第四十九話 騎馬王国の姫
ベヒーモスが草原へ倒れてから、しばらくの間、騎兵たちの歓声は止まなかった。
やがて戦いの興奮が落ち着くと、彼らはすぐに次の仕事へ移った。倒したワーウルフやベヒーモスの周囲へ集まり、革や角など、使える素材を手際よく回収し始める。
その様子を眺めていたフミタロウたちのところへ、先ほど騎馬隊を指揮していた若い男が馬を下りて近づいてきた。
「助かった! 本当にありがとう!」
「いや、別にええけどな」
フミタロウがいつもの調子で答えると、若い指揮官はサンキチとミルキーへ視線を向けた。
「さっきの魔法もすごかったな」
「ミルキーさんと二人で考えたんです」
サンキチが答える。隣ではミルキーも少し嬉しそうにしていた。
周囲では、騎兵たちが大きな刃物を使ってベヒーモスの解体を進めている。
「魔獣は革も角も使える」
若い指揮官の言葉を聞いて、フミタロウは巨大なベヒーモスの革へ目を向けた。
そして、少し考える。
「なあ」
「ん?」
「この革って、マントに使える?」
若い指揮官はすぐにうなずいた。
「かなり丈夫なのができるぞ」
「ほんま?」
フミタロウの顔が明るくなる。
ちょうど少し前、トルムが納品した革のマントを見て欲しくなったばかりだった。
フミタロウは今度はトルムを見る。
「これ、ノームの村で加工できる?」
トルムは切り分けられている革へ近づき、状態を確かめた。
「これならノームの村で加工できる」
「いいね!」
フミタロウは完全に乗り気になった。
「これなら一年待たんでええ?」
「加工には、それなりに時間がかかるけどな」
「まあ、一年よりはええやろ」
そんなやり取りを聞いていた若い指揮官が笑う。
「今回の礼だ。必要なだけ持っていけ」
「ほんま? 助かるわ」
騎兵たちはベヒーモスの革を切り分け、その一部をこちらへ回してくれた。
トルムが量を確認してうなずく。
「これだけあれば十分だ」
「遠慮するな」
若い指揮官はそう言ったあと、東の方角へ目を向けた。
「お前たちは、このまま東へ行くのか?」
「ああ」
「なら途中で俺たちの町を通る」
指揮官は笑った。
「よかったら寄ってくれ。歓迎するぞ」
「ありがとう」
フミタロウも素直に礼を返した。
討伐隊とはそこで別れ、一行はまず遊牧民の集落へ戻ることにした。
*
集落が見えてくると、残っていた家族たちが次々に外へ出てきた。
出発した男たちが無事に戻ってきたのを確認し、あちこちから安堵の声が上がる。
その中から、子どもたちがフミタロウを見つけた。
「おっちゃん帰ってきた!」
「誰がおっちゃんや」
言い返す間もなく、子どもたちが走ってきて抱きつく。
横でミルキーが笑っていた。
「はいはい、ただいま」
結局、フミタロウも子どもたちをそのまま受け止めた。
急な出撃だったため、旅の荷物の多くは集落へ置いたままだった。
一行はそれぞれ自分の荷物をまとめ直し、トルムも商品を確認していく。中でも特に慎重に扱っていたのは、婚礼用として運んできた織物の生地だった。
そしてフミタロウの荷物には、今までなかったものが一つ増えていた。
ベヒーモスの革である。
「……なんか俺だけ荷物多くない?」
サンキチが大型馬を見る。
「フミタロウさんの馬、大きいですからね」
その言葉どおり、荷物の多くは大型馬へ積まれていく。
フミタロウは、どんどん荷物を背負わされていく愛馬を見つめた。
「こんなん、さらに遅なるやん……」
大型馬は特に気にした様子もなく、のんびりしている。
出発の準備が整うと、集落の主人が改めてフミタロウたちのところへやってきた。
「本当に助かった」
「こっちも飯食わせてもろたし。気にせんでええよ」
ベヒーモスを倒したのは自分たちだけではない。そもそも討伐隊も遊牧民たちも、それぞれが戦っていた。
