四十七話 おっさん、馬にモテる
エルフ王国の東の関所を抜けたフミタロウたちは、乾燥した平野を歩いていた。
これまでの森林地帯とは打って変わり、辺りには背の低い草がまばらに生えているだけだった。地面は乾き、風が吹くたびに細かな砂が舞い上がる。遠くまで見渡せるのはいいのだが、どちらを向いても似たような景色ばかりで、人家の一つも見当たらない。
「なんにもないな。ずっとこんな感じ?」
フミタロウがうんざりしたように尋ねると、先頭を歩くシルフィエが振り返った。
「このあたりは雨も少ないから無人だが、もう少し行くと湖があって町がある」
「そこまではこんな感じか……」
「まだ先だから、水を無駄遣いするなよ」
「へいへい」
フミタロウは水筒をしまい、再び歩き始めた。
森の中では、どこから魔物が現れるか分からないことが気になっていた。ところが、いざ見通しのいい土地へ出てみると、今度は何もなさすぎる。
「森は森でしんどかったけど、これはこれで飽きるな」
「景色、ずっと同じですもんね」
サンキチも周囲を見渡した。
「でも、道に迷う心配は少なそうですよ」
ミルキーが言うと、シルフィエは首を振った。
「目印が少ない場所ほど、方向を見失ったときに厄介なんだ。だから私から離れるなよ」
「はーい」
フミタロウとサンキチの返事が重なった。
*
乾いた平野を歩き続けた先に、ようやく水面が見えた。
最初は陽炎かと思ったが、近づくにつれて湖の輪郭がはっきりしてくる。その畔には石造りと木造の建物が集まり、遠くからでも町だと分かった。
「おお、やっと人の住んでるところや!」
フミタロウが声を上げる。
しかし、町へ入った一行を迎えたのは、想像していたよりも静かな通りだった。
道幅は広く、商人の荷車が行き交えるようになっている。建物もそれなりに立派で、かつては多くの旅人が訪れていたことがうかがえた。ところが、店先に人が集まっている様子はなく、戸を閉めたままの商店も目立っている。
「なんか、思ったより静かな町やな」
「昔はもっと賑わっていたんだ」
シルフィエが通りの先を眺めながら答えた。
「エルフ王国と騎馬王国連合を結ぶ交易の中継地だからな。私が前に来たときは、商人も旅人もずいぶん多かった」
「今は違うん?」
「エルフ王国が門を閉ざしたせいで、交易が減っているのだろう。昔来た時を思い出すと、寂しくなったものだな……」
フミタロウは閉まった店を見た。
「やっぱり全部エルフが悪い」
「またそれですか。エルリーフからずっとそれ言ってますね」
サンキチが苦笑する。
「だって、そうやろ。通行証の件もそうやし」
「まだ根に持ってるんですか」
「持ってるで」
フミタロウは即答した。
「まあ、通してはもらえたけどな」
「最終的には、ですけどね」
シルフィエは二人のやり取りに口を挟まず、懐かしそうに町並みを眺めていた。
「とにかく宿で休息しよう」
フミタロウの提案に、誰からも異論は出なかった。
*
「おおっ! いらっしゃいませ!」
宿屋へ入るなり、奥から威勢のいい声が飛んできた。
「五名様ですか! さあさあ、どうぞ!」
「お、おう……」
あまりの歓迎ぶりに、フミタロウが一歩たじろぐ。
宿はきちんと掃除され、食堂の机も椅子も整えられていた。ただ、広さのわりに客の姿がほとんどない。
「交易が減ってからというもの、お客様もすっかり少なくなりましてね。今日は久しぶりに賑やかになりそうです!」
主人は嬉しそうに荷物を置く場所を案内し、食事の用意についても尋ねてきた。
「食事は後でお願いするわ。とりあえず、ちょっと座らせて」
「もちろんです!」
一行は食堂の窓際へ腰を下ろした。
窓の向こうには湖が広がっている。乾いた平野を歩いてきたばかりの彼らには、水辺の景色がことさら涼しげに見えた。
ミルキーが窓の外を眺めながら、ふと口を開く。
「湖ってことは、お魚いてます?」
「あ、ほんとですね」
サンキチがすぐに反応した。
「釣ってきましょうか?」
その言葉に、魚好きのシルフィエの視線が動いた。
何も言わないものの、サンキチをじっと見ている。以前、彼が次々と魚を釣り上げたことを思い出したのかもしれない。
