第五十九話 賢者リース王都へ行く
アーリアン王国へ続く街道は、拍子抜けするほど穏やかだった。
遠くには王都を囲む城壁と街並みが見え、道の両側には畑が広がっている。農民たちはいつも通り畑を耕し、荷馬車は急ぐ様子もなく街道を行き交っていた。子どもたちの遊ぶ声まで聞こえてくる。
そんな街道を、大きなバックパックを背負ったリースが一人で歩いていた。
「この辺りまで来るのも久しぶりですね」
研究に没頭していれば、王都へ足を運ぶ機会などそうそうない。久しぶりに見る景色は、以前とほとんど変わっていなかった。
「魔王軍のことも、ここではまだ遠くのお話って感じですね」
北の各地では状況が変わり始めている。だが、この辺りまで来ると、魔王や魔族の話もまだ日々の暮らしを直接脅かすものにはなっていないらしい。
リースは、街道沿いの穏やかな光景を眺めた。
「相変わらず平和ですね」
その平和が、いつまで続くのか。
今のリースには、そのことの方が気にかかっていた。
*
王都へ入ったリースが最初に向かったのは、バサルスの武器屋だった。
店の前まで来ると、リースは中を覗き込む。
「相変わらず、お客さんが少なそうですね」
店内は静かだった。
扉を開ける。
「こんにちは!」
奥では、バサルスが一人で武器を手入れしていた。
「なんだ? 客か?」
「普通、いらっしゃいませでしょ、そこは」
リースの声を聞いて、ようやくバサルスが顔を上げた。
「おお! リースか。珍しいこともあるもんだ」
そして、久しぶりの再会を喜ぶより先に、いつもの調子で続ける。
「お前が研究室から出てくるなんて、世界が滅ぶのか?」
リースは背負っていた大きなバックパックを床へ下ろした。
ドサッ、と重い音がする。
「久しぶりですね、バサルス」
一拍置いてから、リースは少しだけ真顔になった。
「逆に、当たってるかもしれません」
バサルスの表情から、笑いが消えた。
「魔王に関係する話か?」
「もっと、広範囲な話ですね」
「どういうことだ?」
リースはバックパックの中から一通の手紙を取り出した。
「この手紙を見てください」
バサルスが受け取り、まず差出人を見る。
「ん?」
すぐに顔が明るくなった。
「おおー! あいつらからか」
手紙を読み進めながら、口元を緩める。
「南の大陸に渡ってるのか。元気そうやな」
「ほんとに、無事だといいですけどね」
リースの声には、少しだけ心配が滲んでいた。
バサルスはさらに読み進めるうちに、ある部分で目を止めた。
「……剣と石像の解析結果?」
「ええ。南大陸で詳しく調べてもらったそうです」
バサルスが手紙へ目を戻す。
「石化していた魔族の胸に剣が刺さっていた……」
「その剣を抜いても、すぐに石化が解けるわけではありません」
リースは手紙の内容を確かめるように続けた。
「解析では、本来なら復活までかなり長い時間が必要だそうです」
そこまでは、まだ救いのある話だった。
問題は、その石像がすでに各地へ流れていることだった。
「とにかく、いま高価なコレクションとして集められている石像を何とかしなければなりません」
「ああ、あの悪趣味な石像か」
「ええ。このまま放置するわけにはいきません」
リースはまっすぐバサルスを見る。
「アーリアン王への面会をしたいんです」
「王に?」
「はい」
「取り次いでもらえませんか?」
バサルスは少し考えた。
「……分かった。とにかく、騎士団長に話をしてみよう」
*
その日のうちに、二人はアーリアン王国騎士団本部へ向かった。
もっとも、最初から話がすんなり通ったわけではない。
「騎士団長に会いたいのだが」
門前に立ったバサルスへ、守衛が怪訝な顔を向ける。
「なんだ貴様は」
「バサルスが来たと伝えてくれないか?」
