第三十五話 エルリーフ
ミルドカンドを出てから数日。
フミタロウたちは、東へ向かって山岳地帯を進んでいた。
最初のうちは、見上げるほど高い岩壁や細い山道が続き、足元へ注意を向けていないと歩くのも危ない場所が多かった。だが、日を追うごとに道は少しずつ緩やかになり、周囲の景色にも変化が見え始めていた。
「だいぶ抜けてきたな」
フミタロウが前方を見ながら言う。
「さっきから空が広く見えますね」
サンキチも顔を上げた。
それまで山の斜面や岩に遮られていた視界が、少しずつ開けている。
さらに歩くと、道の先で山の切れ間が大きく開いた。
そこを抜けた瞬間、フミタロウたちは思わず足を止めた。
「おお……」
眼下には、見渡す限りの緑が広がっていた。
山岳地帯の終わりから東へ向かって、巨大な森林が地平線近くまで続いている。深い緑の中には街道らしき線が細く伸び、ところどころに建物の屋根や煙も見えた。
ミルドカンドでずっと石と鉄と蒸気に囲まれていたせいか、その景色はひどく鮮やかに見えた。
「この先がエルフの国なんですかね?」
サンキチが少し弾んだ声で言う。
「たぶんな」
フミタロウも森を眺めながら笑った。
「美男美女だらけやぞ、きっと」
「楽しみですね」
「お二人とも、そこなんですね……」
ミルキーが呆れたように笑う。
「でも、ちょっと気になるでしょう?」
サンキチが言い返す。
「まあ、それは……少し」
「ほら」
「何がほらなんですか」
その横で、クリフトスは森の先へ視線を向けていた。
「オッゾさんの話では、まず中立交易都市を通ることになるはずです」
「エルリーフやったな」
「はい」
山を下りながら進んでいくと、街道は次第に整備され、人の行き来も増えていった。
荷車。
商人。
武装した護衛。
大きな荷物を背負った旅人。
そしてしばらくすると、森へ続く街道の先に大きな石造りの関所が見えてきた。
「……なんか思ってたより物々しいな」
フミタロウが言う。
関所は、街道を塞ぐように分厚い石壁と大きな門を構えていた。
門の前では武装したドワーフ兵たちが旅人や商人を一人ずつ止め、荷物や身元を確認している。
「エルフの町って、もっとこう……木と花でできた門みたいなの想像してました」
「俺も」
「まだここはドワーフ側ですよ」
クリフトスが冷静に言った。
「なるほどな」
列へ並んで順番を待ち、やがてフミタロウたちの番になった。
「次」
門を守っていたドワーフ兵が、四人を順番に見た。
「旅人か?」
「そうや。東へ抜ける途中」
「なら先に説明しておく」
兵士は後ろの門を指した。
「この先は中立交易都市エルリーフだ。ドワーフ領とエルフ領の間にある交易地帯になる」
「中立?」
「そうだ」
兵士は真顔のまま続ける。
「町の中では、武器と魔法の使用は禁止だ」
「禁止?」
「一切禁止だ。違反した場合は理由を問わず即刻投獄」
「即刻なん?」
「即刻だ」
「厳しいな……」
「厳しくしなきゃ維持できねえんだよ」
兵士は慣れた様子で言った。
「入る前に、武器と魔法具には封印を施す」
「封印?」
「使えなくするだけだ。町を出れば解除する」
「なるほど」
そう言っていた兵士の視線が、フミタロウの左腕で止まった。
「それも武器だな」
「いや、腕の装備や」
「武器だ」
「まだ何も説明してへんやん」
「見れば分かる」
「……はい」
フミタロウは素直に左腕を差し出した。
兵士が小さな魔石のような道具を使ってフ式パイルバンカーへ触れると、装置の表面に薄い紋様が浮かび上がった。
「これで町の中じゃ作動しねえ」
「ちゃんとしてるなあ」
「次」
今度はサンキチの杖を確認する。
「魔法具だな」
「はい」
「これも封印」
「分かりました」
マギアスロットにも同じように封印が施される。
サンキチは杖を受け取りながら、小さくため息をついた。
「信用ないですね……」
兵士は顔色一つ変えず答えた。
「信用で和平が保てるなら、関所はいらん」
サンキチが黙る。
