第五十五話 草原の民の古き裁き
カザンパース中央商館前へなだれ込んだ騎馬隊は、そのまま処刑台の周囲を押さえた。
「処刑を止めろ!」
馬上から響いたバルガン王の声に、今まさに刑を執行しようとしていた者たちが動きを止める。広場を埋めていた市民たちも、突然現れた騎馬隊を見上げ、驚きの声を上げた。
「国王だ……!」
「バルガン王だぞ!」
バルガンは周囲の騒ぎには目もくれず、縄をかけられたまま並ばされているノームたちへ視線を向けた。
「これはどういうことだ?」
問いかけに応じて、セルジュ・ヴァルネスが人垣の中から前へ出た。その表情には、まだ大きな動揺は見えない。
「陛下。王女毒殺未遂事件の犯人を捕らえました」
「ほう?」
バルガンは馬上からセルジュを見下ろした。
セルジュも退かなかった。
「ここは自治都市ですので、刑を執行するのは我らの権限です。陛下には関係のないことです。どうぞ、お引き取りください」
「……ほう」
低い声が返ってきた。
先ほどまで騒がしかった広場の空気が、少しずつ張り詰めていく。
「関係ないだと?」
バルガンの目が細くなった。
「王女が殺されかけ、わしの使者まで襲われておる。それを勝手に犯人と決め、今すぐ処刑するというのか?」
セルジュは表情を変えずに答えた。
「それが、この街の判断です」
「そうか」
バルガンは一度だけうなずいた。
「ならば、わしも勝手にさせてもらおう」
「……何を?」
「ここから退く気はない!」
その言葉を合図にしたかのように、背後の騎馬兵たちが一斉に武器を構えた。
横にいたフミタロウが、小さくつぶやく。
「やっぱりそうなるんや……」
バルガンはそんな声には構わず、改めてセルジュを見据えた。
「セルジュ・ヴァルネス。貴様が中心になって動いていたことは、すでに聞いておる」
「……何のことでしょう?」
セルジュはすぐにいつもの落ち着きを取り戻した。
「根拠のない話で、私を罪人扱いされても困りますな」
二人の視線がぶつかり、広場全体が息を潜めた。
*
その頃、カザンパースの反対側では、セルジュ以外の大商人たちが馬車を連ねて街を離れようとしていた。
「急げ!」
「セルジュが時間を稼いでいるうちに出るぞ!」
「このまま街にいたら終わりだ!」
御者を急かしながら門を抜ける。
しかし、街の外へ出たところで、先頭の馬車が急に速度を落とした。
「な……」
前方の道を、騎馬の軍勢が塞いでいる。
「止まれ!」
自由都市派の兵が声を張り上げた。
「カザンパースから出た者は、全員その場に留まれ!」
引き返そうにも、後ろには続く馬車が詰まっている。大商人たちが戸惑う間にも、騎馬兵が左右から回り込んで退路を塞いだ。
「全員、拘束しろ!」
指揮官の命令が飛び、逃げようとしていた者たちは次々と馬車から降ろされていった。
*
中央商館前では、バルガンとセルジュの睨み合いが続いていた。
そこへ、広場の反対側から新たな騒ぎが起こる。
「今度はなんだ!?」
「自由都市派だ!」
市民たちが振り返ると、自由都市派の騎馬隊が大通りを進んでくる。その後ろには、縄をかけられた大商人たちの姿まであった。
バルガンもそちらへ目を向ける。
自由都市派の指揮官が進み出た。
「カザンパースを出ようとしていた者たちを捕らえた。随分と慌てていたようだ」
それを聞いた瞬間、セルジュの表情が初めて崩れた。
拘束された大商人の一人が、苦い顔で彼を見る。
「セルジュ……」
中央商館前には、統一王家派と自由都市派の双方の軍勢が揃っていた。その中央に立つセルジュを見ながら、バルガンが口元を歪める。
「さて。ずいぶんと賑やかになってきたな」
フミタロウが小声で漏らした。
「もう逃げ道ないんちゃう?」
セルジュは何も答えなかった。
バルガンは再び彼へ向き直る。
「セルジュ・ヴァルネス。貴様が中心になって動いていたことは、すでに聞いておる」
「……何のことでしょう?」
セルジュはなおもとぼけた。
「根拠のない話で私を罪人扱いされても困りますな」
「根拠ならある!」
群衆の後ろから声が上がった。
一同が振り返る。
人垣を抜けて現れたのは、ノーム商会長、トルム、そしてクリフトスたちだった。その中には、セルジュの計画を密かに商工会へ知らせた大商人もいる。
セルジュの顔から、さらに余裕が消えた。
「……貴様」
「もう終わりだ、セルジュ」