フミタロウとしては、それ以上大げさに礼を言われるようなことでもなかった。
やがて一行が馬へ乗る。
「もう行くの?」
子どもの一人が寂しそうに尋ねた。
「また来てね!」
別の子どもも手を振る。
「ほな、またな」
フミタロウも手を振り返した。
トルムも長く付き合ってきた客たちへ別れを告げ、一行は再び草原へ出た。
集落が少しずつ遠ざかっていく。
そして、出発してそれほど経たないうちに――。
「……やっぱ遅なってるやん」
大量の荷物を積んだ大型馬は、以前にも増して歩みが遅かった。
前方からサンキチの声が飛んでくる。
「頑張ってください!」
「俺が頑張ってどうなんねん!」
*
しばらく草原を進んだところで、トルムがフミタロウへ馬を寄せてきた。
「ちょっと頼みがあるんだけど」
「ん?」
「婚礼用の衣装の生地を納品したいんだ」
トルムは荷物の一つを軽く叩いた。
「少し道をそれることになるが、街に寄ってくれないか?」
フミタロウは特に迷わなかった。
「ああ、いいよ。どうせ急ぐ旅でもないしな」
「助かる!」
進路を少し変え、トルムの案内で草原を進む。
やがて遠くに、小さな町が見えてきた。
その町へ近づいていた時だった。
前方から、二騎の馬がこちらへ向かってくる。
一騎には若い女性。もう一騎には護衛らしい男が乗っていた。
それを見たトルムが目を細める。
「あれ……」
向こうでも、護衛が隣を走る若い女性へ呆れたように声をかけていた。
「姫様。今日も旅人を見に来られたのですか」
「だって、そろそろ来てもいい頃でしょ!」
「ここ数日、毎日ではありませんか」
「待ってられないのよ!」
そう言った女性が、こちらを見た。
そして――トルムを発見した。
顔が一気に輝く。
「トルム~~~!」
「……」
呼ばれたトルムの表情に、少しだけ嫌な予感が浮かんだ。
若い女性は馬を前へ出し、一行のところまで来ると勢いよく止まった。
「おそい!!!」
開口一番だった。
「何をしてたの!!」
「いや、いろいろあってね……」
後ろで聞いていたフミタロウが小さくつぶやく。
「えらい怒られてんな……」
女性はそんなことには構わず、トルムへさらに詰め寄った。
「早く見せて!」
「ここで?」
「ここでいいじゃない!」
「姫様」
護衛が割って入る。
「お館に戻ってからにしてください」
「え~! なんでよ! こんなに待ってたのに!」
そこでようやく、フミタロウたちは引っかかった。
「……姫様?」
サンキチも小声で続ける。
「王女様なんですか?」
若い女性は、そこで初めてフミタロウたちの存在へ気づいたらしい。
「ところで、この人たちは?」
トルムが答える。
「東へ向かってる旅人だよ。同行させてもらっている」
「そうなのね!」
女性はすぐに笑顔になった。
「私はリュナ! よろしくね!」
あまりにも気軽な挨拶だったため、今度はフミタロウたちの方が固まった。
フミタロウは小声でクリフトスへ聞く。
「こういう時って、頭下げるん?」
「どうでしょう……」
クリフトスも困っていた。
そんな二人をよそに、リュナはミルキーとシルフィエを見つける。
「女の子の旅人って珍しいわ!」
そして、いきなり嬉しそうに言った。
「あとでお話聞かせてね!」
「はい!」
ミルキーは素直に返事をした。
「……ああ」
シルフィエは少し戸惑いながらも応じる。
「じゃあ、行きましょう!」
リュナは当然のように先頭へ馬を向けた。
その後ろを進みながら、フミタロウがサンキチへ小声で言う。
「なんか想像してた王女様とちゃうな」
「ですね」
それを聞いた護衛が笑った。
「いや。リュナ様は特別だ」
*
町へ入った途端、その意味が分かった。
「姫様、お帰りなさい!」
「ただいまー!」
通りにいた町人が声をかけると、リュナは普通に手を振り返す。
「今日もお元気ですね!」
