第二十九話 おっさん重装備でがんばる
「さて……どうするか」
フミタロウは、机の上に広げられた坑道図を睨みながら腕を組んだ。
先ほど試した火攻めは、キャッスルアントそのものには十分な効果があった。だが、閉ざされた坑道の中で炎を使い続ければ、今度はこちらが先に倒れる可能性がある。
だからといって、正面から接近戦を挑むのも現実的ではない。
相手は一メートル近い巨体を持ち、身体を焼かれても止まらず、何より数が多すぎる。
「正面から全部倒すのは、もう無理やな」
「そうですね」
隣で地図を見ていたクリフトスもうなずいた。
「ですが、そもそもキャッスルアントを全滅させる必要はありません」
「というと?」
クリフトスは地図の一点を指した。
「目的は、この集落を救うことです。ならば、キャッスルアントが侵入している横穴を塞いでしまえばいい」
その指先を目で追いながら、フミタロウはなるほどとうなずいた。
横穴からの増援さえ止めてしまえば、あとは本坑道に残っている個体を処理すればいい。そうすれば、ミルドカンドへ続く道も再び使えるようになる。
「全部倒すんやなくて、入って来れんようにするわけやな」
「そういうことです」
「ええやん、それ」
問題は、そこへどうやって辿り着くかだった。
地図の上では、横穴までの距離は大したことがない。しかし実際の坑道には、無数のキャッスルアントが徘徊している。
「そこまで行ければ、おら達で穴を塞ぐだ」
オッゾが言った。
「そこまで行ければ、な」
フミタロウは苦笑した。
話だけ聞けば簡単だが、その「そこまで」が一番難しい。
するとオッゾが何かを思いついたように立ち上がった。
「ひとつ、使えそうなもんがあるだ」
「ん?」
「ちょっと待ってるだ」
そう言い残し、オッゾは部屋の奥へ消えていった。
しばらくして。
重い金属音とともに運び込まれてきたものを見て、全員が言葉を失った。
「……なにこれ」
フミタロウの前に置かれたのは、鎧だった。
ただし、普通の鎧ではない。
肩から足先まで分厚い金属板で覆われ、首回りにもほとんど隙間がない。頭部には、古い潜水服を思わせる丸みを帯びた巨大な兜まで付いている。
「高熱の採掘場で使う耐熱装備だべ」
オッゾが誇らしげに胸を張った。
「高温の鉱脈なんかを掘る時に使う。頑丈さなら普通の鎧とは比べもんにならねえ」
フミタロウは恐る恐る金属板を叩いた。
ごつい。
見るからに重い。
「これなら噛まれても、少しは耐えられそうですね」
サンキチが言う。
「少しどころじゃねえ」
オッゾは自信満々だった。
「ただし」
「ただし?」
「重い」
「……やっぱり」
数分後。
耐熱装備を着せられたフミタロウは、その意味を身をもって知ることになった。
「重っ!」
一歩踏み出すだけで、床へ鈍い音が響く。
「これ着て歩くだけで体力削られるやん!」
「高熱の採掘場で使う装備だからな。頑丈さ優先だべ」
「いや、それは分かるけど!」
しかも問題は重さだけではなかった。
薄暗い坑道の中で、全身を覆う金属がランプの光を反射している。
「これ、めちゃくちゃ目立たへん?」
フミタロウが腕を上げる。
金属板がきらりと光った。
クリフトスも少し考え込む。
「確かに。このままでは近づく前に気づかれる可能性が高いですね」
「せやろ?」
「なら、こいつを塗るべ」
オッゾが持ってきたのは、泥と細かな岩粉だった。
「……泥?」
「金属の光を消して、人間の臭いも少しは誤魔化せる」
「なるほどな」
命には代えられない。
そう自分に言い聞かせながら、フミタロウは全身へ泥と岩粉を塗りたくられることになった。
「うわ、冷た……」
冷たい泥が鎧の隙間へ入り込み、何とも言えない不快感がある。
「我慢してください」
ミルキーが笑いながら言った。
「命の方が大事ですから」
「まあ、それはそうなんやけどな」
しばらくすると、全身が泥と岩粉に覆われた。
さっきまで目立っていた金属の光は、ほとんど消えている。
「かなり自然になりましたね」
ミルキーが感心したように見上げる。
「岩粉も混ぜてるから、近づけば岩肌に見えるだ」
オッゾも満足そうだった。
ところが、少し離れた場所から見ていたサンキチだけは、何か納得していない顔をしていた。
「……まだ、人型ですよね」
「ん?」
「いや、近くで見たら普通に腕も肩も分かるじゃないですか。これ、絶対バレますよ」
言われてみれば、その通りだった。
金属の光は消えていても、輪郭そのものは完全に人間である。
「惜しいですね」
クリフトスもうなずいた。
「惜しいで命賭けられへんぞ」
フミタロウがぼやく。
サンキチは腕を組んでしばらく考えたあと、ふと顔を上げた。
「あ」
「なんか思いついた?」
「上から布をかぶせたらどうです?」
「布?」