フミタロウも、少しだけ笑うのをやめた。
この町は、ただ商売のために作られた場所ではない。
仲の悪い者同士が、何とか一緒にいられるように作られた場所なのだ。
「分かった。ルール守るわ」
「なら通れ」
門が開く。
その向こうには、予想していたよりずっと大きな町が広がっていた。
*
「……にぎやかやな」
エルリーフへ入って最初に感じたのは、それだった。
中央には大きな交易所があり、その周囲を囲むように露店、倉庫、宿、酒場、商館が並んでいる。
道を歩いているのは人間とドワーフが多く、大きな荷車が何台も行き交い、店先では商人たちが声を張り上げていた。
建物の雰囲気も妙だった。
片側にはミルドカンドで見たような重厚な石造りの建物が並んでいるのに、少し進むと壁や窓に木材や植物を取り入れた柔らかな意匠が増えていく。
「町の中でも雰囲気違うんですね」
ミルキーが周囲を見回す。
「ドワーフ側とエルフ側、両方の文化が混ざっているのでしょう」
クリフトスが答えた。
「ドワーフとエルフが正式に交易できる場所は、ほとんどここだけだと聞いています」
「普通に取引させたら、すぐケンカになるってこと?」
フミタロウが聞く。
クリフトスは少し考えてから答えた。
「……おそらく」
「どんだけ仲悪いねん」
フミタロウは呆れたように言った。
それでも町は活気に満ちている。
人間の商人がドワーフの鍛冶道具を売り、別の店では森林地帯から運ばれてきた薬草や木材が並んでいる。
行き交う商品の種類も、これまでの町とはかなり違っていた。
「ここだけ見てたら、普通の交易都市やな」
「そうですね」
サンキチも辺りを見ていたが、ふと動きを止めた。
「……あれ?」
「どした?」
「エルフ、いませんね」
その一言で、全員が周囲を見る。
人間。
ドワーフ。
旅人。
商人。
確かにエルフらしき姿は見当たらない。
「そういえば……」
ミルキーも首を傾げる。
「ほんまや。エルフの店、ひとつもないな」
「店はあるんじゃないですか? 商品はエルフ製かもしれません」
「でも本人がおらん」
気になったフミタロウは、近くにあった露店へ近づいた。
瓶詰めの薬や乾燥した薬草を並べている、人間の男の店だった。
「兄ちゃん、ちょっと聞いてええ?」
「何だい?」
「エルフって、この町おらんの?」
「エルフ?」
店主は少し意外そうな顔をした。
「いるにはいるけど、こんなところじゃ見かけないよ」
「なんで?」
「エルフが直接商売なんかしないからな」
「へ?」
フミタロウが間の抜けた声を出す。
「店はあるでしょ?」
サンキチが並んでいる瓶を見ながら聞く。
「ああ。エルフが作った商品を売る店はある。でも店頭に立つのは俺たちみたいな人間か、雇われた商人だ」
「本人は出てこんの?」
「出てこないな」
店主は肩をすくめた。
「あいつら――」
そこまで言って、少し言葉を止める。
「いや、あの方達は、商売なんて卑しい仕事はされないのよ」
「……」
フミタロウがサンキチを見る。
サンキチもフミタロウを見る。
少し離れた場所まで歩いてから、フミタロウが小声で言った。
「なんかプライドの塊みたいな予想、当たりそうやな」
「まだ会ってませんけどね」
「でも今の聞いたら、だいぶ怪しいやろ」
店主は聞こえていたのかいなかったのか、特に気にせず続けた。
「この辺じゃ、エルフは高位種族って扱いなんだよ」
「高位種族?」
フミタロウが聞き返す。
「そういう扱い?」
「昔からな。長生きだし、魔法にも薬にも詳しいし、何より自分たちの文化に誇りを持ってる」
「自分たちで高位種族って言ってるんですかね?」
サンキチが真面目な顔で聞く。
「そこまでは知らん」
店主は笑った。
そして急に商売人の顔へ戻る。
「ところで兄ちゃんたち」
「ん?」
「うちのポーション、エルフ製だぜ」
「急に売り込み来たな」
店主は一本の瓶を持ち上げた。
中には淡い緑色の液体が入っている。
「めちゃくちゃ効くよ。どうだい?」
「結局商売はするんやな」
