第六十三話 おっさん竜に乗る
元の姿を取り戻した竜は、自分の身体を何度も見回していた。
黒く変色していた鱗はすっかり元に戻り、身体から漏れ続けていた瘴気も消えている。しばらく嬉しそうに翼や尾を動かしていた竜は、やがてフミタロウたちへ顔を向けた。
「ありがとう!」
声まで明るい。
「なにかお礼をしないとね!」
「いやいや、治ってよかったらそれでええよ」
フミタロウは手を振った。
「そうですよ。元気になってくれたのが一番です」
ミルキーも笑顔で頷く。
だが竜は、どうにも納得できないらしい。
「でもなあ……それじゃ俺の気がすまないよ」
しばらく考えたあと、首をかしげた。
「そういえば、君たちはこんなところで何してたの?」
「俺ら?」
フミタロウは答えた。
「ヤーナマトに行く途中やねん」
「ヤーナマト?」
竜が聞き返す。
「ヤーナマトって、海の向こうの島国だよね?」
「そうそう。港から船で渡るつもりやった」
すると竜の表情がぱっと明るくなった。
「それなら、俺が連れていけるよ!」
「え?」
一行の声が揃った。
「もともと海で暮らしてたんだ。泳ぐのは得意だよ!」
竜は得意そうだった。
フミタロウはその巨体を見上げる。
「連れていくって……乗っていくん?」
「うん!」
横でサンキチが呟いた。
「船いらなくなりましたね……」
*
フミタロウは腕を組み、竜を眺めた。
「なんか、浦島太郎みたいになってきたな」
「亀じゃなくて竜ですけどね」
「でもあれも、竜宮城とか出てくるやろ?」
フミタロウは少し考える。
「ほんまは竜やったとか?」
「そんな馬鹿な。おとぎ話ですよ」
サンキチは即座に否定した。
ところが、少しして黙り込む。
「……いや」
妙に真剣な顔になる。
「でもこの状況だと、あながちないとも言えないかもって思えますけどね」
「やろ?」
フミタロウは満足そうに頷いた。
「まあ、とにかく助かるわ」
「じゃあ決まりだね!」
竜が嬉しそうに答える。
そこでトルムだけが、少し戸惑った顔をした。
「俺も……乗るのか?」
「ここまで一緒に来たんやから、乗るやろ」
「いや、話が急すぎるだろ……」
トルムは改めて竜の巨体を見上げた。
竜は楽しそうに身体を低くする。
「大丈夫! 落とさないよ!」
「その言い方、逆に不安になりますね……」
サンキチが小さく呟いた。
*
竜はそこで何かを思い出したように、ダンジョンの奥へ顔を向けた。
「そうだ。港まで戻らなくてもいいよ」
「え?」
「この奥に、大きな湖があるんだ」
「ダンジョンの中に湖?」
サンキチが驚く。
「うん。その湖、海につながってるよ」
「ええ!?」
一行の声がまた揃った。
「俺も、そこからここに入ってきたんだ」
フミタロウはすぐに理解した。
「ほな、ここから直接ヤーナマトまで行けるやん」
「そういうこと!」
話は一気に決まった。
竜を先頭に、一行はさらにダンジョンの奥へ進む。
「こっちこっち」
暗い通路を歩いていると、やがて水の音が聞こえてきた。
「水の音がしますね」
サンキチが耳を澄ませる。
その先で通路が急に開けた。
「わあ……」
ミルキーが思わず声を漏らす。
そこには、巨大な地下湖が広がっていた。
天井の裂け目からわずかな光が差し込み、水面を淡く照らしている。対岸もすぐには見えないほど広い。
「でかっ」
フミタロウは湖を見渡した。
「これもう湖いうより海やん」
奥には、さらに巨大な水路が続いている。
竜は慣れた様子で水へ入った。
「あの先が海につながってるよ」
トルムは湖と水路を交互に見た。
「ほんとに、ここから行くのか……」
*
フミタロウは、その顔を見逃さなかった。
「ん? トルムなんか嫌そうやな」
「いや」
トルムは少し言いにくそうに口を開いた。
「俺は港町で別れるつもりだったからな」
「そうなん? ただで行けるぞ?」
「いや……その」
トルムは湖を見る。
「海が苦手なんだ」
「なんか、どっかでそんな話聞いた記憶があるぞ」
「あれですよ!」
サンキチが思い出した。
「オッゾさんが言ってたのと同じです」
そのまま真似するように言う。
「『オラたちドワーフは水が怖いんだ』って」
「それそれ」
フミタロウが笑う。
「やっぱり親戚感あるよな」
「だから!」
トルムが声を上げた。
「あいつらとノームは違う! たまたまどっちも水が苦手なんだ!」
「たまたまねー」
「うるさい!」
