第六十七話 奇襲
リバーナの城壁へ、人間側の猛攻が続いていた。
城門へ向かう破城槌は、すでにかなりの距離まで迫っている。矢と魔法が絶え間なく飛び交う中、アルレバレスは慌てる様子もなく戦場を見渡していた。
「……そろそろ、頃合いだな」
そう呟くと、片手を上げる。
「ゆけ」
その合図と同時に、城壁上にいた魔族たちが一斉に後方へ下がり始めた。残されたのはリザードマンと、魔王軍側についた人間兵たちだけだった。
「敵が下がったぞ! 押してる!」
人間側の前線から歓声が上がる。
だが、その様子を少し離れた場所から見ていたガレスだけは、城壁を睨んだまま表情を変えた。
「……違う」
防衛兵すべてが下がったわけではない。
消えたのは魔族だけだった。
「魔族だけ、いなくなった……」
その意味に気づいた瞬間、ガレスはすぐに副官を呼んだ。
「副官!」
「はい!」
「部隊を固めろ。側面と後方を警戒する」
「後方ですか?」
「魔族だけが消えた。下がったんじゃない。どこかへ移動してる」
ガレスは左右の地形を見渡した。
「必ず仕掛けてくるぞ」
副官が部下たちへ指示を出そうとしたところへ、本部から伝令が駆けてきた。
「ガレス隊! 勝手な行動をするな! 現在の配置を維持せよとの命令だ!」
「配置は変えてねえよ。俺の部隊を固めてるだけだ」
ガレスはそう返すと、すぐに部下たちへ向き直った。
「俺の命令だけ守れ! 何が来ても崩れるな!」
兵たちは持ち場を離れないまま互いの間隔を詰め、防御しやすい陣形へと変わっていった。
*
その頃、リバーナの裏門では重い閂が外されていた。
ガコン……。
ゆっくりと開いた門の奥には、巨大な黒豹に騎乗した魔族たちが並んでいる。
先頭の魔族が短く命じた。
「行くぞ」
次の瞬間、黒豹騎兵が一斉に飛び出した。
ドドドドドッ!!
彼らは人間軍の正面へは向かわず、林や地形の起伏を使って大きく迂回していく。
「側面へ回れ!」
人間軍の目は城門へ集中していた。
その外側を、黒豹騎兵は大きな弧を描きながら後方へ回り込んでいった。
*
人間軍の後方には補給用の馬車と予備兵が集められていた。
その一人が、遠くに上がる土煙へ気づく。
「おい、何だあれ?」
隣の兵士も目を凝らした。
「何か来るぞ」
「援軍か?」
土煙の中から黒い騎影が現れる。
巨大な黒豹。
そして、その背に乗る魔族。
兵士の顔色が変わった。
「違う!!」
黒豹騎兵が一気に側面と後方へ突入した。
「敵襲ーーー!!!」
悲鳴にも似た声が人間軍の後方へ広がる。
魔族騎兵の一人が、その混乱の中で指揮旗を見つけた。
「敵の中心はあそこだ!」
指揮旗の立つ本陣を指す。
「敵将の首を取れ!」
「ゆくぞ!」
黒豹騎兵は進路を変え、そのまま本陣へ殺到した。
「後方から敵!?」
「本陣が狙われています!」
人間側の参謀たちが慌てて振り返る。
前方にはリバーナ城壁。
後方からは黒豹騎兵。
護衛の多くが前線側を向いていたため、本陣は完全に裏を取られていた。
「防御しろ! 魔導障壁展開!」
総指揮官が声を張り上げ、魔法兵たちが慌てて詠唱を始める。
しかし黒豹騎兵はすでに目前だった。
「ふん。判断が遅い」
障壁が完成するより先に、黒豹騎兵が本陣へ突入する。
ドガッ!!
魔導騎士団の兵士たちが次々と吹き飛ばされ、総指揮官の顔から血の気が引いた。
そこへ、ガレス隊が防御陣形を崩さないまま割って入る。
「前列、止めろ! 絶対に崩れるな!」
盾陣が黒豹騎兵の突撃を受け止めた。
激しくぶつかる音の中、ガレスは背後の指揮官へ怒鳴る。
「逃げてください! ここは我々が止めます!」
「おお! 助かった! 頼んだぞ!」
総指揮官と高級将校たちは、ガレス隊が作った隙を使って後方へ走り出した。
*
ガレス隊を前にして、魔族の一人が感心したように声を上げた。
「ほう。少しは戦い方を知っている者もいるようだな」
盾の後ろからガレスが睨み返す。
「おまえらのずる賢さは経験済みだ」
「面白い。ならば止めてみせろ!」
魔族たちが一斉に突撃し、盾陣へ激突した。
ドガッ!!