「俺は人間だからな」
「強い」
クリフトスが一本受け取り、瓶を光へかざした。
蓋を開けて香りも確かめる。
「確かに、良いものですね」
「分かるんですか?」
サンキチが尋ねる。
「薬草の質も、調合もかなり良いです。保存状態も悪くありません」
「だろ?」
店主が満足そうに笑う。
「これくらいの品は、北じゃなかなか手に入らんよ」
「旅の備えとして何本か買っておきましょう」
クリフトスは迷わず言った。
その横で、フミタロウが値札を見た。
「……高っ」
「でも必要ですからね」
サンキチが当然のように言う。
「こういうの俺、貧乏性やから最後まで使わずに温存して苦労するタイプなんよな~」
「必要な時に使ってください」
クリフトスが淡々と返す。
「それが難しいねん」
「難しくありません」
「体力半分残ってたら、まだいけるかなって思ってまうやん」
「それで倒れたら意味ないでしょう」
「正論やな」
結局、クリフトスが数本まとめて購入した。
フミタロウは包まれていくポーションを見ながら、少しだけ名残惜しそうに金額を確認していた。
*
買い物を終えた一行は、町の反対側へ向かった。
エルフ領へ続く側の門は、ドワーフ側の関所とはまるで雰囲気が違っていた。
白い石を基調にしながら、柱や壁には木材が使われ、その周囲には蔦や花が自然に絡んでいる。
門そのものも、軍事施設というより大きな庭園の入口のように美しかった。
「……あ」
サンキチが小さく声を上げる。
門の両側には、細身の武装した兵士が立っていた。
長い耳。
整った顔。
淡い色の髪。
「エルフだ」
「ほんまに美形やな」
フミタロウも素直に感心した。
「聞いていた通りですね」
ミルキーも少し興味深そうに見ている。
ただし、門を守るエルフたちの表情は驚くほど冷たかった。
「せやけど愛想ゼロやな」
フミタロウが小声で言う。
「聞こえているぞ」
「うわ」
エルフ兵がこちらを見た。
「耳もええんかい」
「聞こえる距離で言うな」
「すんません」
フミタロウは素直に謝った。
一行が門の前へ進むと、一人のエルフ兵が槍を立てたまま言った。
「用件は」
「東へ旅してるんやけど、この森通らせてもらえる?」
「所属は」
「所属?」
フミタロウが首を傾げる。
「所属する国、組織、商会、その他の身分を示せ」
「冒険者やけど」
「身元を証明するものは」
「冒険者証ならあるで」
フミタロウは証を取り出した。
兵士は一度見ただけで返す。
「それはお前が冒険者である証明にすぎない」
「いや、そうやけど」
「どこの誰とも分からぬ者を、森へ通すことはできない」
「いやいや、住むわけちゃうで。ただ東へ抜けたいだけや」
「理由は関係ない」
エルフ兵の表情は変わらない。
「通行には正式な通行証が必要だ」
「通行証……」
サンキチが嫌そうな声を出した。
フミタロウも少し考えてから聞く。
「それ、どこでもらえんの?」
「それを調べるのも旅人の責任だ」
「そこは教えてくれへんのかい」
「規則だ」
「厳しいな……」
クリフトスが一歩前へ出る。
「申請窓口の案内もないのでしょうか」
「町の中で探せ」
「なるほど」
「なるほどちゃうやろ」
フミタロウが横から言う。
サンキチは肩を落とした。
「まず通行証探しからですね……」
「みたいやな」
目の前には、美しい森へ続く門がある。
その向こうには、フミタロウたちが期待していたエルフの国が広がっている。
だが、たった一枚の通行証がないというだけで、そこから先へは一歩も進めない。
フミタロウは閉ざされた門を見上げながら、ため息交じりにつぶやいた。
「エルフの国、入口からめんどいな。」
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フミタロウたちが、実際にどんな顔でアホな会話をしているのか気になる方は、ぜひどうぞ(笑)
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