につながっております」
「昨日聞いた時も、非常に澄んだ魔力だと感じました」
クリフトスも頷いた。
「やはり、魔力の制御に優れている」
フミタロウは、なぜか少し嬉しくなった。
自分が褒められているわけではない。
それでも、同じパーティーの仲間が評価されるのは悪い気がしなかった。
やがて、ミルキーの演奏する曲が変わった。
「あれ?」
サンキチが顔を上げる。
それまで演奏していたのは、静かなクラシック音楽だった。
今度の曲は違う。
元の世界で流行していた、明るく親しみやすい歌だった。
フミタロウにも聞き覚えがある。
「ああ、これ知ってる」
サンキチが小さな声で旋律を口ずさみ始めた。
フミタロウも、つられるように合わせる。
ミルキーが二人の声に気づいた。
それまで少し緊張していた表情が緩み、楽しそうに目を細める。
その瞬間だった。
十二個の魔石が、一斉に台座を離れた。
「え?」
光を放ちながら、空中へ浮かび上がる。
それまで床の上を平面的に動いていた魔石が、高く、低く、笛の旋律に合わせて立体的に舞い始めた。
音が高くなれば光も昇り、旋律が跳ねれば魔石も弾む。
フミタロウたちの歌声が重なるたび、軌道はさらに複雑になっていく。
それでも、魔石同士は一度もぶつからなかった。
ミルキーを中心に、いくつもの光の輪が広がっていく。
「これは……」
クリフトスの顔から、それまでの余裕が消えた。
「クラウド様。私は、このような動きを見たことがありません」
「私もです」
クラウドも驚きを隠せていない。
「少なくとも、私が知る記録の中には、このような現象は残っておりません」
クリフトスは、演奏するミルキーを見つめる。
「もし、伝承にある『聖なる力を持つ者』という言葉に意味があるのなら……」
一度言葉を切った。
「彼女のことなのかもしれません」
曲が終わった。
最後の音が聖堂の中へ溶けていき、空中を巡っていた魔石も光の余韻を残しながら、ゆっくりと元の位置へ戻っていく。
一瞬、円形ホールが静まり返った。
やがて演奏を聞いていた参拝者の一人が拍手をする。
それに続いて、もう一人。
ほどなくして、大きな拍手が聖堂を満たした。
ミルキーは何が起きたのか分からないという顔で、笛を胸元へ抱いていた。
*
演奏が終わったあと、四人は聖堂の応接室へ案内された。
中央には丸い卓が置かれ、壁には古い楽譜や楽器の設計図が飾られている。
クラウドは、あらためてフミタロウたちの事情を聞いた。
異世界から召喚されたこと。
それぞれに職業と加護が与えられたこと。
そして、ミルキーの加護が『音感の加護』であること。
「なるほど」
クラウドは深く頷いた。
「音感の加護を持つ召喚者でしたか。それならば、先ほどの現象にもある程度の説明はつきます」
「本当に、加護の力なんですか?」
ミルキーが尋ねた。
「おそらくは」
クリフトスが答える。
「単に音を正確に聞き取るだけではないのでしょう。音と魔力の流れを、感覚的に理解する力なのかもしれません」
「私は、いつもどおり演奏しただけなんですけど」
「だからこそ価値があるのです」
クラウドが言った。
「意識して魔力を操ったわけでもないのに、あれほど正確に音へ乗せることができる」
そう言うと、クラウドは席を立った。
「少々、お待ちください」
部屋の奥へ入り、しばらくして細長い木箱を抱えて戻ってくる。
古い箱だったが、丁寧に手入れされていることが一目で分かった。
表面には、翼を広げた天使と音符を組み合わせた紋章が刻まれている。
クラウドは箱を卓の上へ置き、ゆっくりと蓋を開いた。
中に収められていたのは、一本の横笛だった。
白銀に近い淡い色をしており、表面には蔓草や羽根を模した細かな文様が刻まれている。ところどころに、透明な石のようなものも埋め込まれていた。
それを見た瞬間、クリフトスの姿勢が変わった。
「天使の笛……」
ミルキーが息を呑む。
「これが、町の伝承に出てくる?」
「はい」
クラウドは笛を見つめた。
「聖クラウドが天使様より授かり、我が一族が代々守ってきたものです」
先ほどまで魚の話をしていた老人と同じ人物とは思えないほど、その表情は厳かなものになっていた。
「ミルキー様」
クラウドは、笛を両手で差し出した。
「この天使の笛を、お持ちください」
「え?」
「魔王討伐の旅において、きっとあなたの力になるでしょう」
ミルキーはすぐには手を伸ばさなかった。
「そんな大切なものを、私なんかが受け取っていいんですか?」
「そのために、我が一族は守り続けてきたのです」
クラウドは穏やかに微笑んだ。
「天使様は、聖なる力を持つ者が現れる時まで、この笛を伝え、守れとお命じになったと伝わっています」
「でも……」
ミルキーは笛を見つめた。
「私が、その人なのかも分からないですよね」
「その通りです」
クラウドはあっさりと認めた。
ミルキーが少し驚いた顔をする。
「私にも断言はできません。何百年も前の伝承ですからな」
