第六十話 ユリウス辺境へ
リバーナを離れて数日。
ユリウス隊は、避難民たちを守りながら南へ進んでいた。荷車には負傷者が乗せられ、その周囲を疲れ切った住民たちが歩いている。魔導騎士団の兵士たちもまた、連戦と撤退で明らかに消耗していた。
そんな中、前方を確認していた兵士がユリウスのもとへ馬を寄せた。
「隊長。この先に街があります」
「そこで一度休ませよう。負傷者の治療を優先する」
ユリウスの判断で、一行は近隣の街へ入ることになった。
突然押し寄せた大勢の避難民に、街の住民や衛兵たちは驚いていたが、事情を聞くとすぐに受け入れの準備を始めてくれた。空いている建物が負傷者の治療場所に充てられ、食料や水も配られていく。
兵士の一人が、疲れた顔で尋ねた。
「しばらく、ここに滞在しますか?」
「ああ。負傷者が動けるようになるまでは、ここを拠点にする」
ユリウスの手には、リバーナ陥落についてまとめた報告書があった。
街が落ちた。
しかも、敵が外から攻め入ったわけではない。
安全だと思われていた場所に、突然魔族が現れた。
それが、ユリウスにはどうしても引っかかっていた。
*
臨時拠点となった建物の一室で、ユリウスはリバーナ陥落についての報告書を書き上げた。
内容を確認し、封をする。
「魔導騎士団へ。できるだけ早く届けてくれ」
「はっ!」
伝令はその日のうちに街を発った。
数日後、その伝令が戻ってきた。
「ユリウス隊長!」
「どうした?」
「南部方面本部より、至急、出頭するようにとのことです」
差し出された書状を確認したユリウスは、しばらく黙って内容を読んだ。
「……分かった」
すぐに部隊を見渡す。
まだ負傷者は多い。
「負傷者も多い。部隊はここに残す」
ユリウスは書状を畳んだ。
「俺だけで南部方面本部へ向かう」
*
南部方面本部の作戦会議室には、南部一帯を描いた大きな地図が壁一面に広げられていた。
ユリウスは、その前に並ぶ高級指揮官や幕僚たちと向かい合っていた。
「リバーナは降伏したのだな?」
方面指揮官が確認する。
「はい。市長の判断です」
「これは戦局が大きく変わるな」
指揮官は地図へ目を向けた。
「これまでは、東から拡大してくる魔王軍との戦いだった」
その指先が、リバーナの位置へ移る。
「だが、安全地帯だと思われていた場所に突然、魔王領ができてしまった」
会議室の空気が重くなる。
「防衛線を一から引き直さなければならん」
別の幕僚が頷いた。
「問題は兵力です。防衛線を引き直すとなれば、現在の戦力では全く足りません」
「ああ」
方面指揮官も険しい表情を浮かべた。
「これまで以上に、召喚者を呼ぶことになるかもしれんな」
「騎士団本部へ、増員の必要性を上申しますか?」
「そうしよう。本部の指示を仰ぐ」
そこまで決めると、方面指揮官はユリウスの報告書をめくった。
「それと、貴様の報告にあった古いダンジョンの件だ」
指で該当部分をなぞる。
「この古い巨大ダンジョンが、魔族の居城だった可能性があるという話」
「はい」
ユリウスは頷いた。
「リバーナの件を見ても、その可能性は高いかと思います」
幕僚の一人が地図を見ながら口を開く。
「南部にも、未調査の古いダンジョンはかなり残っています」
「監視は必要だな」
方面指揮官がそう言ったところで、別の高級指揮官がユリウスの報告書を閉じた。
「だが――ひとつ確認しておきたい」
その声色に、ユリウスはわずかな違和感を覚えた。
「貴殿は部隊を率いて、リバーナの防衛に当たっていたのだな?」
「はい」
「それで、やすやすとリバーナを落とされた」
高級指揮官は冷たい目を向ける。
「これは、貴殿の失態ではないのか?」
ユリウスは一礼した。
「……申し訳ありません」
「ナハルの被害も甚大だったと聞く」
その言葉に、ユリウスは黙っていた。
だが指揮官は、さらに続けた。
「だが、死霊侯デロスとやらは、貴殿の部隊が討ち取ったのだろう?」
「……はい」