「元気よ!」
少し先の果物屋からも声が飛んだ。
「姫様! 新鮮な果物が入りましたよ!」
「ほんと? あとで見に行く!」
今度は子どもたちが手を振る。
「リュナ様ー!」
リュナも馬上から大きく手を振り返した。
王女というより、町じゅうの顔なじみといった方が近い。
少し後ろを歩きながら、フミタロウはその光景を眺めていた。
「なんか、ええな~」
「何がです?」
サンキチが聞く。
「いや、王族ってもっと偉そうなんかと思ってた」
近くにいた護衛が再び笑った。
「リュナ様は特別だ。皆に愛されてる」
その言葉に、フミタロウも納得した。
*
町の中心には、周囲の建物よりひと回り大きな館があった。
王族が暮らしているとはいえ、豪華絢爛というほどではない。町全体とよく馴染んだ建物だった。
リュナは中へ入るなり、奥へ向かって声を上げた。
「お父様、ただいま戻りました! トルムが来ましたよ!」
家臣と話していた王が顔を上げる。
「おお、トルム。遠路ご苦労だったな」
「お久しぶりです」
トルムはきちんと礼をした。
「無事に婚礼用の生地をお持ちいたしました」
「うむ」
王がうなずく。
その横でリュナが待ちきれない様子で身を乗り出した。
「早く見せて!!!」
「リュナ、ちょっと待て」
「え~!」
周囲の家臣たちが笑った。
どうやら、これもいつものことらしい。
やがてトルムは包みを丁寧に開いた。
リュナが横から覗き込む。
中から現れたのは、婚礼用の衣装を仕立てるための生地だった。
赤を基調に、金の刺繍が細かく施され、白や淡い色の意匠も織り込まれている。
「わあ……」
ミルキーが思わず声を漏らした。
シルフィエも目を細める。
「すごいな……」
リュナだけは、しばらく何も言わなかった。
「…………」
トルムが少しだけ不安そうに見る。
次の瞬間。
「すごいわ!!」
リュナの顔が一気に輝いた。
「ありがとう、トルム!」
「喜んでもらえてよかったよ」
そこからは、すっかり女性三人の時間になった。
「見て! この色!」
「ほんとに綺麗ですね!」
「これを衣装にしたら、かなり映えそうだな」
「でしょ!」
リュナは嬉しそうに生地を広げながら、ミルキーとシルフィエへ話しかける。
そして、ふと思いついたように顔を上げた。
「そうだ!」
一行の方を見る。
「あなたたちも婚礼に参加してよ!」
「え?」
「この生地で作った衣装、見てみたいでしょ?」
フミタロウは少し困った。
「いや、でも王族の婚礼やろ? 俺らみたいなん参加してええん?」
「問題ない」
答えたのは王だった。
「この町の婚礼は、町の者たちも皆で祝う。特に今回はリュナの婚礼だ。町中が楽しみにしておる」
王は穏やかに笑う。
「旅の予定が急ぎでないのなら、ぜひ一緒に祝ってやってほしい」
それを聞いたリュナが、ミルキーとシルフィエの間で嬉しそうに笑った。
「ね! 決まり!」
「楽しみですね!」
ミルキーもすっかり乗り気だった。
フミタロウは肩をすくめる。
「まあ、そこまで言ってもらえるなら、お邪魔させてもらおか」
*
翌朝。
一行が泊まっている宿で朝食を取っていると、入口が勢いよく開いた。
「ミルキー! シルフィエ!」
リュナだった。
「リュナさん、おはようございます」
「朝から元気だな……」
シルフィエが少し呆れたように言う。
「行くわよ!」
「今日はどこですか?」
「仕立て屋さん!」
ミルキーが嬉しそうに立ち上がる。
シルフィエも結局一緒についていくことになった。
三人が宿を出ていったあと、残されたフミタロウ、サンキチ、クリフトスの間に少しだけ沈黙が落ちた。
「……俺らは?」
「たぶん、お呼びじゃないですね」
*
町の仕立て屋では、婚礼衣装の仮縫いが進んでいた。
リュナは仮の形まで仕上げられた衣装を身につけ、鏡の前に立っている。