ところが、宿屋の主人が慌てて口を挟んだ。
「釣りですか? やめておいたほうがいいですよ」
「え?」
「勝手に魚をとったら捕まります」
「ええ~~!」
サンキチが心底残念そうな顔をした。
フミタロウはその様子を見て笑い出す。
「あはは、そんな落ち込まんでも」
「いや、目の前に湖があるのに釣れないんですよ?」
「残念やったなあ、サンキチくん。でもバカスカ釣ったら死刑かもしれんで」
「死刑!?」
「いやいや、死刑にはならないですけどね」
主人が冷静に否定した。
「罰金は覚悟したほうがいいですね」
「罰金やって、死刑よりましやな」
「どっちも嫌です」
クリフトスは二人のやり取りを、いつものように微笑みながら眺めていた。
フミタロウは笑いながら窓の外を見たが、魚の話をしているうちに、今度は別のものが恋しくなってきた。
「魚の話してたら、刺身食べたくなってきたな」
「私も食べたいです」
ミルキーが即座にうなずく。
「僕も寿司とか刺身とか大好きです」
サンキチまで乗ってきた。
「プリプリのブリの刺身を醤油とワサビで……くー! 食べたいな!」
「やめてくださいよ、余計に食べたくなるじゃないですか!」
「お寿司もいいですよねえ」
日本人三人がすっかり故郷の味に思いを馳せていると、シルフィエが不思議そうな顔をした。
「何の話をしているんだ?」
「魚を生で食べる料理や」
「生の魚?」
シルフィエの眉が寄った。
「そんな食べ方するのか?お前ら猫みたいだな」
「猫て」
「私も生はちょっと……」
クリフトスまで難色を示した。
どうやら、この世界では生の魚を食べる習慣は一般的ではないらしい。
フミタロウは思いついて、宿屋の主人を呼び止めた。
「オヤジさん、生の魚の切り身の料理とかってないの?」
「え? ありますよ」
「マジで!? あるの?」
あっさり返ってきた答えに、フミタロウの声が裏返った。
「この辺りの伝統料理です。昔は海の魚を使ってたらしいですけど、今は湖の魚を使ってます」
「へえ、そんなんあるんや!」
「食べてみたいです!」
「僕も!」
三人が一斉に身を乗り出す。
「食べたい! ちょっと持ってきてくれる?」
「かしこまりました! ありがとうございます!」
主人は張り切って厨房へ向かった。
「……よそから来た人に、この料理を頼まれるなんて珍しいですね」
去り際の主人の言葉に、フミタロウは首を傾げた。
「こっちでは生で魚を食べたりは普通しないんやな」
「少なくとも、私は初めて聞いた」
シルフィエはまだ納得できないようだった。
*
しばらくして、主人が大皿を抱えて戻ってきた。
皿の上には、薄く切られた白身魚が美しく並んでいる。半透明の身には艶があり、見た目はフミタロウたちの知る刺身とよく似ていた。
「おお、ちゃんと刺身や!」
「きれいですね!」
ミルキーが嬉しそうに身を乗り出す。
料理には、小皿に入った二種類の調味料が添えられていた。
「これ、何つけて食べたらええの?」
「こちらのソースかオイル、どちらかをお付けして食べてみてください」
「ソース?」
「ええ、フルーツのソースです」
「なんかトロピカルな感じやな」
醤油とワサビではないらしい。
フミタロウはフォークで白身魚を一切れ取り、まずはフルーツソースをつけて口へ運んだ。
「……うまっ! 案外いけるな!」
甘酸っぱいソースが、淡泊な白身魚によく合っている。
「ほんとですね。爽やかでさっぱりしてます」
「甘さも合いますね」
ミルキーとサンキチも満足そうだった。
「オヤジさんやるな、うまいわ!」
「ありがとうございます」
主人が嬉しそうに頭を下げる。
「じゃあ、次はこっちのオイルやな」
フミタロウは別の小皿へフォークを伸ばした。
白身魚をオイルにつけ、口へ運ぶ。
ひと噛みしたところで、彼の表情が変わった。
「ん? ん? ん? んーー!」
「どうしました?」
サンキチが顔を上げる。
「ゴマ油やこれ! うまい!」
「えっ!」
ミルキーとサンキチも慌ててオイルを試した。
「ほんとですね! ゴマ油の味です!」