「ならば、魔族といっても所詮は魔物の親玉のようなものだろう」
幕僚の一人も同調する。
「地方部隊で討ち取れた相手です。本部付きの精鋭なら、もっと容易いでしょう」
「我らには魔導障壁もある」
高級指揮官は地図上のリバーナを指した。
「多少、人数は増やさねばならんだろうが、それで事足りるはずだ」
そして、当然の結論のように言う。
「リバーナを奪還する作戦を立てろ」
「はっ!」
幕僚たちが応じる。
ユリウスは思わず一歩前へ出た。
「お待ちください!」
室内の視線が集まる。
「魔導障壁は、万能の無敵の盾ではありません!」
言葉に力が入る。
「報告書にも書いたように、デロス戦では突破されています!」
だが高級指揮官は表情を変えなかった。
「それは、貴様の部隊の練度の問題だろう」
「……」
「本部付きの精鋭なら話は変わる」
そして、ユリウスを見下ろすように言った。
「同列に扱うな。下がっていろ」
しばらく沈黙したあと、ユリウスは一礼した。
「……はっ」
*
ユリウスが退室し、扉が閉まる。
その直後、高級指揮官が鼻で笑った。
「まったく。田舎騎士が英雄気取りで困るな」
「ほんとにそうですね」
幕僚たちも笑う。
「ナハルで少し戦果を上げたからといって」
「死霊侯を倒したという話も、少々、大げさに語られているのだろう」
「はははは!」
笑い声の中、机の上にはリバーナ奪還作戦の地図が広げられていた。
やがて高級指揮官が手を叩き、会議を本題へ戻した。
「では、今後の方針を確認する」
一同が姿勢を正える。
「第一に、兵力不足を補うため、召喚者の増員が必要である旨を騎士団本部へ報告する」
幕僚が頷く。
「第二に、リバーナ奪還作戦を早急に立案する」
「本部付き精鋭と魔導障壁部隊を中心に、編成案をまとめます」
「第三に、古い巨大ダンジョンについて、各地で監視と警戒を強化する」
高級指揮官は全員を見渡した。
「以上だ。すぐに動け」
「はっ!」
そこで一人の幕僚が尋ねる。
「ユリウス隊はいかがされますか?」
「しばらく休息させろ」
高級指揮官は即答した。
「その後は、各地のダンジョンの警戒へ回せ」
「英雄様もお疲れでしょうからな」
「ははは」
周囲から笑いが漏れる。
「まあ、田舎騎士には――」
高級指揮官は薄く笑った。
「辺境のダンジョンの方が気も楽だろうしな」
「はははは!」
再び笑い声が上がった。
*
ユリウスが部隊の待つ街へ戻ると、兵士たちがすぐに集まってきた。
「隊長! 次の命令はなんでしょうか?」
「しばらく休息だ」
一瞬、兵士たちの表情が緩んだ。
「……よかった」
その反応を見て、ユリウスは何も言わなかった。
魔族相手の連戦は、さすがに辛かったのだろう。
兵士の一人が、少しして尋ねる。
「リバーナはどうなるのですか?」
「南部方面本部の精鋭が、奪還作戦を行うことになった」
「おお!」
兵士たちの間に期待が広がる。
「それなら、我らも参加した方が――」
「いや」
ユリウスは首を振った。
「我々に出番はない」
「そうですか……」
兵士の一人が不満そうに呟く。
「どうせ、地方部隊に手柄を立ててほしくないのでしょう」
「滅多なことを言うな」
「……すみません」
ユリウスはそれ以上責めなかった。
「我々は、命令に従うだけだ」
兵士が少し間を置いて尋ねる。
「では、休息の後は?」
「各地の古いダンジョンの警戒任務に回される」
「ダンジョンの警戒……ですか」
ユリウスは少し考えた。
「……いや」
何かに気づいたように顔を上げる。
「ちょうどいい」
「え?」
ユリウスは古いダンジョンの位置を記した地図を広げた。
「警戒任務なら、内部の様子も確認できる」
「探索するおつもりですか?」
「ああ」
ユリウスは地図を見つめた。
「リバーナの件が、偶然だったとは思えん」
その声は静かだったが、迷いはなかった。
「古いダンジョンに何が残っているのか、自分たちの目で確かめる」
*