フミタロウは笑いながらも、後ろの暗い通路へ目を向けた。
「とりあえず、ダンジョンを一人で戻るわけにもいかんやろ」
「……それはそうだが」
「海の近くまでは乗せてもらったら?」
「いいよ!」
竜がすぐに答えた。
「海に出るところまでなら、すぐだから!」
トルムは確認するように聞いた。
「……水の中を?」
「水の中を」
フミタロウが答える。
トルムは深いため息をついた。
「……海に出るところまでだぞ」
「はいはい」
「めちゃくちゃ嫌そうですね」
サンキチが苦笑した。
*
一行は竜の背中へ乗った。
トルムだけは見るからに緊張している。
全員が乗ったことを確認すると、竜はゆっくり地下湖へ入っていった。
水面を進み始めると、フミタロウは妙に楽しそうな顔になった。
「昔々浦島は〜♪ 助けた亀にのせられてー♪っと」
「だから竜ですって」
「そか」
フミタロウはすぐに歌い直す。
「助けた竜に乗せられて〜♪」
「急にファンタジー感、台無しにしてきますよね」
サンキチが呆れる。
ミルキーは楽しそうに笑っていた。
クリフトスも歌を聞きながら頷く。
「覚えやすそうな、いい曲ですね」
「まあ、簡単やからな」
そんなやり取りをしている間にも、竜は広い地下湖を進んでいった。
*
海へ出る手前で、竜はいったん岸へ寄った。
そこでトルムとは別れることになった。
「そうだ」
トルムは荷物の中から分厚い帳面を取り出し、フミタロウへ差し出した。
「これを渡しておく」
「……なにこれ?」
「仕入れ帳だ」
フミタロウが受け取ると、トルムは当然のように続けた。
「これだけ仕入れてきてくれ。できるだけ安く」
「めっちゃ多ない?」
帳面には、商品がびっしりと書き込まれている。
「これでも厳選してある」
フミタロウはページを眺めた。
絹、織物、ヒスイ、装飾品、昆布、硫黄、筆。
その中で、ひとつだけ妙に目を引くものがあった。
「昆布ええな! あるの?」
「ああ。特産品だな」
「へー。なんか親近感わくな」
フミタロウは仕入れ帳を荷物へしまった。
トルムはここから陸路へ戻る。
一行は別れを告げ、今度こそヤーナマトへ向かうことになった。
*
地下の水路を抜けると、視界が一気に開けた。
海だった。
竜は水面を滑るように進んでいく。
しばらくすると、周囲にイルカが集まってきた。
「かわいいー!」
ミルキーが身を乗り出す。
何頭ものイルカが竜と並ぶように泳ぎ、ときおり水面から跳ねる。
さらに先へ進むと、今度は水面から人のような姿が現れた。
「うおっ、人魚や!」
フミタロウが声を上げる。
人魚たちは興味深そうに一行を見ていた。
ただ、その視線は妙に一か所へ集まっている。
サンキチだった。
本人も気づき、人魚たちを見る。
「……?」
目が合った瞬間だった。
「キャー!」
「こっち見た!」
「素敵ー!」
サンキチが固まった。
*
途中、小さな島で休憩することになった。
竜は浅瀬に身体を休め、一行は島へ降りる。
人魚たちは、まだついてきていた。
「まだついてきてるで」
フミタロウが海を見る。
すると一人の人魚が、おずおずと近づいてきた。
「あの……素敵なお方」
頬を染める。
「お名前を教えていただけませんか?」
フミタロウはすぐに後ろを振り返った。
「おーい、クリフトスさん呼んでるぞ〜」
「何でしょう?」
クリフトスが前へ出る。
だが人魚は首を振った。
「違います。あちらのお方です」
「?」
クリフトスが振り返る。
視線の先にはサンキチがいた。
「ん?」
フミタロウもそちらを見る。
「まさか、サンキチくん?」
「ええ」
人魚が頷いた。
「ぼ、僕ですか?」
サンキチ本人が一番驚いている。
「えっと……サンキチです」
「サンキチ様!」
「素敵なお名前!」
人魚たちが一斉に沸いた。
フミタロウはその様子を眺めていたが、ふと何かに気づいた。
「……これ、魚釣りの加護ちゃうか?」
「あ……」
ミルキーも思い当たったようだった。
「魚に好かれるなら、人魚にも……?」
「そんなところまで効果があるのか?」
シルフィエまで半信半疑の顔をする。
人魚たちに囲まれたサンキチを見ながら、フミタロウはにやにや笑った。
「サンキチくん、モテ期到来やな」
「こんな形で来ると思ってませんでしたよ……」
*
人魚たちの勢いは、それだけでは終わらなかった。
「これどうぞ!」
差し出されたのは、牡蠣やサザエをはじめとした大量の海産物だった。