老人は、台座で起きたことを思い出すように目を細めた。
「ですが、この聖堂で今まで誰も起こしたことのない現象を、あなたは起こした。そして天使様の言葉が真実であるならば、笛を託すべき時が来た可能性があります」
「……」
「我々が恐れて笛を守り続けるだけでは、伝承を受け継いできた意味もありません」
ミルキーはしばらく黙っていた。
「私に魔王を倒せるか、自信はありません」
小さな声だった。
だが、逃げようとしているようには聞こえなかった。
「でも、できることは頑張ります」
ゆっくりと両手を伸ばし、天使の笛を受け取る。
「魔王を倒せたら、必ずこの笛をお返しします」
「その時は、町を挙げてお迎えいたしましょう」
クラウドは孫でも見守るような目で微笑んだ。
「どうか、無事に戻ってきてください」
「はい」
「それから、もう一つお願いがあります」
クラウドがクリフトスを見る。
「クリフトス」
「はい」
「ミルキー様に同行しなさい」
「え?」
フミタロウとサンキチが同時にクリフトスを見た。
「彼は、この聖堂でもっとも優れた魔楽士の一人です」
クラウドは三人へ説明する。
「この世界についての知識もあり、音楽と魔法の扱いにも長けています。皆様の旅に、必ず役立つでしょう」
「承知しました」
クリフトスは迷わなかった。
ミルキーの前へ進み、その場に片膝をつく。
「この命に代えましても、あなたをお守りいたします」
「ええっ」
ミルキーが完全に困った顔になった。
いきなり何百年も守られてきた笛を渡され、そのうえ優秀な魔楽士までついてくることになったのだ。
助けを求めるように、フミタロウとサンキチを見る。
「ええんちゃう?」
フミタロウは腕を組んだ。
「俺ら、この世界のこと全然知らんし。詳しい人がおってくれるんはありがたい」
「僕も賛成です」
サンキチも頷く。
「クリフトスさんなら、魔法のことも教えてもらえそうですし」
「では……よろしくお願いします」
ミルキーはまだ戸惑いながら、クリフトスへ頭を下げた。
「こちらこそ」
クリフトスが立ち上がる。
「ただ」
フミタロウが口を挟んだ。
「命に代えるんは、ほんまに必要な時だけにしといてな」
クリフトスがこちらを見る。
「簡単に死なれたら、こっちも困るから」
「……分かりました」
クリフトスは真面目な顔で頷いた。
「肝に銘じます」
こうして、戦力外と判断された三人で始まったパーティーは、四人になった。
しかも新しく加わったのは、ミルム聖堂でも高く評価される魔楽士だった。
成り行きというものは、時々とんでもなく都合よく転がるらしい。
*
聖堂を出ると、昼の日差しが町を明るく照らしていた。
ミルキーは天使の笛が入った細長い箱を、大切そうに抱えている。
クリフトスは少し離れたところで、クラウドや聖堂の者たちへ旅立ちの挨拶をしていた。
「いやあ」
サンキチが、しみじみと言った。
「ミルキーさんの力、すごかったですね」
「ほんまやな」
フミタロウも頷く。
「一気に、この世界の重要人物っぽくなったな」
「やめてください」
ミルキーは恥ずかしそうに首を振った。
「まだ笛を受け取っただけですよ」
「その笛を渡せそうな人がおらんかったから、何百年も守られてたんやろ?」
「そうですけど……」
ミルキーは箱を抱え直した。
嬉しいというより、責任の重さに戸惑っているようだった。
「俺とサンキチくんも頑張らんとな」
「そうですね」
サンキチが頷いた。
「魚釣りの加護も、思ってたより役に立ちましたし」
「役に立ちすぎて魚なくしかけたけどな」
「もう釣りすぎませんよ」
「ほんまか?」
「多分」
「多分なんや」
フミタロウが笑う。
サンキチも笑ったあと、ふと何かを思い出したようにこちらを見た。
「そういえば、フミタロウさんの加護って何でしたっけ?」
「俺?」
「はい」
「漏洩の加護や」
サンキチは少し考えた。
「……何に使うんですか、それ?」
「知らん」
「全然分からないですね」
「おねしょしないとかちゃうか」
サンキチが吹き出した。
「あはは。加護なくてもしないでしょ」
「四十にもなってしてたら、別の問題やな」
ミルキーも思わず笑った。
「でも、サンキチさんの魚釣りだって、最初は何に使うのか分かりませんでしたよね」
「そうですね」
「せやろ」
フミタロウは腕を組んだ。
「まあ、そのうち分かるんちゃう」
「そんなもんですかね」
「そんなもんやろ」
今のところ本人にも、まったく見当はついていなかった。
けれど魚釣りにせよ、音感にせよ、名前だけを聞いて想像したものとは少し違う力を持っていた。
ならば、漏洩にも何かあるのかもしれない。
何が漏れるのかは、やっぱり分からないが。
フミタロウたちは新しく加わった仲間を待ちながら、昼のミルムの町を眺めていた。
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