「なんか涙出そう……」
「分かるわあ」
フミタロウはもう一切れ食べた。
異世界に来てから、食べ物にはそれなりに恵まれている。それでも、思いがけないところで懐かしい味に出会うと、妙に嬉しくなるものだった。
「これはやられたな」
しばらく味わってから、フミタロウは主人を呼んだ。
「そうや、オヤジさん。塩ない?」
「塩ですか?」
「ああ、ゴマ油に塩入れると生の料理には抜群に合うから」
「へえ……」
主人は半信半疑の様子だったが、すぐに塩を持ってきてくれた。
フミタロウは小皿のオイルへ少し加え、フォークで魚を取った。
「うん、これこれ!」
「私も!」
「僕にもください!」
楽しそうな三人を見て、主人も興味が湧いたらしい。
「私も試してみていいですか?」
「もちろん。自分とこの料理やん」
主人は刺身を一切れ取り、塩を加えたオイルにつけて食べた。
その目が丸くなる。
「これは……美味しい!!」
「だろ! たまらんわ!」
「なるほど。塩を加えるだけで、こんなに違うんですね」
感心した主人は、もう一度小皿を覗き込んだ。
その間、シルフィエは大皿をじっと見つめていた。
生の魚を食べるという話には抵抗があった。だが、実際に運ばれてきた料理は思っていた以上に美しく、妙な臭いがするわけでもない。
何より、目の前の三人があまりにも美味しそうに食べている。
「シルフィエさんも一切れ食べてみ!」
フミタロウが声をかけた。
「……私は」
「まあまあ。せっかくやし」
シルフィエは皿とフミタロウを交互に見て、ようやくフォークを手に取った。
「それなら……一切れだけ……」
おそるおそる口へ運ぶ。
しばらく黙って噛んでいたが、やがて表情が変わった。
「おい……しい」
その顔が、ぱっと明るくなる。
「そやろ、食べず嫌いやったな!」
「……そうかもしれない」
珍しく素直に認めるシルフィエを見て、フミタロウは満足そうに笑った。
続いて、まだ手をつけていないクリフトスを見る。
「クリフトスさんもどうよ?」
「いえ、私は……」
やんわり断ろうとしたクリフトスへ、ミルキーが声をかけた。
「クリフトスさん、美味しいですよ。食べてみてください」
「ミルキー様がそこまで言うなら……」
「切り替え早っ」
クリフトスはフォークで刺身を一切れ取り、ゴマ油と塩をつけて食べた。
そして、静かにうなずく。
「これは……繊細な味ですね。素晴らしい」
「やろ?」
「さすがはミルキー様です」
「ミルキー関係ないやろ!」
食堂に笑い声が広がった。
*
そんな一行の様子を、少し離れた席から眺めている客がいた。
身長は百二十センチほどだろうか。
背丈だけなら子どものようだが、顔立ちはしっかりとした大人のものだった。くりくりとした大きな目が印象的で、旅装の傍らには丁寧にまとめられた荷物が置かれている。
その客は、しばらくフミタロウたちの食べ方を見ていたが、やがて主人へ声をかけた。
「主人、こちらにも同じ物を一つ貰おうかな」
「はい! ありがとうございます!」
運ばれてきた白身魚を前に、その客はフミタロウたちの真似をしてオイルへ塩を加えた。
一切れ食べると、感心したように声を漏らす。
「ほー、初めて食べたがうまいな、これは。このオイルと塩が絶妙に味わいを増している」
フミタロウがそちらを見ると、客と目が合った。
「これはお前が考えたのか?」
「いや、俺の生まれた国ではそうやって食べるってだけだ」
「なるほどな」
客はうなずいた。
フミタロウは、その旅装や荷物に興味を持った。
「あんた、行商人なのか?」
「ああ、そうだ。トルムという」
「俺はフミタロウ。よろしくな。どんなもの扱ってるんだ?」
「革細工の製品と織物の生地だ。見るか?」
「おお、見せてくれるのか? 見たい見たい!」
トルムは席を立ち、荷物の中から商品を取り出してテーブルに並べ始めた。
革のブレスレットに髪飾り、手甲、すね当て。
どれにも細かな透かし模様や繊細な装飾が施されている。織物の生地も美しく、色とりどりの糸で複雑な模様が織り込まれていた。
「すごいな、めちゃくちゃ細かいな!」
「ああ、ノーム自慢の品だ」
