第四十五話 リバーナの危機
ナハルの戦いを終え、態勢を整えたユリウス隊は、すでにナハルを後にしていた。
目指しているのは、死霊侯デロスが現れたダンジョンだ。デロスを倒したとはいえ、そこが安全になったとは限らない。隊を率いて街道を進みながらも、ユリウスの胸から不安が消えることはなかった。
やがて、一行の前方に岩肌へ開いたダンジョンの入り口が見えてきた。ユリウスは険しい表情で、その奥に広がる暗闇を見つめた。
「デロスが倒れたからといって、あのダンジョンが安全になったとは限らない」
「ほかにも、何かが残っている可能性がありますね」
隣に立つ副官の言葉に、ユリウスはうなずいた。
あの場所から現れたデロス一人によって、部隊は壊滅寸前まで追い込まれた。ダンジョンの奥に何があるのか、すべてを確認できたわけではない。だからといって、まだ消耗の残る部隊を率いて、再び潜ることもできなかった。
ユリウスは周辺国から派遣された部隊の指揮官を呼び寄せた。
「あのダンジョンの封鎖を頼む。許可なく、誰も中へ入れるな」
「承知しました」
指揮官はすぐに兵を動かした。ダンジョンの入口には立ち入りを禁じる柵が設けられ、交代で見張りが置かれる。
「入口を封鎖しろ! 警戒を怠るな!」
命令を受けた兵士たちが、慌ただしく作業を進めていく。
封鎖の作業が進む間に、副官は今回の戦いについて報告書をまとめていた。ユリウスは書き上げられた内容へ目を通し、不足している部分を指摘する。
「魔導騎士団本部にも、今回の件を報告する。デロスの強さも、可能な限り詳しく書いておけ」
「はい」
完成した報告書には封蝋が施され、伝令の騎兵へ手渡された。
「これを本部へ。可能な限り急いでくれ」
「承知しました!」
伝令は馬へ飛び乗ると、蹄の音を響かせながらダンジョン前をあとにした。
しかし、この時点ではまだ、各地のダンジョンで起き始めた異変を誰も把握していなかった。
ひとまずの処置を終えたユリウスは、副官とともに携行用の地図を広げた。
「この近くで、ほかに古い巨大なダンジョンはどこだ?」
副官は地図を確認し、ナハルから少し離れた一点を指す。
「一番近いのは、リバーナの町の近くにあるレバレスのダンジョンですね」
「ここか……」
その名はユリウスも知っていた。古くから多くの冒険者が出入りしている、巨大なダンジョンである。
「騎馬隊なら、三日というところか」
「はい。街道を使えば、そのくらいです」
魔導騎士団本部からは、まだ次の命令が届いていない。ユリウスは少し考えたあと、地図を畳んだ。
「レバレスへ向かうと本部に報告する。ひとまず、あのダンジョンを調査するぞ」
そして部隊へ向き直り、よく通る声を上げた。
「全員、出発準備!」
「はっ!」
ほどなく、ユリウスを先頭に魔導騎士団がダンジョン前を出発した。封鎖を任された兵士たちに見送られ、騎馬隊は荒野を延びる街道へ入る。
行軍は予定どおりに進んだ。夜になると街道脇に野営地を設け、兵士たちは馬へ水と飼料を与える。ユリウスと副官は焚き火のそばで地図を広げ、現在地を確認した。
「予定どおり進んでいます。明日には到着できるでしょう」
「そうか。今のところ、異変らしいものはないな」
翌朝、再び進み始めた一行の前に、城壁に囲まれた町が見えてきた。
「隊長、リバーナです」
「あれか」
町の門を守る兵士は、近づいてくる一団が掲げる旗に気づくと、慌てて仲間へ声をかけた。
「魔導騎士団だ! 門を開けろ!」
三日後、ユリウス隊はリバーナへ到着した。
開かれた門の向こうでは、住民や商人が普段どおりに行き交っている。騎士団の姿に驚いて振り返る者はいたが、町に危険が迫っている様子はなかった。
「まずは、この町の責任者に話を聞く」
ユリウスたちは町の役所へ向かった。
知らせを受けた町の役人が、役所の前で一行を出迎える。
「これはこれは、魔導騎士団の皆様。遠いところを、ようこそお越しくださいました」
丁寧に頭を下げたあと、役人は少し不思議そうな顔になった。
「ですが、こちらから救援要請は出しておりません。いかなるご用でしょうか?」