前列の兵士たちが数歩押し込まれる。
「踏ん張れ!」
ガレスの怒声が飛び、兵たちはどうにか陣形を保った。
だが、すべての魔族を止められるわけではない。
数人が横へ回り込み、逃げる指揮官たちを追っていく。
「隊長! 何人か抜けます!」
副官が叫んだ。
「くそ!」
ガレスにも見えていた。
だが、ここで自分が動けば正面の魔族に陣形を崩される。
「動けん!」
*
「逃がすか!」
逃げる高級将校たちへ魔法が飛ぶ。
ドン!
一人の背中へ直撃し、そのまま地面へ倒れた。
「指揮官を守れ!」
護衛の兵士たちが必死に応戦するが、別の将校も次々と倒されていく。
そして総指揮官にも魔法が直撃した。
身体が前方へ投げ出され、地面へ転がる。
追いついた魔族が一気に距離を詰め、倒れた総指揮官へ武器を振り下ろした。
やがて魔族がその武器を高く掲げる。
「指揮官は打ち取った! 戻るぞ!」
「おお!!」
*
指揮官討死の報は、瞬く間に人間軍へ広がった。
「指揮官が……!」
「どうするんだ!」
部隊ごとに動きが止まり始め、混乱が広がる。
その中でガレスが声を張り上げた。
「集まれ! 防御陣形!」
所属部隊を越えて魔導騎士団の兵士たちが集まり始める。
「バラバラになるな! 攻撃中止!!」
その命令は前線にも伝えられた。
「攻撃中止! 後退しろ!」
城門へ向かっていた破城槌が止まり、弓兵と魔法部隊も攻撃を中止する。周辺各国の軍勢も、それに続いて後退を始めた。
「走るな!」
ガレスは撤退する兵たちへ怒鳴った。
「隊列を崩したら追いつかれるぞ!」
総指揮官を失った軍勢は混乱しながらも、ガレスの指示によって少しずつ戦場から離れていった。
*
リバーナの城壁から、大きな声が上がった。
「リリス様ばんざーい!」
リザードマンたちが武器を掲げる。
「リリス様ばんざーい!」
「ばんざーい!」
その声に、魔王軍側についた人間兵も加わった。
「リ、リリス様ばんざーい!」
最初こそ戸惑っていたものの、やがて周囲につられるように他の人間兵たちも武器を掲げた。
「リリス様ばんざーい!」
城壁の下では、負傷したリザードマンや人間兵が手当てを受けている。
勝どきの声は町中へ響いていた。
その最も高い場所から、アルレバレスは撤退していく人間軍を見下ろしていた。
その口元はわずかに笑っていた。
*
撤退する魔導騎士団の耳にも、リバーナからの勝どきは届いていた。
「くそ!」
若い騎士が悔しそうに振り返る。
「もう少しで門を突破して、勝てるところだったのに……!」
その先には、城門の前で放棄された破城槌が残されていた。
少し離れた場所を歩いていたガレスは、その声を聞いて小さく呟いた。
「……全然、もう少しではなかったがな」
周囲では負傷者が運ばれ、壊れた装備を抱えた兵士たちが隊列を立て直していた。
「やはり……実戦の経験不足だ」
*
リバーナ攻略失敗の報は、各国へ広がっていった。
「魔導騎士団が……敗れた?」
報告を受けた小国の領主は、信じられないという顔をした。
別の国ではすぐに兵士の招集が始まり、城門の補強や物資の搬入が急がれる。
「兵を外へ出している場合ではない」
軍議の席で将校が訴えると、領主も頷いた。
「まずは自国の守りを固める」
魔導騎士団から新たな兵力提供の要請が届いても、
「これ以上の兵は出せません」
そう返す国が増えていった。
周辺諸国が自国の防衛を優先し始めたことで、魔導騎士団の指揮のもと、再び同じ規模の大軍を集めることは難しくなっていった。
*
魔導騎士団南部方面司令部では、前任の総指揮官を失ったあと、新たな指揮官のもとで会議が開かれていた。
「今回の作戦の失敗の原因は?」
「奇襲です」
参謀が答える。
「奇襲を想定していなかったのか?」
「いえ……一応、注意はしておりました」
「で?」
新指揮官が短く尋ねる。
「もはや攻略は時間の問題で、あと少しで城門を突破できるところだったので……」
新指揮官は無表情のまま聞いていた。
「で?」
「…………」
参謀は答えられなかった。
「要するに、油断したと?」
「……はい」
参謀が俯く。
「南部方面司令部が、これほど無能の集まりだったとはな。本部へ報告しなければならんな」
「しかし!」