「ノーム?」
「我らの種族のことだ」
「へえ!」
フミタロウが感心している隣で、ミルキーが革製の手甲を手に取った。
「綺麗……」
細かな模様を指先でなぞり、すっかり見惚れている。
フミタロウはその様子を見て、クリフトスへ声をかけた。
「なあ、クリフトスさん」
「何でしょう?」
「ミルキーちゃんも前衛に出ることあるし、手甲やすね当てが必要なんちゃう?」
「そうですね。私も何か身につけるものが必要なのではと思っていました」
ミルキーの装備は僧侶用の服が中心だが、最近は杖を使って前へ出ることも増えている。動きを妨げない防具があれば、安心できる場面もあるだろう。
「よし、これ買うわ!」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
ミルキーが嬉しそうに笑った。
ふと見ると、シルフィエも革製品をじっと眺めていた。
手に取ることはしないものの、視線は美しい装飾が施された品から離れない。
フミタロウはクリフトスへ小声で尋ねた。
「クリフトスさん、シルフィエさんの分も買っても大丈夫?」
「ええ、そのくらいなら問題ないですよ」
「よし」
フミタロウが顔を上げると、シルフィエは慌てて視線を逸らした。
「私は別に……見ていただけで、欲しいわけでは……」
「いやいや、まだまだこの先案内してもらわなあかんし。いいもの見つけた時に買っとかないとな」
「……そういう事なら」
シルフィエは少し迷ってから、気になっていた品を手に取った。
「ありがとう……」
照れくさそうに礼を言う彼女を見て、フミタロウがにやりとする。
「なんや、かわいいとこあるな」
「うるさい!」
「はいはい」
いつもの調子に戻ったシルフィエを見て、サンキチが笑いをこらえていた。
やがて、トルムが売れた分を除いた商品を片づけ始めた。
フミタロウはその手際を眺めながら、以前訪れたドワーフの国を思い出した。
「ところで、ノームってなんとなくドワーフに似てる気がするんやけど、親戚かなんかなん?」
「なに!?」
トルムの手が止まった。
「繊細な我らノームを、あんなヒゲモジャの筋肉達磨と一緒にするな!」
「ぶっ!!」
フミタロウが吹き出した。
「ヒゲモジャの筋肉ダルマって! うまいこと言うな~!」
「笑い事ではない!」
「いや、ミルドカンドでいっぱい見たから、顔浮かんでまうねん!」
フミタロウは腹を抱えて笑った。
確かになんとなく似ているところはある。しかし、ミルドカンドで出会ったドワーフたちのいかつい顔と、トルムの若々しく愛嬌のある顔つきでは、受ける印象がまるで違っていた。
「ドワーフ側はなんて言ってるのか聞いてみたいな」
「あいつらはノームのことを『おっさん子ども』とか言っておる! 失礼極まりない奴らだ!」
「おっさん子ども……!」
フミタロウは再び笑いそうになった。
「……お前、今また笑ったな?」
「いやいや。大変やなあと思って」
「絶対に笑っておっただろう!」
*
翌朝、一行は今後の移動手段について相談していた。
問題は、湖の街から先の交通事情だった。
「交易が少なくなったせいで、定期便の馬車がなくなっていた」
シルフィエが告げる。
「そうなると、ここから先は馬を調達しないといけないな。馬での移動に合わせた距離でしか、町や集落がないからな」
「馬?」
フミタロウが聞き返した。
「乗るの?」
「ん? まさか馬に乗れないやつがいるのか?」
フミタロウ、サンキチ、ミルキーの三人が、そろって手を挙げた。
シルフィエは額に手を当てた。
「まずは練習からか……はぁ」
「車の免許ならあるんやけどな」
「まったく意味ないですね」
サンキチの指摘に、フミタロウもうなずいた。
「せやな」
*
馬商人のところへ向かうと、厩舎には何頭もの馬がつながれていた。
フミタロウが最初に気づいたのは、馬にもずいぶん体格の違いがあるということだった。
少し小柄で脚の短い馬もいれば、身体が大きく、脚の太い馬もいる。
「なんかユリウスさんとかが乗ってた馬と感じが違いますね」
サンキチが言う。