「レバレスのダンジョンを調査する」
「調査……ですか?」
「最近、別の古いダンジョンで異変が起きた。念のため、内部を確認しておきたい」
デロスについて細かく話すつもりはなかったが、ユリウスの真剣な表情から、ただの巡回ではないことは伝わったらしい。役人の顔から営業用の笑みが消えた。
「なるほど……」
「ダンジョンに詳しい者を一人、できれば腕の立つ者に案内を頼みたい」
「分かりました。すぐに適任者を手配いたします」
「助かる」
二人が話していると、大通りの方から車輪の音が近づいてきた。
数人の冒険者が、大型の荷車を引いている。荷台に載せられていたのは、人間よりもはるかに大きな石像だった。古びた異形の怪物をかたどっており、長い間ダンジョンの中に置かれていたことが一目で分かる。
「あれは?」
ユリウスが尋ねると、役人は何でもないことのように答えた。
「レバレスのダンジョンから持ち帰られた戦利品です。古い石像は、高値で売れるそうですよ」
荷車はユリウスたちの前を、ゆっくりと横切っていく。冒険者も周囲の住民も、珍しい戦利品を見る程度の反応しか示していない。
「あんなものをありがたがるとは……悪趣味にしか思えんな」
「そうですね。夜に見たら、絶対に怖いですよ」
「高く売れるらしいが、理解できんな」
副官とそんな会話を交わしている間に、石像を載せた荷車は人混みの向こうへ消えていった。
「案内役が決まりましたら、すぐにお知らせします」
「頼む」
翌朝、ユリウスたちが町の門前へ集まると、役人が一人の男を連れてきた。
軽装の防具と剣を身につけ、探索に必要な道具を一通り背負っている。余計な装飾のない装備と落ち着いた態度から、経験を積んだ冒険者であることがうかがえた。
「こちらが、レバレスのダンジョンに詳しい者です」
「何度も内部へ入ったことがあります。中層までなら、迷わず案内できます」
「頼む。最近、ダンジョンで変わったことはなかったか?」
「特には。いつもどおり、冒険者が出入りしています」
町の様子と同じく、レバレスにも目立った異変はないらしい。
案内役へ馬を貸し与え、一行はリバーナを出発した。
「お気をつけて!」
役人の声を背に、騎馬隊はダンジョンへ続く街道を進む。
「町の様子は、平穏そのものでしたね」
「何もなければ、それでいい」
ユリウスはそう答えたが、警戒を緩めるつもりはなかった。前方には岩山と深い森が広がり、その奥にレバレスのダンジョンがある。
「警戒は怠るな。デロスのような相手がいる可能性もある」
「はっ!」
やがて周囲の木々が深くなり、岩肌が街道の近くまで迫り始めた。
「この先の岩山に、ダンジョンの入口があります」
「あと少しか」
案内役の言葉に答えた直後、ユリウスは片手を上げた。
「待て」
騎馬隊が一斉に止まる。馬たちは落ち着かない様子で頭を振り、耳を動かしていた。
遠くから、何かが聞こえる。
ザッ、ザッ、ザッ――。
大勢の足音に、武器や防具が触れ合う音が混じっている。地面の小石が、わずかに震えていた。
「大人数です……」
副官が声を潜める。
ユリウスはすぐに馬から下りた。
「何か来る。全員、街道を外れろ」
「馬も隠します!」
一行は岩陰や木々の間へ移動し、馬を奥へ引き入れた。姿勢を低くして街道をうかがうと、まだ姿の見えない軍勢が巻き上げた土煙が近づいてくる。
「声を出すな。通り過ぎるまで動くな」
「魔王軍……でしょうか?」
「分からん。だが、ただの旅人ではない」
やがて、土煙の中から槍と盾が現れた。
揃いの防具に身を包んだリザードマンの兵士たちが、隊列を組んで街道を進んでいる。槍兵と盾兵、その後ろには弓兵まで配置されていた。
「リザードマン……」
「数が多すぎます」
「ただの移動ではない。完全に軍隊だ」
兵士の列は途切れることなく続き、街道を埋めていく。訓練された足取りに乱れはなく、これまで遭遇した小規模な魔物の群れとは明らかに違っていた。
「まだ動くな。後ろにも何かいる」
リザードマンの軍勢の向こうで、土煙の中に巨大な四足獣の影が見えた。
