第六十一話 おっさん風上を目指す
翌朝、一行は祠を発った。
入口ではカレンが見送りに出ており、フミタロウは改めて頭を下げた。
「いろいろありがとうございました」
「お気をつけて。よい旅を」
カレンに見送られながら、一行は再び交易街道を東へ進み始める。
しばらく歩いたところで、トルムが地図を広げた。
「このまま東へ進めば、港まではもうそれほど遠くない」
「よし、いよいよヤーナマトやな」
「その前に船ですけどね」
サンキチが現実的なことを言う。
「お米もありますね!」
ミルキーまで嬉しそうに付け加えた。
「まだ言ってるのか」
シルフィエが呆れたように返す。
一行はそのまま街道を進み、やがて道沿いに小さな村が見えてきた。
*
村へ入ると、すぐに普段とは違う様子に気づいた。
家の前では住民が横になり、薬師が忙しそうに薬草を煎じている。あちこちで咳き込む声が聞こえ、癒し手も休む暇なく患者を診ていた。
ミルキーは気になったように周囲を見回す。
「病気の方が多いですね……」
「そうだな。この辺りで流行ってるのかもしれん」
トルムも表情を曇らせた。
フミタロウは、薬草を抱えて走り回る村人を見送った。
「大変そうやな……」
一行は村を抜け、そのまま東へ進んだ。
だが、次に通った集落でも同じような光景が待っていた。
薬師の店の前には人だかりができ、少し離れたところでは癒し手が治癒魔法を使っている。患者の呼吸は多少落ち着いたように見えるものの、すぐに起き上がれるほど回復している様子はない。
「……ここもか」
フミタロウが足を止めた。
「治療法、まだ見つかってないんでしょうか」
「薬師も癒し手も、かなり頑張ってるみたいだがな」
トルムが答える。
その間も、シルフィエは黙って病人たちを観察していた。
さらに先の村でも状況は変わらなかった。
閉ざされた家が増え、薬草を運ぶ人々が街道を行き交っている。寝込んでいる者も少なくない。
「ずっとですね……」
サンキチが呟いた。
「思ってたより、広い範囲で出てるんやな」
「早く治療法が見つかるといいですね」
ミルキーは、村を離れてからも何度か後ろを振り返っていた。
一行はそのまま東へ進んだ。
*
やがて、視界の先に海が見えた。
「海や!」
フミタロウの声が上がる。
目的地の小さな港町へ入ると、そこにはこれまでの村々とは違う活気があった。
市場には商品が並び、荷運びの人々が忙しく働いている。漁師や船員の姿も多く、港では船の出入りが続いていた。
そんな中、ミルキーがふと足を止める。
「……あれ?」
「どうしました?」
サンキチが尋ねた。
ミルキーは周囲を見回す。
「病気の人、いませんね」
「ほんまや」
フミタロウも改めて町の様子を見る。
街道沿いの村々では、どこへ行っても病人の姿があった。それに比べると、この町はあまりにも普段通りだった。
*
一行は宿を取る前に、町の主人へ事情を聞いてみることにした。
「この町では、例の病は出ていないのか?」
トルムが尋ねる。
「ほとんど聞かんな」
主人はそう答えた。
「街道沿いは、かなり大変そうでしたけど」
フミタロウが言う。
「内陸の方は、ひどいらしいな」
その言葉に、シルフィエが反応した。
「……内陸」
ちょうどその時、海から吹いてきた風が町の旗や布を揺らした。どれも内陸へ向かってなびいている。
シルフィエはそれをしばらく見たあと、トルムへ顔を向けた。
「トルム。地図を見せてくれ」
「ん?」
トルムは言われるまま地図を広げた。
「道中で、病人が多かった場所を覚えてるか?」
「ここですね」
サンキチがひとつの村を指す。
「この村もです」
ミルキーも別の場所を示した。
一行は記憶を辿りながら、病人の多かった場所へ印をつけていく。
港町と、その周囲に増えていく印を見比べ、シルフィエは眉を寄せた。
「……妙だな」
そのまま主人へ尋ねる。
「この辺りの風は、普段どちらから吹く?」
「この季節なら、海から内陸へ吹くことが多いな」
シルフィエはもう一度地図を見る。
「……風か」
「え?」
フミタロウが聞き返した。
「いや。もう少し確認したい」
*
一行は町の中でさらに情報を集めた。
「病が多いのは、この辺りだな」
商人が地図の一帯を示す。
「北側では、あまり聞かない」
別の旅人はそう話した。
他の住民にも同じように尋ねていくうちに、地図の印は増えていった。
やがてトルムも気づく。
「確かに、ばらばらじゃないな」
「風下側に偏ってませんか?」
サンキチが言った。