「ほんまやな。あいつの馬はいかにもサラブレッドって感じの白馬やったよな」
「馬にも色々あるんですね」
ミルキーは興味深そうに一頭ずつ眺めている。
その間に、乗馬に慣れたシルフィエとクリフトスが馬商人と話をつけてくれた。
「最近はお客が少ないので、少し負けてくださるそうです」
「おお、助かるわ!」
「旅には、あの小柄な馬が向いているそうだ」
シルフィエが厩舎の一角を指した。
「それぞれ好きな馬を選べ」
ミルキーは一頭の馬の顔を覗き込んだ。
「この子の目がかわいい!」
馬も彼女を嫌がらず、穏やかに鼻先を近づけている。
「僕はこの馬のたてがみの色が好きです」
サンキチも、気に入った一頭を見つけたようだった。
フミタロウも何頭かを見て回っていたが、突然、背中をぐいと押されるような感触があった。
「ん?」
振り返ると、そこには大きな馬がいた。
ほかの馬より身体が大きく、脚も太い。どっしりとした体格で、いかにも力がありそうだった。
その馬が、フミタロウへ頭を擦りつけてくる。
「なんや? えらい懐くなぁ」
首を撫でてやると、馬は気持ちよさそうに目を細めた。
「その馬は荷物を運んだり、馬力のいる作業に向いている馬だ」
シルフィエが説明する。
「旅には向かないから、やめておけ」
「ふーん、そうなんや」
フミタロウは馬の首をもう一度撫でた。
「悪いな。今回は縁がなかったということで」
そう言って、ほかの馬を見に行く。
ところが、少し歩いたところで、また背中を押された。
「……ん?」
振り返る。
さっきの大型馬だった。
「だから、お前やないって!」
フミタロウが別の馬へ近づこうとすると、今度は服をくわえて引っ張ってくる。
「おいおい、引っ張るなって!」
ようやく服を離してもらったと思えば、ほかの馬がフミタロウへ近づいた途端、今度はそちらへ威嚇し始めた。
「ちょ、ちょっと待て。なんでそんな怒るん?」
馬は答えず、再びフミタロウへ頭を擦りつけた。
一部始終を眺めていたサンキチが、にやりと笑う。
「フミタロウさん、とうとうモテ期きましたね」
「なんで俺のモテ期は馬なん?」
ミルキーが口元を押さえて笑っている。
クリフトスまで、なんとも言えない表情でこちらを見ていた。
フミタロウは改めて大型馬を見上げる。
馬は相変わらず、彼から離れようとしない。
「……わかったわ」
フミタロウはとうとう根負けした。
「お前を連れて行くわ。よろしくな」
大型馬が嬉しそうに頭を擦りつけてきた。
「……本当にその馬にするのか?」
シルフィエが確認する。
「ここまで懐かれたら、しゃあないやろ」
「旅向きではないと言っただろう」
「まあ、なんとかなるやろ」
シルフィエは何か言いたそうにしていたが、結局、ため息をついただけだった。
こうして、フミタロウの馬が決まった。
*
馬の購入を終えた一行に、トルムが声をかけてきた。
「お前たち、これから騎馬王国連合へ向かうんだろ?」
「ああ、そうやけど。あんたも?」
「ああ。婚礼衣装用の生地を届けに行くところだ」
トルムは大切そうにまとめた織物を見せた。
昨日売っていた品よりも、さらに細かな模様が織り込まれている。
「へえ、結婚式か」
「途中まで行き先が同じなら、同行させてもらえんか?」
「別にええけど、なんで?」
「お前たち、なかなか腕が立ちそうだからな」
トルムは胸を張った。
「護衛を雇うより、ついて行った方が得だ!」
「お前、ちゃっかりしとんな」
「商人だからな!」
まったく悪びれないトルムに、フミタロウは笑った。
「まあ、ええわ。よろしくな」
「こちらこそ頼むぞ!」
トルムは自分の馬を持っていた。商品を積んだその馬も旅慣れているようで、主人の声におとなしく従っている。
これで、一行は六人になった。
ただし、出発するには、まだ一つ問題が残っていた。
*
「ほら、手綱を引きすぎるな。馬の動きに合わせろ」
シルフィエの指導を受けながら、日本人三人は乗馬の練習を始めた。
ところが、その様子は見事なほど三者三様だった。
まず、ミルキー。
初めて馬に乗ったとは思えないほど、自然に身体を動かしている。馬も彼女の合図に素直に従い、まるで前から一緒に旅をしていたかのようだった。
