第三十九話 おっさん、案内人と出会う
オーク砦を滅ぼした翌朝。
ダークエルフの村に用意された一室で目を覚ましたフミタロウは、寝台の上で重たい身体を起こした。あちこちに残る打ち身の痛みより、今は左腕のほうが深刻だった。添え木を当てられ、包帯で固められた腕は首から吊られている。パイルバンカーも取り外され、寝台の脇へ置かれていた。
無意識に動かそうとした途端、鈍い痛みが走る。
「……痛っ」
顔をしかめたフミタロウへ、様子を見に来ていたダークエルフの女性が厳しい声を飛ばした。
「まったく動かへんな……」
「しばらく無理をするな。本当に使えなくなるぞ」
「怖いこと言うなぁ……」
それでも、腕そのものを失わずに済んだのは幸運だったのだろう。オークキングを相手に、限界寸前のパイルバンカーを撃ち込んだのだ。装置が爆発していれば、骨折程度では済まなかった。
「まあ、腕がちぎれへんかっただけマシか」
冗談めかして呟いたものの、笑うと身体中の傷が痛んだ。
無事に戻った仲間たちも、戦いの消耗を引きずっていた。
村の大樹の根元で休んでいたサンキチは、膝の上に置いたマギアスロット杖を見つめている。杖に装着されている魔石の輝きは弱く、蓄えていた魔力がほとんど残っていないことを示していた。
「魔石、全部使ったんか?」
「はい。ほとんど使い切りました」
隣に腰を下ろしたミルキーも、普段より肩を落としていた。
「私も、まだ身体が重いです……」
「少し休養が必要ですね」
クリフトスも疲労を隠せてはいない。いつもの涼しげな微笑みこそ崩していなかったが、声には力がなかった。
「生きて帰れただけでも、よかったですよ」
「ほんまにな」
砦を焼き払ったときには勝利の実感より疲労のほうが勝っていた。こうして四人そろって朝を迎えられたことが、何よりの成果だった。
戦いを境に、村人たちの態度も少しずつ変わり始めていた。
「よければ、これを」
果物と焼いたパンを盛った籠が差し出される。受け取ったサンキチが顔を輝かせると、村の女性はわずかに表情を和らげた。
「足りなければ、また持ってくる」
「ありがとうございます!」
別の村人は薬草を持ってきて、フミタロウの左腕へ視線を向けた。
「腕の傷に使ってくれ」
「ええの? 助かるわ」
昨日までなら、すれ違っても警戒の目を向けられるだけだった。それが今では食事や薬を届けてもらえる。あまりに分かりやすい変化に、サンキチが周囲を見回した。
「なんか、扱いがよくなりましたね」
「そやな。一応、認めてくれたんかな」
「皆さんと一緒に、砦を落としましたからね」
村を脅かしていたオークたちと戦ったことで、少なくとも敵ではないと認めてもらえたらしい。ただ、すべての者が人間への不信を捨てたわけではなかった。遠巻きにこちらを見つめる者や、目が合うとすぐ顔を背ける者もいる。
「まだ警戒している人も多いですね」
「まあ、急には変わらんやろ」
フミタロウがそう答えたとき、少し離れた場所から黄色い声が上がった。
「クリフトス様!」
「こちらへ来てください!」
金髪の魔楽士を取り囲むように、ダークエルフの女性たちが次々と集まっていく。その光景を目にしたフミタロウは、呆れた声を漏らした。
「なんや、あれ?」
「クリフトス様、この前の曲をもう一度聴かせてもらえませんか?」
「ええ、いいですよ」
クリフトスが笛を構えると、女性たちは待ちきれない様子で身を寄せた。澄んだ音色が村に流れ始めるや、彼女たちは頬を染め、うっとりと聴き入っている。
「素敵でした!」
演奏が終わると同時に拍手が湧き起こった。どうやらクリフトスだけは、仲間として認められたという次元をとうに越えているらしい。
「完全にアイドルやな」
「魔楽士とは、人々に笑顔を与えるのも役目ですので」
クリフトスは涼しい顔で答えたが、フミタロウは周囲の女性たちを指さした。
「いや、ダークエルフさん、それだけとちゃう顔してるけどな」
「そうでしょうか?」
本人だけが気づいていないのか、気づかないふりをしているのかは分からない。
その一方で、ミルキーも村の子どもたちから大人気だった。こちらはクリフトスを囲む熱っぽい空気とは違い、純粋な親しみから生まれた賑やかさである。
「ミルキーちゃんも大人気みたいやけど」
「そやな」
「あっちは明らかに違う人気ですね」
大樹の下では、子どもたちに囲まれたミルキーが笛を手にしていた。
「ミルキーお姉ちゃん! さっきの曲、もう一回!」
「いいですよ。今度はみんなも一緒に歌ってくださいね」
「はーい!」
元気な返事にミルキーが笑い、再び笛へ唇を寄せようとした。そのとき、子どもたちの輪の向こうから黒髪のダークエルフが歩いてきた。
弓を背負い、隙のない足取りで近づいてくる女性に、一人の幼い少女が気づく。
「あっ! シルフィエお姉様!」
セリアと呼ばれた少女は、嬉しそうに立ち上がって駆け寄った。