商人はそのまま両陣営の前へ歩み出た。
「王女毒殺未遂。両陣営を争わせるための工作。軍需品の買い占め」
広場の視線が一斉に集まる。
「すべて、この男が中心になって進めた計画です」
「貴様……自分だけ助かるつもりか?」
セルジュの声には、今までになかった怒りが滲んでいた。
「助かるかどうかは知らん。だが、もうお前のやり方にはついていけない」
商人はセルジュから目を逸らさなかった。
自由都市派の指揮官が、一歩前へ出る。
「証言だけでは足りん。証拠はあるのか?」
「ある」
答えたのはノーム商会長だった。
彼は持ってきた帳簿を取り出し、両陣営の前へ差し出した。
「軍需品の取引記録だ。武器、防具、馬具、保存食。騒ぎが起こる前から、大量に買い集めている」
焼け残った帳簿が次々と並べられる。
バルガンはその記録へ目を落とした。
「証言だけではないようだな」
「まだあります」
内通した商人は、今度は処刑台へ視線を向けた。
「セルジュはノーム商工会を制圧するつもりでした。街にいるノームも捕らえ、今回の事件の黒幕に仕立てる」
群衆がざわめく。
「そして――全員を処刑するつもりだった」
縛られたノームたちを見て、市民たちの表情が変わっていった。
「その後、両陣営へ正式な使者を送り、事件は解決したと報告する。必要なら、両陣営の重要人物には賄賂を渡すつもりだった」
今度こそ、広場が静まり返った。
バルガンはしばらく黙っていたが、やがて眉を寄せた。
「……わしまで買収する気だったのか?」
隣で聞いていたフミタロウが、思わず小さく漏らす。
「いや、あんたは無理やろ……」
*
証言と証拠が揃ったあと、ユリクが前へ出た。
「……もう十分だ」
その目はセルジュから離れない。
「こいつはリュナを殺そうとした。それだけではない。俺たちを争わせ、戦まで起こそうとした」
声に怒りが滲む。
「処刑すべきだ」
セルジュは何も答えなかった。
バルガンはしばらくユリクを見ていたが、やがて低い声で答えた。
「……気持ちは分かる。だが、どう裁くかは少し考えねばなるまい」
「なら、どうする?」
その時だった。
処刑寸前まで追い込まれていたノームたちの中から、年配の男が一人、前へ出た。
「……許せるわけがない」
セルジュを睨みながら言う。
「だが……俺は昔、セルジュに助けてもらったことがある」
ユリクも意外そうに振り返った。
セルジュ自身も、初めて聞いた話であるかのように年配のノームを見る。
「もともとは、こんな奴じゃなかった」
男はしばらく黙ったあと、言葉を続けた。
「憎んではいる。だが――せめて、神の判断に託してはもらえないか?」
広場が再び静まり返った。
セルジュが、かすかな声で問いかける。
「……なぜ」
年配のノームは答えなかった。
バルガンは腕を組み、しばらく考えてからうなずいた。
「ふむ……古き裁きの法にて裁くか」
ユリクが彼を見る。
「たしかに、我ら草原の民の作法だな」
「……神の判断に委ねる、と?」
「そうだ」
バルガンはセルジュへ向き直った。
「セルジュ・ヴァルネス。貴様の生死は――神に問う」
*
ほどなくして、従者が小さな杯と毒を運んできた。
ユリクはそれを見て、わずかに眉をひそめる。
「……本当に、それでいいのか」
「古き裁きでは、毒を飲み、生きるか死ぬかを神に委ねる」
バルガンは淡々と説明した。
セルジュの前に杯が置かれる。
「拒むこともできる。その場合は、通常の裁きを受けてもらう」
セルジュはしばらく杯を見つめていた。
「……いや」
やがて手を伸ばす。
「受けましょう」
杯を手に取り、静かに持ち上げた。
「神が、私をどう裁くのか」
そのまま口元へ運び、毒を飲み干す。
広場には、誰一人として声を出す者はいなかった。
やがてセルジュの手から杯が落ちた。
カラン、と乾いた音が響く。
「ぐっ……」
身体が大きく揺れ、膝をつく。そのまま地面へ倒れ込むと、周囲からどよめきが起こった。
「医者を呼べ!」
ラシードが叫ぶ。
医師がすぐに駆け寄り、セルジュの処置を始めた。
「生きるなら、それも神の判断だ」
バルガンの言葉を聞きながら、フミタロウは地面に横たわるセルジュを見つめていた。
「……死ぬなよ」
セルジュ・ヴァルネスの生死は、古き裁きに委ねられた。
*
セルジュが運ばれ、広場の騒ぎもようやく落ち着き始めた頃、フミタロウのもとへミルキーが駆けてきた。