「おお……ミルキー様、お上手です」
クリフトスが感嘆の声を上げる。
「えへへ、なんだかこの子と気が合うみたいです」
ミルキーは嬉しそうに馬の首を撫でた。
一方、サンキチはというと。
「うわ、ちょ、そっちじゃないですって!」
馬が勝手に方向を変える。
「あ、止まった! なんで止まるんですか!」
今度は急に動かなくなる。
サンキチが慌てて手綱を動かすと、馬は何事もなかったように歩き出した。
「だから、そっちじゃないですって!」
シルフィエが呆れたようにつぶやく。
「完全に遊ばれてるな……」
「分かってるなら助けてくださいよ!」
そして、フミタロウ。
「いてててて……!」
大型馬の背で、身体が上下に揺れていた。
馬が一歩進むたびに、腰と尻へ衝撃が伝わってくる。馬の動きと自分の動きがまったく合っていないのだ。
「なんやこれ、腰とケツめっちゃ痛い!」
「力を入れすぎだ!」
「入れな落ちそうやねん!」
シルフィエの指摘はもっともなのだろうが、初めて馬に乗るフミタロウには、言われたとおりにする余裕がなかった。
何度か練習を続けるうちに、彼はようやく馬の背で考え始めた。
「……待てよ」
競馬中継で見た騎手の姿が、頭に浮かんだ。
「こういう時、ジョッキーってどうしてたっけ……?」
そうだ。
競馬の騎手は、馬の背にどっかり座っているわけではない。
「そうか!」
フミタロウは腰を浮かせ、前傾姿勢を取った。
「ジョッキーみたいに乗れば痛くないんちゃうか!?」
馬が進む。
身体の揺れが、少し変わった。
「これや! これならケツが痛くならん!」
本人は大発見をしたつもりだった。
しかし、サンキチとミルキーは、あっけにとられている。
「いや……それ長距離でやる乗り方じゃなくないですか……?」
「なんだかすごく疲れそうです……」
シルフィエがとうとう怒鳴った。
「そんな乗り方で一日走れるわけないだろ! どれだけ馬鹿なんだお前は!」
「ひどい」
フミタロウは真面目に考えたつもりだった。
*
練習を終えるころには、ミルキーはすっかり余裕のある顔をしていた。
サンキチも、まだぎこちないながら何とか馬を進ませられるようになった。
フミタロウは大型馬から降りると、腰を伸ばした。
「うああ……腰が……」
「まあ、なんとか移動できる程度にはなったな」
シルフィエが言う。
「なんとか、ですか……」
サンキチは疲れた顔で自分の馬を見た。
フミタロウも相棒の大型馬を振り返る。
馬は今日も上機嫌らしく、顔を近づけてきた。
「お前、ほんまに俺が好きやなぁ」
首を撫でると、嬉しそうに頭を寄せてくる。
「よし、こっちも準備できたぞ」
トルムが婚礼衣装用の生地を確かめ、自分の馬に積み終えた。
「それでは出発しましょうか」
クリフトスの言葉に、全員がうなずいた。
「それじゃ、行くぞ!」
シルフィエが馬を進ませる。
「おう!」
フミタロウも返事をして、相棒の手綱を取った。
六人は湖の街を後にし、騎馬王国連合へ向けて出発した。
*
乾燥した平野を、六頭の馬が進んでいく。
シルフィエとクリフトスは慣れた様子で馬を操り、ミルキーもその後ろを軽やかについていった。
サンキチは多少ぎこちないものの、なんとか遅れずに進んでいる。
トルムも商品を積んだ馬とともに、一行へ加わっていた。
しばらく進んだところで、サンキチがふと振り返った。
「あれ? フミタロウさんは?」
「ん?」
シルフィエも後ろを見る。
はるか後方に、フミタロウの姿があった。
大型馬に乗り、懸命についてこようとしている。
しかし、馬の足取りはどこまでものんびりしていた。
「まってくれーー!!」
フミタロウの声が、広い平野に響き渡る。
シルフィエは馬上から振り返り、呆れ果てた顔で叫んだ。
「だから言っただろ! バカなのか?」
「俺だけ置いてくなやーー!!」
馬は今日も上機嫌だった。
主人の必死の叫びなど気にする様子もなく、ゆったりと乾いた大地を歩いていく。
フミタロウのモテ期は、思っていた以上に前途多難だった第
。