「裾は、このくらいでいかがでしょう?」
仕立て屋が確認する。
「もう少し長い方がいいかしら?」
「もう少し長くても綺麗だと思います」
ミルキーが答える。
シルフィエは別の角度から衣装を見た。
「でも長すぎると歩きにくいぞ」
「それもそうね……」
「こちらは、もう少し詰めますか?」
仕立て屋が腰回りを確認する。
「どう思う?」
今度は二人へ尋ねる。
「もう少しだけ詰めてもいいかもしれません」
「袖は今くらいの方が動きやすそうだな」
「じゃあ、裾は少しだけ長くして……」
三人で鏡を見ながら相談が続く。
*
「……暇やな」
「暇ですね」
フミタロウとサンキチ、それにクリフトスの三人は、町をぶらぶら歩いていた。
「皆さん楽しそうですし、いいのではないでしょうか」
クリフトスは特に気にしていない。
すると、どこからか肉の焼ける香りが漂ってきた。
「ん?」
フミタロウが足を止める。
「なんや、ええ匂いやな」
匂いを追っていくと、店先で肉を焼いている店があった。
「これ、何の肉?」
「馬肉だよ」
「馬!?」
三人が一瞬止まった。
すでに自分たちも馬に乗って旅をしている身である。
少しだけ複雑な気分になったものの――。
「うまっ!」
食べてみると、フミタロウはすぐにそんなことを忘れた。
「思ったよりクセないですね」
サンキチも普通に食べている。
「せっかく騎馬王国まで来たんや。珍しいもん食わんとな!」
結局、三人ともきれいに食べた。
*
仕立て屋では、ひと段落したところで休憩に入っていた。
「そういえば」
ミルキーがリュナへ尋ねる。
「婚礼のお相手って、どんな方なんですか?」
リュナが少しだけ照れた。
「隣の国の三男よ。名前はユリク」
「ユリクさん……」
「優しくて、強くて……小さい頃から知ってる人なの」
「幼なじみなんですね」
ミルキーが言うと、リュナは頬を赤くした。
「うん……」
少しだけ間を置く。
「実は、昔から好きだったの」
「素敵です!」
ミルキーが嬉しそうに言った。
シルフィエも穏やかに笑う。
「それはよかったな」
「うん」
リュナは照れながら、それでも本当に嬉しそうに笑っていた。
*
婚礼の日が近づくにつれ、町全体の空気も変わっていった。
通りには布や花の飾りが増え、あちこちで町人たちが準備に追われている。
「こっちの飾り、もう少し上だ!」
「料理は明日の朝から仕上げるぞ!」
果物や肉が運ばれ、子どもたちまで大人に混じって手伝っている。
仕立て屋から出てきたリュナも、町の様子を見て嬉しそうだった。
「もうすぐね!」
「楽しみですね」
ミルキーも笑う。
「姫様、いよいよですね!」
通りの町人が声をかける。
「うん!」
夕方になっても、町の熱気はなかなか収まらなかった。
飾りつけられた通りを眺めながら、フミタロウが言う。
「なんか町じゅう祭りみたいやな」
「ほんとにみんな楽しみにしてるんですね」
サンキチの視線の先では、リュナが子どもたちと笑っていた。
誰もが婚礼の日を待ち望んでいる。
そんな時間が、このまま続くように見えた。
*
婚礼を目前に控えた日。
リュナはいつものように、ミルキーとシルフィエと楽しそうに話していた。
「ミルキー、これ見て!」
手にしていた小物を見せようとした、その時だった。
「……あれ?」
リュナの表情が止まった。
手から小物が落ちる。
乾いた音が床へ響いた。
「リュナさん?」
ミルキーが顔を覗き込む。
リュナの身体がふらついた。
シルフィエの表情が変わる。
「リュナ!」
崩れ落ちる身体を、シルフィエが咄嗟に支えた。
「リュナさん!!」
ミルキーが駆け寄る。
周囲が一気に騒然となった。
「姫様!?」
「誰か! 医師を呼べ!」
「姫様!!!」
祝いの日を目前にした町へ、悲鳴にも似た声が響いた。




