第四話 おっさん町から出てみる
第四話 おっさん町から出てみる
平和だった。
道の脇には小さな花が咲き、木々の間から鳥の鳴き声が聞こえてくる。少し離れた場所では浅い小川が陽の光を反射しながら流れ、その向こうには畑が広がっていた。
フミタロウは、どこか肩透かしを食らった気分で周囲を見回した。
「俺ら、異世界にハイキングしに来たんやったっけ?」
隣を歩いていたミルキーも、緊張の抜けた顔で笑った。
「なんだか拍子抜けですね。もっと怖い場所を想像していました」
「僕もです」
サンキチは杖を手にしたまま、念のため道の先を警戒している。
「町を出たら、魔物がうようよしてるのかと思ってました」
「俺もや」
三人は前日の訓練を終えたあと、実際に町の外へ出てみることにした。
目的は周辺の様子を知ること。そして可能なら弱い魔物と戦い、自分たちがどこまで通用するのか確かめることだった。
しかし今のところ目に入るのは、畑と草原、そして遠くを行き交う荷馬車くらいである。
「まあ、考えてみたらこんなもんか」
フミタロウは道の脇に広がる畑を眺めた。
「町の生活が普通に成り立ってるんやから、近くで農業もしてるやろうし、他の町との行き来もあるはずや」
「そうですね」
ミルキーが頷く。
「町の外へ出ただけで魔物だらけなら、畑を作ることもできませんし」
「魔王に滅ぼされそうな国なら、もっと大変なんでしょうけど」
サンキチの言葉に、フミタロウは少しだけ表情を曇らせた。
アーリアン王国は、まだ平穏を保っている。
だからこそ、異世界から来た三人には魔王の脅威がいまひとつ現実のものとして感じられない。
大臣が嘘をついているとは思わない。
それでも、この穏やかな景色だけを見ていると、世界のどこかで国が滅びていると言われても、なかなか実感は湧かなかった。
その時だった。
街道の向こうから、激しく車輪を鳴らす音が聞こえてきた。
二頭立ての荷馬車が、かなりの速度でこちらへ向かってくる。
御者台に座っていた男は、三人の姿を見つけると大きく手を振った。
「おーい! お前らも逃げた方がいいぞ!」
馬車は三人の近くで速度を落とした。
「この先の峠道で、ゴブリンの群れが出た!」
フミタロウは、思わずサンキチと顔を見合わせた。
いかにも事件が始まりそうな言葉だった。
「ゴブリンって、どれくらい強いんですか?」
サンキチが尋ねる。
「知らねえのか?」
御者は三人の装備を見たあと、何かに気づいたようだった。
「召喚者か?」
「召喚されたてです」
「そうか。なら悪いことは言わねえ。早く町へ戻れ」
男は街道の先を指した。
「まだ別の馬車が何台かゴブリンに囲まれてる。俺は衛兵を呼びに戻るところだ」
「人は?」
「馬車を盾にして抵抗してるが、長くは持たねえ」
御者は改めて三人を見た。
両腕に防具を付けただけの中年男。
長い杖を持った少女。
そして、まだ少年にしか見えない魔法使い。
「あんたら、見た感じ弱そうだからな」
「率直やな」
「悪く思うな。死んだら終わりだ。衛兵が来るまで絶対に近づくなよ!」
それだけ言うと、男は再び手綱を振り、馬車を町へ向けて走らせていった。
三人は遠ざかっていく荷馬車を見送る。
「行っちゃいましたね」
ミルキーが言った。
「さて」
フミタロウは腕を組む。
「どうする?」
訓練の成果を確かめたいという気持ちはあった。
だが、水樽と本物の魔物は違う。
ゴブリンがどれほど強いのかも分からないし、数も不明だ。
「実戦はしてみたいですけど……」
サンキチも迷っていた。
「僕たちだけで大丈夫でしょうか」
フミタロウとサンキチは、自然にミルキーへ目を向けた。
判断を押しつけるつもりではなかった。
ただ、彼女がどう考えているのかを知りたかった。
ミルキーは街道の先を見つめたまま、しばらく黙っていた。
やがて。
「助けに行きましょう」
迷いのない声だった。
「衛兵さんが来るまで、少しでも時間を稼ぐくらいなら、私たちにもできるかもしれません」
フミタロウは、その横顔を見る。
怖くないはずはない。
それでも、誰かが困っていると知ってしまった以上、放っておけないらしい。
無謀だと言う人間もいるだろう。
偽善だと笑う人間もいるかもしれない。
だがフミタロウは、そういう人間が嫌いではなかった。
「よし」
右拳を軽く握る。
「ほな、行こか。衛兵が来るまで、なんとか持たせよう」
*
馬車は三台あった。
街道の中央で身を寄せるように止まり、その周囲を二十匹近いゴブリンが取り囲んでいる。
背丈は一メートルほど。
茶色がかった肌に、小柄な体。
