第五十四話 おっさん、間に合う
ノーム商工会の一室には、重い空気が漂っていた。
大商人の男は、自分が知る限りの計画をすべて話し終え、商会長たちの返事を待っている。クリフトス、サンキチ、ミルキー、シルフィエ、そしてトルムも同席していた。
「……なるほどな」
トルムが腕を組むと、商会長もゆっくりとうなずいた。
「あんたの情報は分かった」
「私の身の安全は保障してくれるのだな?」
商人の問いに、商会長は少し間を置いてから答えた。
「弁護はしてやる。だが、二大勢力がどう判断するかまでは分からん。特に自由都市派は、王女を殺されかけているしな」
商人の表情が強張る。
「もう少し働いてもらわないと、無理かもしれんぞ」
「……では、どうすればいい?」
「会議に参加して、さらに情報を流してもらおうか」
商人は黙り込んだ。ここまで話してしまった以上、もう以前と同じ場所へ戻ることはできない。
「……そうか。分かった」
*
カザンパースの大商人たちが集まる会議室では、ノーム商工会と旅人たちにつながりがあることが、すでにセルジュたちの耳にも入っていた。
「どうする? すでに使者は出ているんだぞ!」
焦りを隠せない商人たちとは対照的に、セルジュ・ヴァルネスだけは落ち着いていた。
「焦らずともよいですよ」
「だが――」
「ここはカザンパース。我らの街です」
その言葉に、周囲が静まる。
セルジュはごく当然のことを説明するような口調で続けた。
「ノーム商工会へ兵を送り、捕らえます。街にいる、それ以外のノームも捕らえる」
「全員か?」
「ええ。今回の黒幕はノーム――そういうことにすればよいのです」
何人かの商人が顔を見合わせたが、セルジュは構わず話を進める。
「捕らえた者は即処刑する。その後、両陣営へ正式な使者を派遣して、事件は解決したと報告すれば済みます」
「……それで納得するか?」
「もちろん、両陣営の重要人物には、それなりの賄賂が必要でしょうがね」
声を荒らげることもなく、表情を崩すこともない。その平静さが、かえってセルジュの言葉を不気味なものにしていた。
*
ノーム商工会では、職員が息を切らして部屋へ駆け込んできた。
「商会長! 例の商人から、緊急の連絡です!」
「なんだ?」
「逃げろ、と」
それだけで室内の空気が変わった。
「ノーム商工会へ兵を送るそうです。街にいるノームも捕らえるつもりだと!」
「なんだと!?」
トルムが思わず声を上げる。
職員はさらに続けた。
「それと……黒幕は――セルジュ・ヴァルネスです」
「……セルジュか」
商会長はすぐに立ち上がった。
「使者を出せ!」
「どちらへ!?」
「両方だ! 自由都市派と統一王家派へ! それが済んだら、ここを引き払う。急げ!」
命令を受けた職員たちが一斉に動き出し、複数の使者が商工会を飛び出していく。その一方で、残った者たちは帳簿や荷物をまとめ始めた。
だが、逃走の準備を始めて間もなく、建物の外から怒号が響いた。
「止まれ!」
「入口を固めろ!」
トルムが顔を上げる。
「……もう来たのか?」
シルフィエが窓へ寄り、外の様子を確かめた。正面だけではない。裏手にも武装した兵が回り込んでいる。
「囲まれている」
「裏口も駄目です!」
別の職員が駆け戻ってきた。
「兵が回っています!」
「……遅かったか」
商会長が苦々しくつぶやく。
「他に抜け道は?」
クリフトスが尋ねたが、商会長は首を横に振った。
「ない」
「じゃあ……どうするんですか?」
ミルキーが不安そうに周囲を見る。
シルフィエはすでに武器を取り、サンキチも杖を握っていた。クリフトスもフルートを手にする。
「使者は出した」
商会長は全員を見回した。
「なら、あとは届くまで持ちこたえるしかない」
「そういうことだな」
シルフィエが短く答える。
トルムも状況を理解したらしく、ゆっくり息を吐いた。
「……籠城か」
*
商工会の正面を包囲した傭兵部隊の隊長が、建物へ向かって声を張り上げた。
「ノーム商工会の者ども! 貴様らには捕縛命令が出ている! 抵抗はするな! 大人しく出てこい!」
その声は商工会の中まで十分に届いていた。
「捕まったら……どうなるんでしょう?」
ミルキーの問いに、商会長は険しい表情のまま答える。
「セルジュの話どおりなら、俺たちを黒幕に仕立てるつもりだ」
「……出たところで助からんな」
トルムの言葉に、商会長もうなずいた。
「なら、答えは一つだ。ここで持ちこたえる」
「使者が届くまで、ですね」
「ああ」
クリフトスがフルートを握り直した、その直後だった。
「返事がないな」
外で傭兵隊長の声がする。
「扉を破れ!」
兵たちが丸太を抱えて正面扉へ走り込み、勢いよく叩きつけた。
ドンッ!
建物全体が揺れる。
ドンッ!