別の参謀が慌てて口を挟んだ。
「司令部には十分な護衛の兵がありました! やすやすと本陣を崩されたのが問題では?」
「ほう。そうなのか?」
「はい。ガレス隊など、戦闘に参加せず、本陣を防衛していたはずです」
新指揮官はその参謀を見た。
「では、その部隊が原因だと?」
参謀は言葉に詰まった。
*
兵営では、ガレスが自分の部隊の被害を確認していた。
そこへ伝令がやってくる。
「ガレス! 司令本部へ出頭せよ!」
「何だいきなり」
「うるさい! 早くしろ!」
ガレスは眉をひそめた。
「いやいや、ちょっと待ってくれ」
伝令の顔を見ながら、嫌そうに尋ねる。
「もしかして、俺の部隊が悪いってことにされてるのか?」
「そのことについて説明をするんだ」
ガレスは深いため息をついた。
*
「ガレス・ヴァルドだな」
「はい」
会議室へ入ると、新指揮官が確認した。
すぐに参謀が口を開く。
「貴官の部隊は、戦闘にほとんど参加せず、本陣に留まっていたそうだな」
「はい。もともと我々は遊軍です」
ガレスは否定せず、そのまま続けた。
「その後、魔導障壁が破られた時点で、司令部を防衛せよとの命令を受けました。ですので、命令通り司令部の防衛についていただけです」
「奇襲の際は?」
新指揮官が尋ねる。
「敵が城壁から消えた時点で、側面と後方から来ると判断しました」
ガレスは参謀たちを見た。
「結果として、奇襲にまともに対応できたのは、うちの部隊だけです」
会議室が静まった。
*
「ガレス隊は、命令通り司令部を守っていた。しかも敵の奇襲を事前に察知し、唯一まともに対応した」
新指揮官は事実をひとつずつ確認してから、参謀を見る。
「それで、なぜこの部隊が敗因になる?」
「それは……」
返事はなかった。
新指揮官はガレスへ視線を戻す。
「ガレス。お前は、なぜ奇襲に気づいた?」
「城壁から、魔族だけが消えたからです」
ガレスはすぐに答えた。
「西じゃ、ああいう時に何も起きなかったことの方が少ないんで」
「……なるほど」
新指揮官は少し考え込んだ。
「今回の作戦に参加した者の中で、魔族との実戦経験がある者はどれだけいた?」
「西部から転属してきた者が、数名です」
「三千二百もいて、数名か」
誰も返事をしない。
ガレスが静かに口を開いた。
「魔王軍との戦いは、魔物討伐ではありません。強いだけじゃない」
新指揮官がガレスを見る。
「こちらの意図を読んできます。そこをついてくる」
ガレスは少し間を置いた。
「そして、我々よりも強い」
新指揮官は作戦地図へ視線を落とした。
「……今回の敗因は、兵力不足ではなさそうだな」
*
「わかった。ガレス君は下がってよい」
「はっ」
ガレスは一礼し、会議室を出ていった。
扉が閉まると、新指揮官は残った参謀たちを見回した。
「参謀の諸君には、西の最前線での経験が必要なのかもしれないな」
「…………」
誰も何も言えなかった。
新指揮官はそのまま作戦地図へ目を戻し、しばらく資料を眺めていた。
「ところで――」
手元の書類をめくる。
「ナハルと、リバーナ陥落の際に活躍した」
ページの中に、一人の騎士の名前が記されていた。
「ユリウスという者は、今回の作戦には参加していなかったのか?」
参謀たちの間に、わずかに気まずい空気が流れた。
「ユリウス隊は、今回の作戦から外されていました」
「外された? なぜだ?」
「……独断的な行動が多く、命令系統を乱す恐れがあると」
別の将校も続ける。
「リバーナ陥落時も、現場判断を優先することが多かったため」
新指揮官は二人を見た。
「それで、魔王軍との実戦経験がある部隊を、わざわざ外したのか?」
「…………」
高級将校たちは黙った。
「……なるほど」
新指揮官はそれ以上追及しなかった。
*
「わかった。報告は以上だな」
「はっ!」
参謀たちが揃って答える。
新指揮官は椅子へ背を預けた。
「少し、一人にしてくれ」
「……はっ」
高級将校たちが会議室から退室する。
バタン……。
扉が閉じると、部屋は静かになった。
机の上には南部方面の地図と、何枚もの報告書が広げられている。リバーナ、レバレス、西部戦線、ユリウス、ガレス。
新指揮官はそれらを前に、一人黙って考え込んでいた。