「ええ! ありがとうございます!」
サンキチが受け取る。
「キャー!」
また歓声が上がる。
フミタロウは腕を組んだ。
「アイドルやん」
「どうしたらいいんでしょう」
「手でも振っとけ」
言われるまま、サンキチがぎこちなく手を振る。
「キャー!」
「素敵ー!」
歓声はさらに大きくなった。
そこでフミタロウが勝手に前へ出た。
「はいそれでは、今日はこのへんで終了しま~す」
完全に仕切り始める。
「次回公演は未定ですが、次はサンキチコンサートの予定です。プレゼントまたお願いしますね〜」
「ええー!」
「ほら、サンキチくん。皆さんに挨拶して」
「え?」
戸惑いながらも、サンキチは人魚たちへ頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました」
「キャー!」
人魚たちと別れたあと、残ったのは大量の海産物だった。
フミタロウは満足そうにそれを見下ろした。
「ふー。これでしばらくは海の幸に困らんな」
「なんですかそれ」
サンキチが呆れる。
フミタロウは胸を張った。
「敏腕プロデューサー、フミタロウと呼んでくれたまえ」
「お前たちは、一体なにをやってるんだ?」
シルフィエの声だけが妙に冷静だった。
*
休憩を終え、一行は再び竜の背中へ乗った。
「ところで、ここからヤーナマトまであとどれぐらいなん?」
フミタロウが尋ねる。
「俺なら、今日中には着くよ」
「そんなに早いんですか?」
サンキチが驚いた。
「海なら慣れてるからね。まっすぐ行けるし」
「船待たんでよかったな」
「すごいですね!」
ミルキーも楽しそうだった。
竜が身体を大きく動かす。
「じゃあ、ヤーナマトまで一気に行くよ!」
「頼むで!」
海面を切り裂くように、竜は速度を上げた。
*
夕方近く。
水平線の先に、薄い島影が見え始めた。
「……見えた」
フミタロウが呟く。
その島影は、進むにつれて少しずつ大きくなっていった。
「とうとう、ここまで来たな」
「遠かったですね」
サンキチも海の向こうを見つめている。
「ほんとに、こんなに旅をしたの初めてです」
ミルキーも、しみじみと言った。
フミタロウは夕日に染まった海を見ながら、これまでの旅を思い返した。
「何度も、死ぬかと思ったが……」
島影が近づいてくる。
「何とかなったな」
*
ヤーナマトの沿岸が見えるようになると、景色はフミタロウたちの記憶にあるものへ少しずつ近づいていった。
海岸沿いには松が並び、その先には白い砂浜が続いている。
「なんか、日本に似てるな」
「海水浴場、思い出しますね」
サンキチも懐かしそうに眺める。
「海の家からサザンが流れてたら完璧やな」
「さすがにそれは、ないですよ」
ミルキーも景色を見ながら微笑んだ。
「なんだか、懐かしい感じがしますね」
さらに岸へ近づくと、砂浜の向こうに木造の建物が並んでいるのが見えてきた。
「これはもう、だいぶ日本やな」
「建物も、全然違いますね」
ミルキーが周囲を見回す。
「お前たちの国は、こんな感じなのか?」
シルフィエが尋ねた。
「まあ、だいぶ昔の日本っぽいけどな」
「現代とは全然違いますね」
サンキチも頷いた。
竜がゆっくり砂浜へ近づいていく。
一行は、その先に広がる土地を見渡した。
「ようやく着いたな」
フミタロウが言う。
「ヤーナマト」
*
砂浜へ降りると、一行は竜の背中から荷物を下ろした。
「ここまでありがとうな!」
「うん!」
竜は嬉しそうに返事をしたあと、ミルキーが持つ天使の笛へ目を向けた。
「あの笛を吹いてくれたら、また迎えに来るよ」
「ありがとうございます!!」
ミルキーが深く頭を下げた。
竜は身体の向きを変え、再び海へ戻っていく。
一行も砂浜から手を振った。
「またなー!」
フミタロウは大きく腕を振る。
そのまま、ふと思いついたように叫んだ。
「じゃあな! くさ太郎!」
海へ戻ろうとしていた竜が、ぴたりと止まった。
ゆっくり振り返る。
「おまえ、振り落とせばよかった」
フミタロウはまったく気にしない。
「じゃあ、今は臭くない太郎!」
さらに手を振る。
「じゃあな!」
「食い殺すぞ!」
竜の怒鳴り声が海岸に響いた。
「あははは!」
一行は笑いながら、海へ戻っていく竜を見送った。
その向こうには、これまでとはまるで違う町並みが広がっていた。
長い旅の末、一行はようやくヤーナマトへ辿り着いた。