手にしているのは刃こぼれした短剣や棍棒、農具を改造したような粗末な武器ばかりだった。
一匹だけなら、それほど恐ろしい相手には見えない。
だが群れになれば話は別だった。
馬車の周囲では、商人や護衛らしい男たちが剣や棒を手にして必死に抵抗している。
荷台の奥からは、子供の泣き声まで聞こえてきた。
「かなりまずそうやな」
フミタロウは街道脇の茂みから様子を窺った。
「早く助けないと」
ミルキーが飛び出しかける。
フミタロウは慌てて肩を掴んだ。
「待って。まず作戦」
「あっ……はい」
「サンキチくんとミルキーちゃんが、先に魔法を撃つ」
二人へ視線を移す。
「ゴブリンが混乱したら俺が前へ出る。あとは昨日の訓練どおり。ミルキーちゃんは俺が囲まれんように牽制。サンキチくんは後ろから援護」
「分かりました」
「はい」
サンキチは、なぜか少し自信ありげな顔をした。
「こういう場面を想定して、広い範囲を攻撃する方法を考えてきたんです」
「さすがマニュアルくん。準備ええな」
「その呼び方は別にいいですけど」
「ええんや」
サンキチは杖を握り、深く息を吸った。
「それじゃ、始めます」
フミタロウも拳を構える。
「作戦開始」
サンキチが茂みから一歩前へ出た。
「火炎の精霊たちよ、我が命に従え」
杖の先へ赤い光が集まる。
しかし生まれたのは、一つの大きな炎ではなかった。
拳ほどの火球が次々と現れ、空中へ浮かんでいく。
「炎火散弾!」
無数の火球が、一斉にゴブリンの群れへ飛んだ。
火の雨が街道へ降り注ぎ、先頭にいたゴブリンが弾き飛ばされる。別の一匹の服へ火が燃え移り、突然の攻撃に気づいた群れが一斉に悲鳴を上げた。
「私も行きます!」
ミルキーが杖を横へ構える。
淡い緑色の光が、その周囲へ渦を巻いた。
「トルネード!」
杖を振り抜いた瞬間、強い風が街道を駆け抜ける。
舞い上がった砂や小石とともに、炎から逃れようとしていたゴブリンたちが巻き込まれた。
小柄な体が地面を転がり、棍棒や短剣が宙へ舞う。
フミタロウは思わず構えを解いた。
「うおお……」
二人とも、思っていたよりずっと強い。
ゴブリンたちは反撃するどころか、何が起きたのかも分からないまま次々と倒れていく。
立っていた者たちも炎と風に恐れをなし、我先にと街道脇へ逃げ出した。
馬車を囲んでいた群れは、あっという間に崩れた。
「……俺、出番なし?」
いや。
安全なら、それでいい。
そう自分に言い聞かせながら、ほんの少しだけ寂しい気持ちを押し込める。
「やったな、二人とも!」
フミタロウが振り返る。
ミルキーは、自分の魔法が成功したことを信じられないような顔で笑っていた。
「はい!」
しかし。
サンキチの姿がない。
「あれ?」
次の瞬間、後ろから短い悲鳴が上がった。
「きゃあ!」
地面に、サンキチが仰向けに倒れていた。
白目をむき、口元には白い泡。
手足は小さく痙攣している。
「おいおいおい!」
フミタロウとミルキーは、慌てて駆け寄った。
「サンキチくん! 大丈夫か!」
返事はない。
ミルキーはサンキチの頬へ手を添えた。
「サンキチさん、しっかりしてください!」
反応がない。
「サンキチさん!」
ぱちん。
頬を叩いた。
もう一度。
ぱちん。
「ちょ、ミルキーちゃん」
「起きてください!」
ぱちん、ぱちん。
「それ、治療やなくて攻撃になってへん?」
「でも起きません!」
サンキチの頬が少し赤くなった頃、ようやくまぶたが動いた。
「う……うーん」
「サンキチさん!」
「大丈夫か?」
サンキチはぼんやりと周囲を見回した。
「あれ……ゴブリンは?」
「逃げた。二人の魔法で追い払ったで」
「そうですか……」
起き上がろうとしたが、どうやら体に力が入らないらしい。
フミタロウが背中を支える。
「どうしたん?」
「魔法を放った瞬間、急に意識が遠くなって……」
「多分、一気に魔力使い切ったんやろな」
フミタロウは、前日の訓練で自分が小さな光を一発飛ばしただけで疲れ切ったことを思い出した。
あれだけ大量の火球を一度に作れば、魔力が尽きても不思議ではない。
「精神ごと吹っ飛んだんちゃう?」
「あはは……そうかもしれません」
全員無事。
馬車も助かった。
結果だけ見れば、大成功だった。
ただし。
フミタロウの頭には、一つの光景が強烈に焼きついていた。
「それにしても……」
笑いが込み上げてくる。
「思いっきり格好つけて、『炎火散弾!』」
「はい?」
「その直後、ばたっ、ピクピクって」
もう耐えられなかった。
「最高や。腹痛い」
「笑わないでくださいよ!」