十分な休息を取ったあと、ユリウス隊は最初の警戒対象となる古いダンジョンへ向かった。
入口には、長い年月を感じさせる石造りの構造物が残っている。
「ここも、かなり古いダンジョンなのだな?」
「はい。かなり古いものだと」
兵士が答える。
「冒険者は今でも探索をしているのか?」
「浅い階層からは、めぼしい宝物はなくなっているらしいですが」
そこで兵士は少し言葉を切った。
「最近は、魔族の石像が頻繁に運び出されていたようです」
「なるほどな」
ユリウスは入口を見上げた。
「貴族趣味とは、よく分からんものだな」
「ほんとにそうですね」
ユリウスは気持ちを切り替える。
「よし。このダンジョンに潜るぞ!」
兵士たちへ向き直る。
「深層まで行く準備をしろ!」
「はっ!」
*
ダンジョンの浅い階層では、特に変わったことは起きなかった。
何度か魔物が現れたものの、魔導騎士団の連携の前では大きな脅威にならない。
「魔物です!」
前衛が魔導障壁を展開し、後方から魔法が飛ぶ。敵が体勢を崩したところへ、近接部隊が一気に攻め込んだ。
戦闘は短時間で終わった。
「特に何もありませんね。いたって普通のダンジョンのようですが」
「まだ浅い階層だからな」
ユリウスは周囲を見ながら進む。
「現在確認されているのは何階層だ?」
「三十階層までは探索されているそうです」
「そこまで行けば、何か分かるかもしれないな」
隊はさらに奥へ進んだ。
そして三十階層。
そこでユリウスたちを待っていたのは、これまでとは明らかに異なるものだった。
巨大で古い扉。
表面には、一面に細かな彫刻が施されている。
「この扉は?」
「この扉の先が、未探索だということです」
兵士たちが押す。
動かない。
引いてみる。
やはり動かない。
武器を使い、魔法も試した。
「押しても、引いても、破壊しようとしても、びくともしません」
「なるほど」
ユリウスは扉を見上げた。
「だからこの先は未探索なのだな」
何を試しても動かない。
「……困ったな」
*
その日は扉の前で野営することになった。
焚き火の向こうに、巨大な扉がぼんやりと浮かんでいる。
ユリウスは考え込みながら、しばらくその表面を見ていた。
火が揺れた。
「……?」
一瞬だけ、扉の彫刻の中に何かが見えた気がした。
「今……文字のようなものが見えたような……」
ユリウスは立ち上がり、角度を変えて扉を見る。
「光の加減か……?」
焚き火の光が斜めから当たった時だけ、彫刻の凹凸に影ができる。
その影が、何かの形を浮かび上がらせていた。
「誰か」
ユリウスが魔法使いを呼ぶ。
「ファイアーボールを照明代わりにして、扉の右側に立ってくれないか」
「はい?」
言われた通り、魔法使いが扉の右側へ移動し、ファイアーボールを浮かべた。
斜めから光が当たる。
すると、それまでただの装飾にしか見えなかった彫刻の一部に、はっきりと文字が浮かび上がった。
「おお!」
兵士たちが声を上げる。
ユリウスは、その文字を読み上げた。
「扉の紋章に力を与えよ……?」
全員で扉を調べ直す。
装飾の中には、異なる六つの紋章が隠されていた。
「火、水、雷、風……」
兵士が指で追う。
「それに、黒と白」
「六つの紋章があります」
ユリウスはそれぞれを見比べた。
「属性を表しているのか……?」
試しに火属性の魔力を流す。
すると、火の紋章だけが光った。
続いて水、雷、風、黒、白。
それぞれの紋章は確かに反応したが、扉が動くことはなかった。
「反応はあります!」
「ですが、一つずつでは駄目です!」
ユリウスはしばらく考えた。
「……同時か」
そして顔を上げる。
「六属性を同時に流すぞ」
*
六人の魔法使いと僧侶が、それぞれの紋章の前へ配置された。
「合図で一斉に魔力を込めろ」
全員が頷く。
「今だ!」
火、水、雷、風、黒、白。
六つの紋章が同時に光った。
そこから伸びた光の筋が、扉全体へ走っていく。
「おお……!」
低い音が響いた。
ゴゴゴ……。
巨大な扉が、ゆっくりと動き始める。