「どこの馬の骨とも知れん奴を取り次ぎなどできん」
バサルスは怒るでもなく、困ったように眉を上げた。
「では、どうすればいい?」
「しかるべき身分の者に取り次ぎを頼め」
「それでは間に合わんな。何とかならんか」
「しつこい!」
守衛はついに声を荒らげた。
「帰れ!」
その時だった。
任務帰りらしい騎士団の一隊が、門の向こうから近づいてきた。
その先頭にいた高級将校が、バサルスの姿を見るなり足を速める。
「バサルス様!」
「どうされたのですか?」
「おお、久しぶりだな。相変わらず元気そうだな」
「はい! だいぶ歳は取りましたが」
将校は懐かしそうに笑う。
「騎士団長に話があってな」
「それなら、ご連絡いただければこちらから迎えの者を向かわせましたものを」
「いやいや、もう部外者だからな」
二人のやり取りを見ていた守衛の顔色が、みるみる変わっていった。
「あ、あの……」
恐る恐る口を挟む。
「この方は……?」
高級将校が不思議そうに振り返った。
「知らないのか?」
そして、当然のことを説明するように言った。
「アーリアン王国最強の武闘家、元武術師範のバサルス様だ」
守衛の顔が真っ青になる。
「失礼はなかっただろうな?」
「はっ! い、いえ、その……!」
バサルスは慌てる守衛を見て、気にするなというように手を振った。
「昔のことだ。知らなくても仕方あるまい」
その言葉で、守衛はさらに恐縮した。
「失礼いたしました!!!!!」
*
騎士団長室へ通されると、高級将校が扉を開けた。
「騎士団長。火急の要件とのことで、バサルス様がおいでです」
机に向かっていた騎士団長が顔を上げる。
「なんだ、まだ生きてたのか」
「おたがいさまだ」
次の瞬間、二人は肩を組んで豪快に笑った。
「アッハッハッ!」
「ハハハ!」
どうやら、ずいぶん長い付き合いらしい。
「たまには討伐依頼にも参加してくれ。忙しくてかなわん」
「おれは武器屋が忙しい」
「暇そうにしてるの知ってるぞ」
「うるさい」
そのやり取りを眺めていたリースに、ようやく騎士団長の視線が向いた。
「ところで、こちらは?」
「賢者リースだ」
「おお!」
騎士団長はすぐに姿勢を正した。
「お初にお目にかかります。お噂はかねがね聞き及んでおります」
「初めまして。リースです」
三人は机を囲み、リースがこれまでに分かった石像のことを説明した。
「――というわけです。ただの石像ではない可能性が高いんです」
「なるほど……」
騎士団長は腕を組んで考え込む。
「そういえば、王城にも石像がありますね」
「王城に?」
「ええ。たしか、どこかの貴族から贈られたものだったかと。ただの石像にしか見えませんでしたが」
リースの表情がわずかに強張る。
もし同じものなら、王のすぐ近くに魔族が置かれていることになる。
「王城へ行かれるのでしたら、こちらから連絡しておきます」
「助かります」
「明日、参りましょう」
バサルスが騎士団長を見る。
「お前も来るのか?」
「ここまで聞いて、知らん顔もできんだろう」
騎士団長はそこで少し笑った。
「まあ、仕事の話はひとまず置いといて」
久しぶりに会った旧友へ顔を向ける。
「久しぶりだ。一杯付き合え」
そしてリースにも声をかけた。
「賢者様も、よければどうです?」
「いいですね!」
*
その夜、三人は王都の酒場にいた。
仕事の話から離れれば、自然と昔話が増えていく。
「リースは、賢者とか言われてるが」
バサルスは酒を飲みながら、いきなり話題をリースへ向けた。
「ほんとに抜けてるやつでな」
「何ですか急に」
「魔物と戦ってるのに、珍しいものを見つけるといきなりいなくなったりするから大変なんだよ」
騎士団長が吹き出した。