「もっとこっちだ!」
「はい!」
トルムと職員たちが机や棚を運び、内側から扉を塞いでいく。ミルキーも一緒になって家具を押したが、再び強烈な衝撃が扉を襲った。
ドガンッ!
「もうもたんぞ」
「入ってきますね……」
シルフィエとサンキチが入口へ向き直る。
「戦えない者は奥へ!」
商会長の声とほぼ同時に、扉が大きな音を立てて破壊された。
「突入!!」
「来るぞ!」
兵士たちが一斉になだれ込んでくる。
その前へ、ミルキーが踏み出した。
「まとめていきます!」
杖に魔力を集め、床を踏みしめる。
「トルネード!」
轟音とともに猛烈な風が入口を吹き抜けた。
「え?」
先頭にいた兵士が、何が起きたのか理解するより先に身体を浮かされる。後ろから続いていた兵士たちまで巻き込まれ、突入部隊はまとめて外へ吹き飛ばされた。
「うわあああああっ!!」
サンキチが目を丸くする。
「……すご」
「入口が片付いたな」
シルフィエが何事もなかったように言う。
だが傭兵隊長も、そこで諦めるつもりはなかった。
「怯むな! もう一度いけ!」
崩れた隊列が立て直され、後続部隊が再び商工会へ向かってくる。
今度はサンキチが前へ出た。
「じゃあ――次は僕ですね」
杖を構え、押し寄せてくる兵士たちへ向ける。
「炎火散弾!」
大量の小型炎弾が次々と飛び出し、兵たちの間へ降り注いだ。
「ぎゃー!!」
「熱っ!!」
まともに進むこともできず、隊列はたちまち崩れていく。
「い、一旦撤退!!」
傭兵隊長の指示で兵たちは距離を取り、商工会の入口には一時的な静けさが戻った。
トルムはサンキチたちを順番に見てから、ぽつりと言った。
「……あんたら、強いな」
「まあ……いろいろありましたから」
サンキチが少し困ったように答えると、ミルキーも苦笑した。
「最初の頃よりは、かなり」
シルフィエだけは外の様子を警戒し続けていた。
「まだ来るぞ」
「感心している場合ではなさそうですね」
クリフトスもフルートを構え直す。
「……だな」
トルムがうなずき、商会長は外で再編を始めた傭兵たちを見た。
「次が本番かもしれん」
*
「敵は魔法使いだ。正面から突っ込んでも、また吹き飛ばされるだけだ」
傭兵隊長は部隊を組み直しながら、先ほどまでとは違う配置を命じていた。
「こちらも魔法使いと弓兵で、相手の動きを止める。その隙に突撃して、接近戦に持ち込めばいい!」
弓兵、魔法使い、近接兵がそれぞれ配置につく。
「配置につきました!」
「よし。用意でき次第、仕掛けるぞ!」
「おおっ!」
ほどなく、商工会へ向けて矢と魔法が一斉に放たれた。
遠距離からの攻撃で中にいる者たちの動きを抑え、その隙を突いて近接兵が突入する。
「今だ! 突撃しろ!!」
「接近戦に持ち込め!」
「魔法を使わせるな!」
兵士たちは一気に間合いを詰めた。
しかし、その先でミルキーは慌てるどころか、静かに杖を握り直した。
「近づけば安全だと――思いました?」
魔力が集まり、風が長柄武器の形を取る。
「ウインドハルバート!」
「なっ!?」
驚く兵士の横では、クリフトスもフルートを奏でながら雷を剣の形へ変えていた。
「残念ですが、私も近い方が苦手というわけではありません」
「雷神剣!」
風の長柄武器と雷の剣が、突入してきた兵士たちを迎え撃つ。
「ぐあっ!」
「魔法使いじゃないのか!?」
外から様子を見ていた傭兵隊長が顔を引きつらせた。
「近接もいけるのかよ……!」
さらに、兵士たちが態勢を整えるより早く、シルフィエがその横を一気に駆け抜けた。
「私のことも――忘れてもらっては困る!」
短剣を抜き、そのまま敵の懐へ踏み込む。
兵士の武器を弾き、別の兵の攻撃をかわし、踏み込んだ勢いのまま足を払う。捕まえようと伸ばされた手も、触れる前にすり抜けていく。
「速っ――!」
「捕まえられん!」
短剣一本を手にしたシルフィエが複数の兵を翻弄し、その背後ではミルキーとクリフトスも接近戦で押し返している。
傭兵隊長は、もはや呆れたようにつぶやいた。
「なんなんだ、こいつら……!」
*
二度目の攻撃も失敗に終わった。
「ええい! 態勢を立て直す!」
傭兵隊長は兵を下がらせ、そのまま商工会を包囲させた。
正面から入れない。接近戦でも押し切れない。
しばらく建物を睨んだあと、隊長はついに別の命令を出した。
「商工会の建物ごと燃やしてしまえ!」
「捕縛命令では?」
兵士の一人が思わず聞き返す。
「うるさい! あんな奴ら捕縛してたら――被害が大きすぎるわ!!」
弓兵たちが火矢を準備する。