その奥には、深い闇が広がっていた。
「……開いたか」
誰も、この扉が外からの侵入を防ぐためのものなのか、それとも中にある何かを閉じ込めるためのものなのかは知らなかった。
*
扉の先は、最初こそ洞窟のようだった。
だが進むにつれて、様子が変わっていく。
道幅が広がり、土だった床は大理石へ変わった。岩肌そのままだった壁も、整えられた石壁へと変わっていく。
兵士の一人が周囲を見回した。
「……ここ、地下ですよね?」
「ああ」
ユリウスも同じ違和感を覚えていた。
「なんだか、城の中にいるような気がするな」
さらに進むと、小部屋が並び始めた。
執務室らしき場所。
倉庫。
食堂。
ここに、誰かが長い間暮らしていた痕跡が残っている。
やがて、その先に巨大な大広間が現れた。
一歩入ったところで、兵士たちの足が止まる。
広間の中央に、一体の石像が立っていた。
胸には、剣が深く刺さっている。
その周囲にも、複数の魔族の石像が並んでいた。
「これは……」
兵士が息を呑む。
「ナハルやリバーナで戦った魔族ですよね?」
「ああ」
ユリウスは石像から目を離さなかった。
「忘れるものか」
静かに、しかし確信を込めて言う。
「ここは奴らの城の一つだ」
一呼吸置く。
「間違いない」
*
「……動き出したりしますかね?」
兵士の声に、わずかな緊張が混じっていた。
「どうだろう。まったく気配はないがな」
ユリウスは大広間をゆっくり見回す。
「どういうことだ? 何が違う?」
何かが引っかかる。
「……何か、違和感があるぞ」
街や城で見た石像と、ここにある石像。
姿は似ている。
だが、何かが違う。
「街や城で見た石像と、何が違う……?」
視線が、中央の石像へ戻る。
そして、その胸へ刺さった剣で止まった。
「……剣か!」
ユリウスが一歩近づく。
「こんなもの、刺さっていなかったぞ」
兵士たちも改めて石像を見た。
ユリウスは一人の兵士へ尋ねる。
「お前が冒険者なら、この状況でどうする?」
「……剣を抜いて、持ち帰りますね」
「石像は?」
「とりあえず、いらないです」
「だが、石像が高値で売買されるようになったら?」
兵士は一瞬考えた。
「……持ち帰ります」
「そういうことだ」
ユリウスは石像群を見上げた。
「最初に、価値のありそうな剣だけが持ち去られた」
そして、その後。
「石像そのものにも値がついた」
「それで、石像まで運び出された……」
「ああ」
ユリウスは頷く。
「だから街や城にある石像には、剣が刺さっていなかったんだ」
兵士の一人が、恐る恐る口を開いた。
「もしかして、石像はこの剣で封印されているのではないですか?」
ユリウスの表情が変わった。
「……そうか!」
これなら、いくつもの事実がつながる。
「剣を抜かれた石像が、各地へ運び出されている……」
そして思い出したのは、リバーナだった。
「なら……」
街の中心部が、突然崩れた。
外から攻め込まれた形跡ではなかった。
「リバーナで突然、街の中心部が陥落した時――」
ユリウスの中で、ひとつの可能性が形になる。
「外から侵入されたのではなく……」
目の前の、胸に剣を刺されたまま眠る石像群を見上げる。
「街に持ち込まれていた石像が」
一拍置く。
「中で目覚めた……?」
誰も答えられなかった。
だが、その可能性を否定できる者もいなかった。
*
ユリウスはしばらく考えたあと、決断した。
「よし。一度引き上げるぞ」
「この石像はどうします?」
兵士が尋ねる。
「不確定要素と謎が多すぎるな」
ユリウスは石像へ目を向けた。
剣を抜けば何が起きるか分からない。
だが、そのまま残していいとも思えない。
「とりあえず、剣は抜くな」
一拍置く。
「首だけ落としておけ」
「はっ!」
兵士たちが武器を構え、石像の首元へ近づいていく。
そのさらに奥には、なおも大量の魔族石像が静かに並んでいた。
ユリウスは険しい表情のまま、その光景を見つめ続けていた




