第五十一話 リュナの婚礼
リュナの部屋には、まだ緊張した空気が残っていた。
寝台の上では、リュナが目を閉じたまま横たわっている。先ほどまで乱れていた呼吸は、ミルキーの治癒魔法によっていくらか落ち着いていた。
ミルキーがそっと手を下ろすと、医師は改めて脈を取り、呼吸の状態を確かめた。
「……ひとまず、小康状態です」
その言葉に、部屋にいた者たちがわずかに息をつく。
しかし、医師の表情は晴れなかった。
「ですが、毒そのものが消えたわけではありません」
リュナはまだ目を覚まさない。
その頃、館の外では何騎もの馬が勢いよく駆け込んできていた。
先頭の男が馬から飛び降りる。
「リュナは!?」
「ユリク殿下!」
衛兵の声にも足を止めず、ユリクは館の中へ駆け込んだ。
廊下を急ぐ。
その先から、フミタロウとサンキチが歩いてきた。
互いに顔を見て、一瞬足が止まる。
「……あれ?」
フミタロウが目を丸くした。
サンキチはすぐに気づいた。
「ベヒーモスの時の人!」
ユリクも二人を見て驚く。
「お前たちは……!」
だが、今は再会を喜んでいる場合ではなかった。
ユリクはすぐにリュナの部屋へ向かった。
*
「治癒魔法で状態は安定しています」
医師はユリクへ説明した。
「ただ、解毒薬が必要です」
「何が必要だ?」
ユリクは即座に尋ねる。
「私の国にも問い合わせる。必要なものがあるなら、すぐに手配させる」
医師は少し言いづらそうに答えた。
「ただ……材料を揃えるには、少し時間がかかりそうです」
「時間が……」
ユリクの表情に焦りが浮かぶ。
「間に合うのか?」
医師は答えなかった。
答えられないのだろう。
その少し後ろで話を聞いていたサンキチが、ふと口を開いた。
「……月影草は使えないですかね?」
フミタロウが振り返る。
「月影草?」
「はい。あれ、薬草ですよね」
「わからん」
フミタロウは少し考えた。
「聞いてみよか」
荷物の中を探り、包んで保管していた月影草を取り出す。
「あの、こんなん持ってますけど」
フミタロウは医師へ差し出した。
「使えたりします?」
「これは?」
「月影草って薬草です」
サンキチが答えると、医師の目が大きく開いた。
「月影草!」
薬草を受け取り、状態を確認する。
「これなら調合すれば、強い解毒薬にできます!」
「おお!」
ユリクの顔に、ようやく希望が浮かんだ。
*
医師はすぐに調合へ取りかかった。
月影草を慎重に処理し、他の薬材と合わせて薬液を作っていく。
「これなら……!」
完成した薬は、すぐにリュナへ飲ませられた。
ユリクは寝台の傍らに座り、リュナの手を握っている。
しばらく何も起こらなかった。
誰も声を出さない。
やがて――。
リュナのまぶたが、わずかに動いた。
「……ユリク……?」
「リュナ!」
ユリクが身を乗り出す。
リュナはまだぼんやりとしていたが、確かに目を開いていた。
周囲から安堵の息が漏れる。
ミルキーも胸を撫で下ろし、シルフィエもようやく張り詰めていた表情を緩めた。
*
数日後。
リュナはかなり回復していた。
まだ完全に本調子ではないものの、寝台から起き上がり、自分で座って話せるまでになっている。
その前で、父王が静かに言った。
「婚礼は延期しよう」
リュナが顔を上げる。
「無理をする必要はない」
「嫌よ!」
返事は即答だった。
父王が少し驚く。
「リュナ」
「こんな陰謀に負けたくない!」
リュナはまっすぐ父を見た。
「婚礼は予定通りやるわ!」
病み上がりとは思えない強い声だった。
*
そして婚礼の日。
町の広場には色とりどりの飾りが施され、大勢の住民が集まっていた。
予定通り、婚礼は執り行われることになった。
リュナは、トルムが運んできた生地から仕立てられた婚礼衣装を身につけている。
赤を基調とした生地には細かな刺繍が施され、光の加減によって複雑な模様が浮かび上がっていた。
まだ少し病み上がりの様子は残っていたが、リュナは笑っていた。
隣にはユリクが立っている。