「あはは! それは困るな」
「いや、貴重な遺物が戦闘で破壊されたら困りますので」
リースは至って真面目だった。
バサルスが騎士団長を見る。
「これだよ」
「アハハハ! 賢者様、面白いな」
ひとしきり笑ったあと、騎士団長は昔の討伐を思い出したように言った。
「まあ確かに、バサルスの戦闘はやたら広範囲に動き回るからな」
「それが武闘家の戦い方だ」
「俺も初めて一緒に討伐へ行った時は、面食らったわ」
若い頃のバサルスは、魔物の周囲を縦横無尽に駆け回り、相手の攻撃をかわしながら懐へ入り込んでいた。
「だから、遺物の近くで戦ってほしくないんですよ」
「敵がそこにいるんだから、仕方ないだろ」
あまりにも噛み合わない二人の会話に、騎士団長はまた大声で笑った。
*
翌朝。
リース、バサルス、騎士団長の三人は、アーリアン王城の謁見の間に立っていた。
玉座に座るアレス王は、リースの姿を見ると少し驚いたようだった。
「賢者様がわざわざ来られるとは、驚きました」
「突然の訪問となり、申し訳ありません」
「いえ。あなたほどの方が直接足を運ばれたということは、それだけ重要な話なのでしょう」
「はい」
アレス王はすぐに側近へ命じた。
「マリアを呼んでくれ」
「はっ」
ほどなくして、筆頭魔術師マリアが謁見の間へ入ってくる。
「お呼びでしょうか」
「リース殿から、少々気になる話がある」
リースは改めて、南大陸で行われた剣と石像の解析結果を説明した。
「――以上が、南大陸で行われた解析の結果です」
アレス王はすぐには言葉を返さなかった。
「石像だと思われていたものが、石化した魔族だと……」
「はい。胸に刺さっていた剣を抜いても、すぐに石化が解けるわけではありません」
「にわかには、信じがたい話だが……」
アレス王の反応も無理はなかった。
これまで美術品や珍しい収集物として扱われてきた石像が、実は生きた魔族だと言われても、すぐに受け入れられる話ではない。
「でしたら、王城にある石像を調べてみましょうか?」
マリアが提案した。
「そうだな。実物を確認してみよう」
*
王城内の一角に置かれていた石像の前へ、一同が集まった。
アレス王、マリア、リース、バサルス、騎士団長。さらに数名の護衛兵が周囲を固める。
「では、少し調べてみます」
マリアが石像へ手をかざした。
その瞬間だった。
「……気づいたか?」
声がした。
誰も動けなかった。
石像の目が、ゆっくりと開く。
「まあ、そろそろ頃合いだとは思っていたしな」
石像の表面に細かな亀裂が走り始めた。
一同が驚く中、魔族はゆっくりと身体を動かした。
「確か、貴様がこの国の王だったな」
視線がアレス王へ向く。
「手始めに、貴様からだな」
「アレス様!」
騎士団長と護衛兵が即座に王の前へ出た。
「下がってください!」
護衛兵たちが魔族を取り囲む。
「囲め!」
騎士団長の号令と同時に、兵士たちが武器を構えた。
だが魔族は、面倒そうに腕を振っただけだった。
ドゴォッ!!
凄まじい衝撃が走り、複数の兵士たちがまとめて吹き飛ばされる。
「強い……!」
マリアがすぐに魔力を集めた。
「ファイアーイーグル!」
炎が巨大な鳥の姿となり、魔族へ飛ぶ。
「ほお」
魔族は興味深そうにそれを見た。
「今はこんな魔法があるのか。面白い」
魔族の手前に、魔法陣のような障壁が浮かぶ。
ファイアーイーグルが激突した瞬間、その形が崩れ、炎となって地面へ落ちた。
「障壁を作れるのか!」
リースが目を見開く。
バサルスが一歩前へ出た。
「なら、直接叩くしかないな」
一気に距離を詰める。
「アレス様! こちらへ!」
騎士団長はその間に王を下がらせた。
バサルスの拳と魔族が正面から激突する。
ドンッ!!