「ああ」
シルフィエは静かに頷いた。
「昔、エルフの森で瘴気汚染が起きたことがあった」
一行が彼女を見る。
「その時も、瘴気が風に乗って広い範囲まで流れた」
「今回も?」
フミタロウが尋ねる。
「まだ断定はできない」
シルフィエは地図を指した。
「だが、もし病ではなく瘴気によるものなら、風上に原因がある」
「じゃあ、風上をたどれば……」
「原因があるかもしれん」
サンキチの言葉をトルムが引き継いだ。
シルフィエはこれまで集めた情報を見比べ、森林地帯の一点を指す。
「話を合わせると、この辺りだ」
「行ってみるしかないな」
フミタロウが言った。
「原因が分かれば、病気の人たちを助けられるかもしれません」
ミルキーも迷わなかった。
*
一行は港町を離れ、風上へ向かった。
予測した地点へ近づく途中、ひとつの村へ立ち寄る。
そこは、これまで見てきたどの村よりもひどい状態だった。
道を歩いている者そのものが少ない。家々では多くの村人が寝込み、患者を診ている癒し手まで足元をふらつかせていた。
「ひどい……」
ミルキーが息を呑む。
その時、向こうから大量の薬草を抱えた薬師が歩いてきた。
だが、一行の目の前まで来たところで身体が揺れ、そのまま倒れた。
「あっ!」
ミルキーが駆け寄る。
シルフィエもすぐに薬師のそばへ膝をついた。
「大丈夫か?」
水筒を差し出す。
「水だ。飲め」
「ああ……ありがとう」
薬師は水を口にしたあと、すぐに起き上がろうとした。
「少し休んだ方がいい」
「いや。この薬を飲ませてやらないと、子供たちが……」
シルフィエの制止にも、薬師は首を振る。
ミルキーが薬を受け取った。
「わかりました。私が行きます」
「……すまない」
*
案内された家の中では、何人もの子供たちが寝込んでいた。
ミルキーは一人ずつ身体を起こし、薬を飲ませていく。
「ゆっくり飲んでください」
薬を飲むと呼吸は少し落ち着いたものの、それだけだった。
ミルキーは続いて治癒魔法を使った。
淡い光が子供を包む。
だが、治療を終えても様子に大きな変化はなかった。
「……治癒魔法でも、ほとんど変わりません」
ミルキーの表情が曇る。
子供たちを見ていたシルフィエが言った。
「瘴気が原因なら」
子供の様子を確かめる。
「結界を張らないと、おそらく回復しない」
フミタロウはクリフトスを見る。
「クリフトスさんは、結界とかできないの?」
「残念ですが、私は白魔法は使えません」
クリフトスも困ったように子供たちを見る。
「何か良い方法があれば……」
そこで、ふと顔を上げた。
「そうだ」
一同が振り返る。
「ミルキー様の天使の笛の力なら、もしかすれば……!」
「そうですよ!」
サンキチもすぐに反応した。
「魔を払う力って、言ってましたよね」
ミルキーは手元の天使の笛を見つめる。
「やってみます!」
*
ミルキーは子供たちのそばに立ち、天使の笛を構えた。
静かに息を吸い、演奏を始める。
笛の音が部屋に流れた。
しばらくすると、ミルキーの周囲に淡い光が現れ始める。
光は少しずつ広がり、寝ている子供たちまで包んでいった。
「……光ってる?」
フミタロウが目を細める。
「今まで、笛を吹いてもこんなことなかったですよね?」
サンキチも驚いている。
光に包まれながら笛を吹くミルキーを見て、フミタロウが呟いた。
「これは、どういうことなんやろ?」
「多分、瘴気があるからだ」
シルフィエが答える。
「浄化されたものが、光として見えてるんじゃないか?」
「なるほど」
サンキチが頷いた。
「普段は浄化の力が働く必要がないから、光らないんですね」
「さすがはミルキー様! まさに聖女様!」
クリフトスが感極まったように声を上げる。
「こんな光景を見せられては、このクリフトス、命に代えてもお守りいたすしかありません!」
「前からずっとそうやん」
フミタロウが即座に返した。
「ほんま、ぶれへんキャラやなクリフトスさん」
そんなやり取りの間にも、笛の音は続いていた。
やがて子供たちの呼吸がゆっくりと落ち着き始める。
顔色も、少しずつ良くなっていった。
「顔色が……!」
付き添っていた家族が声を上げる。
ミルキーもそれに気づき、ほっとした表情を浮かべながら演奏を続けた。
最後の音が消える。
「良かった……」
ミルキーは子供たちを見つめた。
「ほんとに良かった……」
*
「この笛で、村全体を浄化できないでしょうか?」
ミルキーが尋ねた。
「やってみる価値はある」