商工会の中からそれを見たサンキチが、少し呆れた声を漏らした。
「……今度は燃やす気みたいですね」
「無茶苦茶だな」
シルフィエも同意した。
「放て!」
「燃やせ!」
大量の火矢が空を埋める。
「火矢です!」
「そんな……!」
サンキチとミルキーの声を聞きながら、クリフトスは静かにフルートを構えた。
「ならば――」
旋律とともに青い魔力が広がり、商工会の建物全体を包み込んでいく。
「これで――水の守り」
火矢が次々と屋根や壁へ突き刺さった。
ジュウゥゥ……。
火は上がることなく消えていく。
「なにっ!?」
「建物ごと守っただと!?」
傭兵隊長が目を見開く。
クリフトスはフルートを構えたまま、落ち着いた声で言った。
「しばらくは、燃えませんよ」
さらにシルフィエが弓を構え、包囲している兵士たちへ向けて矢を放った。狙っているのは身体ではない。足元や武器のすぐそばへ正確に射ち込み、別方向へ回ろうとした兵にも矢を飛ばして進路を塞いでいく。
包囲陣は次第に形を失っていった。
「……これは駄目だな」
傭兵隊長はしばらくその光景を眺めていたが、やがて片手を上げた。
「やめだ! 撤収するぞ!」
「いいんですか?」
「俺たちは傭兵だぞ。負け戦に付き合う義理はない」
それだけ言うと、傭兵部隊は本当に撤収を始め、そのままカザンパースの外へ向かっていった。
*
「セルジュ様!」
大商人たちの会議室へ、部下が慌ただしく駆け込んできた。
「街中のノーム商人は捕らえましたが――ノーム商工会の制圧には失敗しました」
「何だと?」
これまで冷静さを崩さなかったセルジュの声が低くなる。
「傭兵部隊は?」
「……撤収しました」
「撤収?」
「そのまま町を出ました」
セルジュが机を強く叩いた。
「あいつら……!」
周囲の大商人たちもざわつき始めたが、セルジュはすぐに次の手を命じた。
「捕らえたノームを犯人に仕立てろ!」
何人かが息を呑む。
「中央商館の前で処刑準備だ。できるだけ人を集めろ!」
「全員……ですか?」
「そうだ」
「ですが、まだ何の証拠も――」
「証拠など後から作ればいい」
セルジュは言い切った。
「先に犯人を処刑してしまえば、話は終わる」
部下たちが命令を実行するために動き出す中、一人の商人だけが小さく漏らした。
「……酷い話だ」
*
中央商館前の広場には、ほどなく大勢の市民が集まっていた。
何事が始まるのか分からないまま集まった者も多く、人垣の中央には、街中で捕らえられたノーム商人たちが縄をかけられて並ばされている。
「何があったんだ?」
「王女毒殺未遂とかなんとか言ってたぞ」
「それとノームが何の関係あるんだ?」
ざわめきが広がる中、商館の役人が一枚の書状を持って前へ出た。
「静粛に!」
兵士たちが声を張り上げると、広場は次第に静まっていく。
役人が書状を開いた。
「これより、この者たちの罪状を申し渡す!」
縛られたノームたちが顔を上げる。
「この者たちは、自由都市派王女に対する毒殺未遂事件を企て、さらに騎馬王国連合内部の対立を煽り、混乱を引き起こした!」
一瞬の静寂のあと、群衆の中からざわめきが広がった。
「ノームが?」
「王女を毒殺しようとしたのか?」
「嘘だ!」
縛られていたノーム商人の一人が叫んだ。
「俺たちは何もしてない!」
別のノームも声を上げる。
「そんな話、知らないぞ!」
兵士たちが騒ぐ者を押さえつけるが、群衆の中には困惑した表情を浮かべる者もいた。
それでも罪状の読み上げは止まらない。
「よって、この者たちを今回の一連の騒動を引き起こした首謀者として処罰する!」
最初から用意されていた結論だった。
セルジュは少し離れた場所から広場の様子を見渡していた。
市民が集まり、罪状も読み上げられた。あとは処刑さえ済ませれば、ノームが犯人だったという事実だけが残る。
処刑役が準備を終えた。
セルジュはそれを確認すると、短く命じた。
「……やれ」
処刑役が動き出す。
その瞬間だった。
遠くから、低い地響きが聞こえてきた。
ドドドドドド……!!
「なんだ!?」
群衆が一斉に振り返る。
地響きは急速に大きくなり、それまで広場を満たしていたざわめきを呑み込んでいった。
やがて街路の向こうから、大量の騎馬隊が姿を現した。
「騎兵だ!」
「道を空けろ!」
驚いた市民たちが左右へ分かれ、その間を騎馬隊が一気に駆け抜けてくる。
先頭を走るのは、バルガン・アルディハーン。
そして、その隣にはフミタロウの姿があった。
セルジュが振り返る。
バルガン王の怒声が、中央商館前の広場に響き渡った。
「そこまでだ!!」