町の人々から次々と祝福の声が上がった。
子どもたちも嬉しそうに手を振っている。
その光景を、ミルキーとシルフィエも笑顔で眺めていた。
少し後ろにはクリフトスとトルムもいる。
やがて宴が始まると、広場には料理と酒が並べられた。
「婚礼、めでたいな~」
フミタロウは料理を口へ運びながら、すっかり宴を楽しんでいる。
隣で食事をしていたサンキチが、ふとフォークを止めた。
「……フミタロウさん」
「なんや?」
サンキチは何か言いかけた。
だが、少し考えて首を振る。
「いや……なんでもないです」
「なんやねん」
フミタロウは気にすることなく、また料理へ手を伸ばした。
*
宴の中には、町の人々だけではなく、祝いに訪れた者たちも多く混じっていた。
その中に、目立たない服装をした一人の男がいた。
男は酒を手にしながら、自然に町人たちの輪へ入り込む。
「ところで、あの旅人の人たちは誰ですか?」
何気ない口調だった。
「婚礼祝いに来られた人?」
「ああ~」
酔った町人が気軽に答える。
「多分、姫様の友人じゃないかな」
「へ~、そうなんですね」
「いつも仲良さそうに婚礼の準備してたからな」
別の町人も話に入ってきた。
「噂じゃ、あの旅人たち相当腕が立つらしいぜ」
「そうなんですか?」
「ああ。ベヒーモスを倒したとか何とか」
男の表情が、ほんのわずかに変わった。
その後も何気なく会話を続けながら、視線だけをフミタロウたちへ向ける。
ダークエルフのシルフィエ。
杖を持つサンキチとミルキー。
金髪のクリフトス。
そして、フミタロウの左腕に装着された見慣れない武器。
男は人目につかないよう、小さな帳面へ書き込んだ。
ダークエルフ。
複数の魔法使い。
そして、あの武器。
形状から見れば、ドワーフ製のようにも見える。
男はしばらく観察を続けたあと、何事もなかったかのように宴の中へ紛れ込んだ。
*
後日。
統一王家派に属する者たちが集まる会議室では、一枚の報告書が机の上に置かれていた。
「以上が、婚礼の場で確認できた内容です」
宴に紛れ込んでいた間者が報告を終える。
年配の重臣が紙へ目を落とした。
「ダークエルフに、未知の魔法……」
別の側近も続ける。
「さらにドワーフ製と思われる武器まで」
室内にざわめきが広がった。
その中心に座っていた有力者が、ゆっくりと顔を上げる。
「自由都市派は……」
少し間を置いた。
「我々の知らぬところで、エルフと手を組んでいたのではないか?」
周囲の空気が変わる。
「もし、そうだとすれば……」
側近が慎重に言葉を選ぶ。
「今回の毒殺事件も見方が変わります」
有力者が報告書へ目を落とした。
「我々を敵に仕立てるための……」
声が低くなる。
「自作自演だった可能性もある、ということか?」
誰も答えなかった。
確証はない。
ただ、疑念だけが残った。
「自作自演だとしても……まだ確証はありません」
年配の重臣が冷静に釘を刺す。
「ならば、まずこの一団を調べるべきでは?」
側近が旅人たちの報告書を指した。
「事件の直前から姫の周囲に現れた者たちです」
「……混乱の原因を突き止めるには、話を聞く必要があるな」
「身柄の引き渡しを要求しますか?」
「そうしよう」
有力者は静かに決めた。
「自由都市派が潔白なら、我々の調査を拒む理由もあるまい」
そこで一度言葉を切る。
「もし拒むなら……敵対の意志を疑わざるを得ん」
*
セルディア側にも、別の知らせが届いていた。
「陛下!」
急使が駆け込んでくる。
「統一王家派の諸家が、兵を集め始めています!」
リュナの父王は表情を変えなかった。
「……やはり動いたか」
傍らではユリクも黙って話を聞いている。
「毒殺未遂の直後です」
家臣が言う。
「偶然とは考えにくいかと……」
別の家臣も続いた。
「こちらも備えるべきでは?」
父王はしばらく考えた。
「……古き盟約を使う」
その場にいた者たちが顔を上げる。
「自由都市派の諸家へ使者を出せ」
父王は命じた。
「自由連合会議を招集する」