「フミタロウさん!」
「おお!」
サンキチ、クリフトス、シルフィエ、トルムもその後ろからやってくる。
フミタロウは揃った顔を見回した。
「みんな無事やったんか」
「なんとか」
サンキチが答える。
「こっちは大変だったんですよ!」
ミルキーがすぐに続けた。
「籠城することになるとは思いませんでした」
「籠城!?」
「傭兵に囲まれてな」
シルフィエが説明すると、トルムも付け加える。
「建物ごと燃やされかけた」
フミタロウは呆れた顔をした。
「俺がおらん間に何してんねん」
「こっちの台詞ですよ」
サンキチに即座に返される。
フミタロウは少しだけ笑い、改めて全員の顔を見た。
「まあ、とりあえず全員無事でよかったな」
「はい!」
ミルキーも明るくうなずいた。
これでようやく一段落――と思ったところで、シルフィエがフミタロウへ顔を向けた。
「で」
「ん?」
「結婚するのか?」
一瞬、間が空いた。
「だから、しねーよ!」
サンキチ、ミルキー、トルムが吹き出し、クリフトスまで穏やかに笑う。
「まだ覚えてたんですか!」
しかしシルフィエだけは真顔だった。
「違うのか?」
さらに笑い声が大きくなる。
「なんでそこだけ信じてんねん!」
「そこ、ずっと引っかかってたんですね」
サンキチの言葉に、フミタロウはますます納得がいかない顔をした。
*
少し離れた場所では、バルガン王が周囲を見回していた。
「おい。従者フミタロウはどこへ行った?」
その声を聞いたサンキチが、フミタロウを振り返る。
「なんか呼んでますよ」
「従者やないって」
ぶつぶつ言いながらも、フミタロウはバルガンの前まで歩いていった。
「なんでしょう?」
「お前たちは、この後どうするのだ?」
「東へ向かいます」
「従者なのに?」
「だから、なってないって」
すぐ横にいた高官が顔を真っ赤にした。
「貴様! 陛下に向かって不敬であるぞ!」
「そんなこと言われても……」
少し離れたところから、そのやり取りを見ていたサンキチが笑う。
「なんか、フミタロウさん、面白そうなことになってますね」
「また、何かやらかしたんでしょう」
クリフトスが穏やかに言う。
「いつも通りですね」
ミルキーまで続いた。
「バカなのか?」
最後にシルフィエ。
「ひどい!」
フミタロウの声が広場に響いた。
*
騒動が落ち着いたあと、一行はこれからの旅について話し始めた。
「とりあえず、次は俺の村へ行こう」
トルムの提案に、フミタロウもうなずく。
「おう。じゃあ、まずそこやな」
それからユリクへ向き直った。
「東の島まで行ったら帰りに寄るから、リュナちゃんにもよろしくー」
「ああ」
ユリクは少しだけ笑った。
「待ってるぞ」
その会話を聞いていたバルガンが、どこか不満そうに口を挟む。
「……わしのところは?」
フミタロウは少し考えた。
「じゃあ、ついでに寄ります」
「貴様!!」
また高官が声を上げる。
「まあまあ……」
今度はラシードがなだめに入った。
バルガン自身は怒るどころか、大声で笑い始めた。
「がははは! ほんとに面白いやつだな!」
ひとしきり笑ったあと、少しだけ真面目な顔になる。
「必ず顔を出すのだぞ」
「わかりました」
フミタロウも笑って答えた。
こうしてカザンパースで起きた騒動は、ひとまず終わりを迎え、一行は再び東への旅を続けることになった。
*
数日後。
カザンパースの一室に置かれた簡素な寝台の上で、セルジュ・ヴァルネスの指がわずかに動いた。
ゆっくりと目を開く。
「……」
そばにいた医師が、その変化に気づいた。
「気がついたか」
「……私は」
まだ力の戻らない声だった。
医師は静かに答える。
「生きている」
セルジュはしばらく天井を見つめた。
「どうやら、神はお前にまだ生きろと言ったらしい」
「……そうですか」
セルジュは一度目を閉じ、それから窓の外へ視線を向けた。
彼は生き延びた。
しかし、それまで築いてきた財産も地位も、すべて失われることになった。
セルジュはゆっくりと上体を起こし、何もない部屋の中で自分の手を見つめる。
「……どこかで、間違えてしまったんですね」
しばらく手を見たまま、声を落とした。
「私は」
窓の向こうから、朝の光が差し込んでいた。
セルジュ・ヴァルネスに残されたのは、命だけだった。