馬ほどの大きさがある黒豹が、重い足音を響かせながら姿を現す。その背には、武器と防具を身につけた人型の魔族が乗っていた。
「あれは……魔族?」
副官の声が震える。
ユリウスは目を見開いた。
「デロスと同じ……」
脳裏に、ナハルでの戦いがよみがえる。
デロスが放った魔法によって、兵士たちはまとめて吹き飛ばされた。たった一人を相手に、部隊は壊滅寸前まで追い込まれたのだ。
黒豹に乗った魔族は、一人だけではなかった。
一人、二人と通り過ぎても、その後ろから別の黒豹が現れる。ユリウスは息を潜めたまま、必死に数を追った。
一人、二人……まだいる。
街道を通過する姿を数えただけでも、十人を超えていた。その周囲を、大量のリザードマンが護衛している。
ユリウスの顔から血の気が引いた。
デロスほどの力を持つ魔族が、十人以上いる。もし全員が同程度の力を備えているのなら、自分たちだけで止められる相手ではなかった。
そして、軍勢が進む方角に気づく。
「この進行方向は……」
レバレスのダンジョンから延びる街道。その先にあるのは、つい先ほどまで滞在していたリバーナの町だった。
「リバーナへ向かっている」
恐怖を押し殺し、ユリウスは最後尾の後衛が通り過ぎるのを待った。
「まだだ……完全に離れるまで待て」
敵軍が十分に遠ざかったところで、ようやく岩陰から立ち上がる。
「リバーナの町が危ない。調査は中止する」
「すぐに戻りましょう!」
「全速で引き返すぞ! 魔王軍より先に、町へ知らせる!」
「はっ!」
ユリウス隊は馬を街道へ出すと、先行する魔王軍を追うようにリバーナへ引き返した。
しかし、大軍とはいえ敵も歩みを止めない。土煙が前方に見える距離まで迫ったところで、副官が声を上げた。
「このままでは、追いついてしまいます!」
「町へ先回りしなければ意味がない!」
敵の後ろへ追いついたところで、突破できなければリバーナへ知らせることはできない。
そのとき、案内役が街道脇の森を指した。
「脇道があります! 狭いですが、騎馬なら通れます!」
「リバーナまで抜けられるのか?」
「町の北側へ出ます! 大軍では通れませんが、我々なら先回りできます!」
「よし、案内しろ!」
案内役が街道を外れ、木々の間へ入っていく。ユリウス隊も一列になり、その後へ続いた。
「全員、隊列を崩すな!」
森の道は狭く、低い枝が頭上へ張り出している。地面には木の根が浮き、激しい起伏が馬の速度を奪おうとする。それでも一行は手綱を握り、可能な限り速度を落とさずに進んだ。
「急げ! 町が襲われる前に知らせるんだ!」
長く感じられた森を抜けると、前方にリバーナの北門が見えた。町はまだ平穏で、城壁の兵士たちも敵軍の接近には気づいていない。
「リバーナです!」
「間に合った! 門を閉めろ! 魔王軍が来るぞ!」
ユリウス隊は勢いを緩めないまま北門へ駆け込んだ。
「魔王軍ですと!?」
「リザードマンを中心とした大部隊だ! すぐに町の責任者へ知らせろ!」
ユリウスは、敵が来る街道の方角を指す。
「黒豹に乗った魔族も十人以上確認した! 時間がない。門を閉めろ!」
「は、はい!」
城壁の上で警鐘が打ち鳴らされた。
カァン、カァン、カァン――。
「敵襲! 魔王軍が接近している!」
警告は瞬く間に町中へ広がった。商人たちは慌てて店を閉め、親は子どもの手を引いて家の中へ逃げ込む。
「家の中へ入れ! 城壁には近づくな!」
重い門扉が閉じられ、太い閂が固定された。守備兵たちは矢と盾を城壁へ運び、ユリウス率いる魔導騎士団も配置につく。
地平線に、巨大な土煙が見えた。
「来ます……!」
「迎撃準備! ここで食い止めるぞ!」
城壁の上から見下ろす街道を、多数のリザードマンが埋め尽くしていた。盾を構えた前衛の後ろに槍兵と弓兵が続き、さらに後方には黒豹に乗った魔族の姿が見える。
「敵軍、接近!」
弓兵と魔法使いたちが狙いを定める。魔導騎士団の団員も、いつでも術を発動できるよう構えた。
「まだ撃つな! 十分に引きつけろ!」
敵の盾が、ゆっくりと大きくなっていく。足音と防具の音が、城壁まで届き始めた。