「はっ!」
家臣たちがすぐに動き始める。
館の外では、伝令用の馬が次々と準備されていた。
*
自由都市派の系譜に連なる諸家が集まり、会議が開かれた。
「ラゼイン家が犯人とは、まだ断定できません」
一人の代表者が冷静に言う。
「だが、統一王家派が兵を動かし始めているのも事実だ」
別の代表者が反論した。
「こちらまで兵を集めれば、余計に相手を刺激するぞ」
「では、何もせず待てというのか?」
声が強くなる。
「リュナ姫は毒を盛られたのだぞ」
会議場がざわめいた。
誰も戦争を望んでいるわけではない。
しかし、何もしなければ何が起きるか分からない。
リュナの父王が口を開いた。
「戦を始めるための会議ではない」
一同が静かになる。
「だが、備えなくして話し合いもできん」
父王は各家の代表を見渡した。
「各家には、警戒態勢を整えてもらいたい」
*
その知らせは、やがてアルディハーン王家側にも届いた。
「自由都市派の諸家が集まりました」
使者が報告書を差し出す。
「自由連合会議が招集されたとのことです」
「自由連合会議……?」
重臣たちの間に動揺が走る。
「古い盟約を持ち出したというのか」
一人の重臣が、報告書へ目を落とした。
「毒殺事件が起きた直後に、正体不明の一団が現れ……」
別の側近が続ける。
「その直後、自由都市派が再びまとまり始めた」
少しの沈黙。
「……偶然でしょうか?」
中心人物が地図を見つめた。
セルディア、ヴァルガン、そして周辺の諸家。
「我々が知らなかっただけで……以前から準備を進めていたのではないか?」
「エルフまで関わっているとすれば……」
疑念は、さらに膨らんでいく。
だが、慎重な意見もあった。
「だからといって、セルディアへ戦を仕掛けるわけにはいかん」
「我々まで兵をぶつければ、それこそ相手の思うつぼかもしれません」
中心人物はうなずいた。
「だが、この一団だけは別だ」
手元にあるフミタロウたちの報告書を持ち上げる。
「連中が何者なのか。誰の指示で動いているのか。それを確かめる必要がある」
しばらく考えたあと、方針を決めた。
「セルディアとの戦争を望んでいるわけではない」
周囲を見る。
「あの一団から事情を聞く」
そして続ける。
「身柄を引き渡せば、兵はすぐに引かせる」
*
統一王家派側の城では、騎馬部隊の準備が進められていた。
兵士たちは槍や弓、防具を整え、馬の状態を確認している。
全面戦争へ向かう大軍ではない。
だが、ひとまとまりの任務部隊としては十分な数だった。
「目的を確認する!」
馬上の指揮官が声を張る。
「セルディアとの戦を始めるためではない」
兵士たちが聞く。
「正体不明の旅人一行の身柄を確保する」
副官が尋ねた。
「セルディア側が引き渡しに応じた場合は?」
「即座に兵を引く」
「拒絶された場合は?」
指揮官は少し間を置いた。
「慎重に対応しろ」
そして、はっきりと言い切る。
「こちらから戦端を開くな」
準備が整う。
「出発する!」
何騎もの馬が、一斉に草原へ走り出した。
その部隊は、セルディア方面へ向かっていた。
*
夕方。
交易自治都市カザンパースでは、いつもと変わらず市場が賑わっていた。
大商館の一室へ、一人の部下が報告書を持って入ってくる。
「ご報告があります」
部屋にいたのは、以前の会議で構想を持ち出した商人と、年配の有力商人だった。
「自由都市派が、自由連合会議を招集しました」
年配の商人が顔を上げる。
部下はさらに続けた。
「統一王家派側も兵を動かしています。セルディア方面へ部隊が向かったとのことです」
「……随分と早いな」
年配の商人がつぶやく。
提案者は何も言わず、机の上の地図へ目を落とした。
自由都市派。
統一王家派。
その間に位置するカザンパース。
地図の横には、大量の商品取引帳簿が積まれている。
「ええ」
男は静かに答えた。
「動き始めましたね」
窓の外では、商人たちの思惑など知らない人々が、いつも通り市場を行き交っていた。