「フミタロウさん、あまり笑ったらかわいそうです」
ミルキーが注意する。
もっとも。
彼女の口元も、ほんの少し緩んでいた。
フミタロウは咳払いをして、無理やり真面目な顔を作る。
「すまん。君の活躍のおかげでゴブリンを追い払えた。素晴らしかった」
「そうでしょう?」
「でも最後のピクピクが――」
「もういいです!」
フミタロウは再び笑った。
「忘年会で絶対やってくれ」
「やりません!」
*
笑い声を聞きつけ、馬車の方から二人の男が近づいてきた。
どちらも商人らしい服装をしている。
「あの、すみません」
一人が深く頭を下げた。
「助けていただき、本当にありがとうございました」
ミルキーも慌てて頭を下げ返す。
「皆さんは大丈夫でしたか?」
「おかげさまで。けが人はいますが、命に関わる者はいません」
商人は馬車の方を振り返った。
「積み荷には被害が出ましたが、全員無事です。それだけで十分です」
荷台から降りた人々も、三人へ向かって頭を下げていた。
子供を抱く女性。
足を負傷した護衛。
涙を拭っている老人。
それを見たフミタロウは、急に照れくさくなった。
「いやいや。無事なら何よりや」
手をひらひらと振る。
サンキチも、まだ頬を押さえながら頭を下げた。
商人は改めて三人の装備を見た。
「皆さんは、召喚者の方ですか?」
「そうです」
フミタロウが答える。
「召喚されたての、ほやほやです」
「ほやほやって……」
サンキチが小声でつぶやいた。
商人たちは少し離れた場所へ移動すると、こちらへ背を向けて相談を始めた。
ときどき三人の方を振り返っている。
やがて話はまとまったらしい。
先ほどの商人が戻ってきた。
「お願いがあります」
「何でしょう?」
「私たちは、ここからミルムという町へ向かう途中でした」
商人は街道の先を示す。
「あなた方に、ミルムまでの護衛をお願いできないでしょうか」
「護衛?」
「はい。もちろん、今回助けていただいたお礼とは別に、報酬をお支払いします」
馬車に残っていた人々も、こちらを見ながら頭を下げる。
「行きましょう!」
ミルキーが即答した。
フミタロウとサンキチは、同時に彼女を見る。
「早いな」
「困っているんですから」
ミルキーは真剣だった。
普段は穏やかで控えめに見えるが、人を助ける場面になると迷いがない。
「でも俺ら、旅の準備してへんで」
「あっ」
ミルキーの表情が止まった。
「食料もない。寝袋もない。そもそも俺、所持金ゼロ」
「どうしましょう」
決断は早いが、計画は少し足りなかった。
商人が笑った。
「それならご心配なく。食料や旅に必要な物はこちらで用意します」
フミタロウにとっても悪い話ではない。
報酬が出る。
食事も用意してもらえる。
別の町へも行ける。
何より、先ほどの戦いで自分たちにも多少はできることがあると分かった。
「どうする、ピクきちくん?」
「誰がピクきちですか!」
サンキチは赤くなった頬を押さえた。
「僕は、二人がいいなら構いません」
「私は賛成です」
「ほな、決まりやな」
フミタロウは商人へ向き直った。
「お互い得する話みたいやし、お願いします」
「ありがとうございます」
商人たちは、ほっとした顔で何度も頭を下げた。
*
馬車の準備が整うまで、サンキチは街道脇に座って休んでいた。
魔力が完全に戻るまで、しばらく時間がかかるらしい。
「あの」
サンキチが頬へ手を当てる。
「なんか、すごくほっぺたが痛いんですけど」
「そうなん?」
「はい。何ででしょう」
フミタロウは隣のミルキーを見る。
ミルキーは静かに目を逸らした。
「魔法の副作用ちゃう?」
「そんなこと、本には書いてなかったんですけど」
「実戦では、本に載ってへんことも起きるんやろ」
「そうか……気をつけないと駄目ですね」
「そうやな」
ミルキーは何も言わなかった。
やがて馬車の準備が整い、商隊がゆっくりと動き始めた。
三人も、その列に加わる。
目的地はミルム。
どんな町なのか。
どれほど遠いのか。
そして、その道中に何が待っているのか。
フミタロウたちは、まだ何も知らない。
異世界へ召喚されてから、自分たちで道を選んでいるつもりだった。
だが実際には、目の前で困っている人を見つけ、頼まれたことを引き受け、そのたびに次の道が開いている。
それでも、立ち止まっているよりはずっといい。
少なくとも今回は、人を助けた結果として、新しい目的地ができた。
こうして三人は、異世界で最初の旅へ出ることになった。
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