ユリウスは右手を上げた。
「弓兵――構え!」
弓兵たちが一斉に弦を引く。
「放て!!」
振り下ろされた手を合図に、大量の矢と攻撃魔法が空へ放たれた。
矢はリザードマンの前衛へ降り注ぎ、火球や雷撃が隊列の中で炸裂する。守りを固めていた兵士たちが次々と倒れ、敵の進軍が一度止まった。
「効いています!」
「攻撃を止めるな! 城壁へ近づけさせるな!」
だが、魔王軍も黙って攻撃を受け続けてはいない。
リザードマンの弓兵と魔法部隊が前へ出ると、城壁へ向けて矢と攻撃魔法を放った。
「反撃が来るぞ!」
迫る攻撃を見たユリウスが、再び右手を上げる。
「魔導騎士団、障壁陣形! 魔導障壁を展開する!」
「はっ!」
属性の異なる二人の魔導騎士が、一組となって並んだ。
それぞれが魔力を練り、呼吸を合わせる。異なる属性の魔力が混ざり合い、術者たちの前面に巨大な長方形の盾が次々と現れた。
敵の矢と魔法が、魔導障壁へ激突する。
激しい衝撃音が連続して響いたが、直射された攻撃は一つも城壁へ届かなかった。
「す、すごい……! これが、魔導騎士団の魔法……!」
初めて目にした守備兵が、思わず感嘆の声を漏らす。
異なる属性の術者二人が魔力を合成し、強固な盾を作り出す魔導障壁。特殊な訓練と、術者同士の正確な連携がなければ維持できない。実戦で運用できるのは、魔導騎士団だけだった。
数多くの戦場で味方を守り続けてきたその力は、人々から『人類の盾』と呼ばれている。
「リザードマンの攻撃なら防げます」
「ああ……」
副官の言葉に答えながらも、ユリウスは喜ばなかった。
ナハルでデロスと戦ったとき、魔導障壁は破られた。後方に控える魔族たちが動けば、同じことが起きるかもしれない。
「魔導障壁、維持!」
複数の長方形障壁が、正面から飛来する矢と魔法を弾き続ける。
すると敵の弓兵が狙いを変えた。弓を上へ向け、城壁を越えるように矢を放つ。
弧を描いた矢が、正面の障壁の上を越えてきた。
「曲射が来ます!」
「盾を上げろ! 魔導騎士団の術者を守れ!」
守備兵たちは物理的な盾を頭上へ掲げ、隙間から落ちてくる矢を剣で払った。
魔導障壁は、術者の前面へ展開する盾である。頭上や背後まで覆う全周結界ではない。だが、正面を魔導騎士団が守り、頭上を町の守備兵が補えば、弱点を埋めることができる。
「これなら守り切れる!」
「連携が機能しています!」
守備側は敵の攻撃を防ぎながら、矢と魔法で反撃を続けた。
そのときだった。
町の中心部から、激しい破壊音が響いた。
ドゴォン――!
続いて、住民の悲鳴が上がる。
城壁上にいた兵士たちが一斉に振り返った。建物の間から黒煙が立ち上っている。
「な、何だ!?」
「町の中から……!?」
ユリウスの表情が凍りついた。
同じ頃、町の中心部では、一体の魔族が破壊された建物のそばに立っていた。
「まだ身体が、思うように動かぬか……」
魔族は片脚を引きずりながら、腕や指の動きを確かめている。身体はまだ完全ではなく、動作も鈍い。
住民たちは悲鳴を上げて逃げていた。町を守る兵士の大半は、迫る魔王軍に備えて城壁へ集められている。
魔族は遠くに見える大きな建物へ顔を向けた。
「この町の長は、確かあの建物にいると――人間どもが話していたな」
市長舎へ向かい、ゆっくりと歩き始める。その姿を目にした住民たちは、近づくこともできずに道を空けた。
途中、異変を聞きつけた数人の守備兵が、魔族の前へ立ちはだかった。
「止まれ!」
「それ以上、近づくな!」
守備兵が剣を抜き、一斉に斬りかかる。
魔族の動きは速くなかった。それでも、振るわれた一撃は兵士たちをまとめて弾き飛ばした。
「邪魔をするな」
倒れた者たちには目も向けず、再び市長舎へ歩き出す。
その頃、市長舎の執務室では、市長と役人たちが城壁の状況を確認しようとしていた。
突然、扉が内側へ吹き飛ぶ。
轟音とともに木片が散り、室内へ煙が流れ込んだ。
市長たちが声も出せずに立ち尽くすなか、煙の向こうから魔族が姿を現す。
「貴様が、この町の長か?」