「セリア。こんなところで遊んでいたのか。母上が心配していたぞ」
「ごめんなさい……! でもね、お姉様! このお姉ちゃんの演奏、とっても楽しいんだ」
妹に手を引かれたシルフィエは、ミルキーへ鋭い視線を向けた。
「お前は……砦で共に戦っていた人間か」
「あなたも、砦で戦っていましたね」
二人は戦場で互いの姿を見ていた。しかし、直接言葉を交わすのはこれが初めてだった。
「お姉様、このお姉ちゃんを知ってるの?」
「顔を見ただけだ」
セリアは二人の間に立つと、得意げにミルキーを紹介した。
「このお姉ちゃん、ミルキーお姉ちゃんっていうの」
「ミルキーです」
丁寧に頭を下げられ、シルフィエはわずかに間を置いた。
「……シルフィエだ」
名乗っただけで警戒を解いた様子はない。それでもセリアは満足そうに笑い、今度は姉の手を強く引いた。
「お姉様も一緒に聴こうよ! 一曲だけ!」
「私はお前を迎えに来ただけだ」
「一曲だけ!」
まっすぐ見上げてくる妹を前に、シルフィエはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……一曲だけだぞ」
「うん!」
「それでは、始めますね」
ミルキーが笛を吹き始めると、子どもたちは声を合わせて歌い出した。セリアも楽しそうに身体を揺らし、覚えたばかりの歌詞を懸命に追いかけている。
そんな妹を見つめるシルフィエの表情から、いつしか険しさが消えていた。ほんのわずかではあるが、口元に柔らかな笑みさえ浮かんでいる。
演奏を終えたミルキーが、隣に座る彼女へそっと声をかけた。
「妹さんのこと、大好きなんですね」
シルフィエは、たちまち警戒するような顔へ戻った。
「……悪いか」
「いいえ。素敵だと思います」
ミルキーは穏やかに微笑んだ。それ以上踏み込むことも、返事を求めることもしない。
シルフィエは何も言わなかったが、先ほどまでよりわずかに力の抜けた目で彼女を見返した。
それから一行は、旅を再開できるまで村で休養を続けた。
日が経つにつれてフミタロウの骨はつながり、包帯の外れた左腕も少しずつ動くようになった。サンキチのマギアスロットに装着された一つの魔石にも、再び魔力が満ちている。ミルキーは変わらず子どもたちの輪へ加わり、セリアと、そのそばにいるシルフィエとも同じ時間を過ごすようになっていた。
全員の体力と魔力が戻ったころ、族長から呼び出しがかかった。
「族長がお呼びだ。すぐ行くわ」
荷物をまとめていた四人は族長の家へ向かった。部屋へ通されると、長机の向こうに座る族長が、まずフミタロウの左腕へ目を向けた。
「傷はどうだ?」
フミタロウは拳を握り、腕を軽く曲げてみせた。
「おかげさまで、もう大丈夫や」
「ゆっくり休ませてもらって、助かりました」
「ありがとうございました」
サンキチとミルキーもそろって頭を下げる。すると族長は首を横へ振った。
「いや。礼を言わなければならないのは、こちらの方だ。本当にありがとう」
砦が滅びたことで、村は長く続いた脅威から解放された。族長の短い言葉には、飾りのない感謝が込められていた。
「ところで、例の紹介状と案内人なのだが――」
族長は机の上へ一通の書状を置き、部屋の奥にある暗がりへ顔を向けた。
「シルフィエ、入りなさい」
闇の中に見えていた人影が動き、弓を背負った女性が姿を現す。
「あっ……シルフィエさん」
ミルキーの声に、シルフィエは軽く目を向けた。族長に促され、四人の前へ立つ。
「シルフィエだ。お前らの旅に同行する」
そこで腕を組み、釘を刺すように続けた。
「ただし、あくまで道案内だけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「シルフィエ。客人に対して無礼だぞ」
族長の低い声が飛ぶと、彼女は姿勢を正した。
「はっ。申し訳ありません」
「まあ、こんな調子だが、弓の実力は村一番だ。地理にも明るい。きっと、おぬしらの役に立つだろう」
「なるほど。それはありがたい」
旅の目的地は東にある。知らない土地を進み、再びこの村へ戻ってくるまでの道を知る者が同行してくれるのは心強い。
壁に広げられた地図の前へ移ると、シルフィエは東へ延びる道を指でなぞった。
「東へ向かい、ここへ戻ってくるまで、私が案内してやる」
「よろしくな、シルフィエさん」
「ふん。族長の頼みだからな」
素っ気なく返すと、シルフィエは一行を待たず、さっさと歩き出した。
新しい案内人の背中を見ながら、フミタロウはサンキチへ顔を寄せる。
「めんどくさいの来たなぁー」
「聞こえますよ」
サンキチが小声で止めた直後、前を歩くシルフィエの長い耳がぴくりと動いた。振り返った目は、明らかに二人を睨んでいる。
気まずい沈黙の中、フミタロウは何事もなかったように視線をそらした。
こうして一行は新たな案内人を加え、東への旅へ踏み出した。