魔族の身体が、わずかに後退した。
「ほう……」
初めて、魔族の顔にわずかな興味が浮かんだ。
そこへ、騒ぎを聞きつけた増援の兵士たちが次々と駆け込んでくる。
魔族は周囲を見回した。
「……まあいい」
その背中から、翼が大きく広がった。
「翼!?」
リースが声を上げる。
「貴様らが自ら招いたことだ」
魔族は窓へ向かう。
「後悔しても、もう手遅れだがな」
次の瞬間、窓を突き破り、そのまま空へ飛び去った。
「逃がすな!!」
騎士団長の叫びが王城に響いた。
*
王城は一気に騒然となった。
「騎士団長!」
「はっ!」
「国内にある石像を調べろ。危険なものはすべて破壊する」
「お待ちください!」
リースが言葉を遮った。
「破壊命令はまだ出さないでください」
「なぜだ?」
アレス王がリースを見る。
「もし、今まで石像のふりをしていた魔族が他にもいるのだとしたら…」
一同の表情が変わる。
「破壊しろという命令そのものが悪手になります」
リースは慎重に言葉を選んだ。
「自分たちが狙われていると気づけば、王都中で逆に暴れ出すかもしれません」
「……それはまずいな」
騎士団長もすぐに理解した。
「では、どうする?」
アレス王の問いに、リースは迷わず答えた。
「特別部隊を編成してください」
石像が複数あるなら、まとめて刺激するべきではない。
「一度に複数の石像を刺激せず、一体ずつ確実に処理します」
「少数精鋭で動くわけか」
「はい。万が一、目覚めてもその場で対処できる戦力が必要です」
アレス王は短く考えたあと、頷いた。
「分かった。騎士団長、特別部隊を編成せよ」
「はっ!」
こうして、石像対策のための特別部隊が組まれることになった。
指揮は騎士団長、補佐にマリア、リースはオブザーバーとして参加する。実働には騎士団員、魔法使い、僧侶が選ばれ、さらに万が一に備えてバサルスも加えられた。
「勝手に決めるな」
本人だけが不満そうだった。
*
数日後。
騎士団本部の一室には、国内に存在する石像の情報が集められていた。
だが、騎士団長は机の上の報告書を見て眉をひそめた。
「……少ないな」
「思っていたより、石像の情報が集まりませんね」
マリアも同じ疑問を抱いていた。
そこへ、調査に出ていた騎士団員が報告に来る。
「どうやら、石像を破壊されるという噂が広がっているようです」
「破壊される?」
「はい。高価なコレクションですので、所有者が隠している可能性があります」
騎士団長は呆れたように息を吐いた。
「何を考えているんだ? 危険だから調べているというのに」
その少し離れた机では、リースが集められた資料を黙々と確認していた。
石像そのものの記録だけではない。入手時期、持ち主、保管場所。その周辺で何が起きていたかまで目を通している。
ある一枚の記録で、リースの手が止まった。
「……ん?」
もう一度読み返す。
「……まさか」
地図と資料を見比べた。
「これは……?」
何かが引っかかる。
リースは近くにいた事務官へ声をかけた。
「すいません。ここ数年の、王都と王都周辺地域で起きた凶悪事件の資料をいただけますか?」
「はい?」
事務官は突然の依頼に少し戸惑った。
「……分かりました。用意いたします」
しばらくして、リースの机には大量の事件記録が積まれた。
一件ずつ読み、発生した場所と時期を地図へ書き込んでいく。
点が一つ増え、また一つ増える。
やがてリースの手が止まった。
「……やはり」
一件の事件記録を手に取る。
そこには、明らかに普通の人間が起こしたとは考えにくい被害が記されていた。
「これなどは……人間の力で起こしたとは考えにくいですね」
当時の記録にも、『魔物、あるいはそれに類する存在の可能性』と記されている。
さらに別の未解決事件へ目を移す。
「しかも、犯人が分かっていない事件が思っていた以上に多い……」
ただし、ここで結論を急ぐわけにはいかない。
「もちろん、これらすべてが石像と関係しているとは言えませんが……」
リースは、事件の時期と場所を書き込んだ地図を改めて見つめた。
古い事件ほど王城に近い。
それより後に起きた事件は、少しずつ外側へ移っている。
「やはり、王城に近い場所から事件が起きている」
地図全体を見渡す。
事件の発生地点は、年を追うごとに王城を中心とした外側へ広がっていた。
「しかも……」
リースの指が、地図の上をゆっくりと動く。
「だんだんと、その輪が大きくなっていっている」
しばらく、地図を見つめた。
「……どういうことなのでしょうね?」