シルフィエが答える。
「ほな、村の真ん中でやってみよう」
一行は村の中央へ移動した。
ミルキーは広場に立ち、もう一度笛を構える。
「やってみます」
音色が響く。
淡い光がミルキーの足元から広がり始め、広場を越え、通りへ流れていった。
光はさらに家々の中まで届いていく。
先ほどまで倒れそうだった癒し手が、驚いたように身体を起こした。
「……身体が、少し軽い……」
薬師も顔を上げる。
「かなり広いですね」
サンキチが村全体を見回した。
「瘴気が、薄くなってる……」
シルフィエにも変化が分かるらしい。
やがて村全体が淡い光に包まれた。
苦しそうだった村人たちの呼吸も、少しずつ楽になっていく。ただ、寝込んでいた者たちがすぐに起き上がれるほどではなかった。
「すぐ元気になるわけではないんですね……」
ミルキーが心配そうに言う。
「でも、これ以上瘴気を吸わなければ、回復はできるはずだ」
シルフィエが答えた。
「それなら、薬も治癒魔法も効く」
薬師も力を取り戻し始めていた。
薬師と癒し手たちは、再び患者の治療へ戻っていく。
*
ミルキーが笛を止めてしばらくすると、シルフィエが村の外へ目を向けた。
「……やっぱりか」
「また来てる?」
フミタロウもそちらを見る。
「ああ。村を浄化しても、外から流れ込んでくる」
薄い淀みが、風に乗って村の方へ流れてきていた。
「発生源を止めないと、終わらないってことですね」
サンキチの言葉に、フミタロウは村の外へ目を向けた。
「よし。行くぞ」
ミルキーが再び笛を構える。
一行は淡い光に包まれながら、風上へ向かって歩き始めた。
笛を吹くミルキーを中心に、その光の中を全員が進んでいく。
しばらく歩いたところで、フミタロウがふと言った。
「なんか、パレードしてるみたいやな」
「よく、この深刻な状況でそんなこと言えますね」
サンキチが呆れたように返す。
「アホ! こんな時こそいつもと変わらずや」
「おまえは、ほんとに緊張感のないやつだな」
シルフィエも呆れている。
それでもフミタロウはやめなかった。
誰もいない道で、満面の笑顔を浮かべ、左右へ大きく手を振り始める。
「まだやってるんですか」
サンキチの声にも反応せず、笑顔のまま手を振り続ける。
シルフィエが横目で見る。
「……馬鹿なのか?」
トルムとクリフトス、それにサンキチの口元が少しずつ緩んだ。
笛を吹いているミルキーの表情まで、わずかに柔らかくなっている。
フミタロウだけは、相変わらず誰もいない道へ向かって手を振り続けていた。
だが――
気づけば、みんな笑っていた。
*
やがて前方に、薄暗い森が見えてきた。
「……そろそろだ」
シルフィエの声で、一行の表情が変わる。
森へ近づくにつれて草木は弱り、入口付近では枯れているものも増えていた。動物の気配もほとんどない。
「急に、静かになりましたね……」
サンキチが周囲を警戒する。
ミルキーは笛を吹き続けていた。
その周囲に広がる光は、先ほどよりも明らかに強くなっている。
「光が、強くなっています」
クリフトスが気づいた。
「瘴気が濃くなってるんだ」
シルフィエが全員を見る。
「絶対に、ミルキーから離れるな」
一行は光の範囲から出ないよう、まとまって森へ入った。
*
森の奥へ進むほど、草木の様子はひどくなっていった。
ミルキーの笛を中心に、淡い光が一行を包んでいる。
「また、光が強くなってませんか?」
サンキチが尋ねる。
「ああ。間違いなく濃くなってる」
光の外側では、草木が黒ずみ、ほとんど枯れ果てていた。
「天使の笛がなければ、ここまで来ることすら不可能だったでしょうね」
クリフトスが言う。
「ということは、方向は合ってるってことやな」
「ああ」
シルフィエは前を見た。
「近いぞ」
さらに進み、一行は森を抜けた。
その場で全員の足が止まる。
「……あれか」
フミタロウが呟いた。
目の前には岩山があった。
その斜面に、古びた巨大なダンジョンの入口が口を開けている。
周囲の草木は完全に枯れ果てていた。
入口の奥からは濃い瘴気が絶え間なく流れ出し、風に乗って森の方角へと運ばれている。
「間違いない」
シルフィエが言った。
「この瘴気が、風に乗って村や町まで流れていたんだ」
ミルキーの周囲に広がる光が、入口から押し寄せる瘴気を押し返している。
一行はその光の中で、巨大なダンジョンを見上げた。
内部は何も見えないほど暗い。
「原因は……」
フミタロウは、その闇の奥を見つめた。
「この中か」