「はい。輪郭を崩して、その上に泥や岩粉をつければ、もっと岩っぽく見えると思います」
そう言いながら、サンキチは近くにあった紙へさらさらと絵を描き始めた。
耐熱装備の上から大きな布をかぶせ、その表面へ泥や岩粉を付着させる。肩や腕の形を隠し、表面も不規則に盛り上げて、人間らしい輪郭そのものを消す。
フミタロウが横から覗き込み、思わず目を丸くした。
「サンキチくん、絵うまない?」
「え?」
「めちゃくちゃ分かりやすいで、これ」
「ああ……昔から絵は好きだったんで」
「初耳やぞ」
「聞かれてませんし」
サンキチの案をもとに、すぐ作業が始まった。
そして出来上がったものを見た瞬間。
全員が黙った。
「……岩やな」
「岩ですね」
「岩だべ」
フミタロウだけが、中から何とも言えない顔で三人を見る。
全身には泥と岩粉の塊を貼りつけた布がかぶせられ、頭も肩もほとんど分からない。
辛うじて目元だけが見えていた。
「俺、これで蟻の中行くんやな」
「はい」
「ほんまに?」
「はい」
「嫌な予感しかせえへん」
*
バリケードが静かに開けられた。
その向こうでは、キャッスルアントが何匹も坑道を歩き回っている。
フミタロウは兜の中で小さく息を吐いた。
耐熱装備は想像以上に重かった。そこへ偽装用の布と泥まで加わったせいで、ただ歩くだけでも全身へ負荷がかかる。
しかも視界は、兜の細い隙間からしか確保できない。
「蟻がこっちを見てない時だけ進んでください」
後方からサンキチが小声で言った。
「気づかれそうになったら止まる。なるべくゆっくり」
「分かってる」
「無理しないでくださいね」
ミルキーも心配そうに言う。
「大丈夫や」
そう答えたものの、自信はなかった。
フミタロウは一歩だけ坑道へ踏み出した。
近くのキャッスルアントはこちらを見ていない。
もう一歩。
その時、少し離れた一匹が不意に進路を変えた。
フミタロウはすぐに動きを止める。
巨大な蟻が、ゆっくりこちらへ近づいてきた。
――俺は岩や。
自分に言い聞かせる。
――どう見ても岩や。
触角が伸びてきた。
兜の隙間から見える距離は、ほんの数十センチ。
フミタロウは身体を動かさず、呼吸もできるだけ小さくする。
ただ。
心臓だけは、どうにも岩のふりをしてくれなかった。
キャッスルアントはしばらく周囲を探るように触角を動かしていたが、やがて興味を失ったらしい。
別の方向へ歩いていく。
フミタロウは心の中で大きく息を吐いた。
また一歩進む。
蟻がこちらを向けば止まり、視線が外れれば少し進む。
それを何度も繰り返した。
やっていること自体は単純だった。
ただし、失敗したらおそらく死ぬ。
――これ、完全にだるまさんがころんだやん。
四十歳になって、命懸けでそんな遊びをすることになるとは思わなかった。
何度も冷や汗をかきながら、それでも少しずつ前へ進んでいく。
そして。
「……着いた」
目的の横穴が、ようやく目の前に現れた。
ここを塞げば、ひとまず仕事は終わる。
フミタロウは慎重に横穴へ身体を滑り込ませた。
「よし、あとは中に――」
その時。
かさり、と何かが動く音がした。
振り返る。
「……うそやろ」
目の前にキャッスルアントがいた。
距離は、ほとんどない。
一瞬だけ、互いに動かなかった。
次の瞬間。
巨大な顎が、フミタロウの兜へ噛みついた。
「ちょっ!」
身体が浮いた。
「うおっ、持ち上がっとるやんけ!」
耐熱装備ごと宙へ持ち上げられ、首へ強烈な力がかかる。
このままでは、本当に首を持っていかれる。
「なら……!」
フミタロウは慌てて兜の固定具へ手を伸ばした。
留め具を外す。
次の瞬間、頭から兜だけが抜け、身体が床へ落下した。
「痛ったぁ……!」
背中を強く打った。
それでも首が無事なら安いものだった。
キャッスルアントは兜を咥えたまま、一瞬だけこちらを見る。
「助かった……けど」
当然、それで終わる相手ではない。
キャッスルアントは兜を放り出すと、すぐに向きを変えてフミタロウへ迫ってきた。
この重装備では、普段のような細かな動きはできない。
ならば。
「一発でどいてもらう!」
フミタロウは重い脚を振り上げた。
耐熱装備そのものの重量を利用し、腰ごと回して蹴りを叩き込む。
鈍い音が響き、キャッスルアントの巨体が大きく跳ねた。
そのまま横へ吹き飛ぶ。
「……重っ」
蹴った本人まで体勢を崩しかける。
「でも、使えるやん」
今のうちだった。
フミタロウは腰の袋から、オッゾに渡されていた透明な結晶を取り出した。
削岩用水晶。
鉱山作業で、岩盤を一気に崩すために使う道具だ。
「こいつを奥で割れば、横穴ごと塞げる」
狙いを定め、横穴の奥へ水晶を投げる。
岩へ当たった瞬間、澄んだ音がした。
続いて、岩壁と天井へ一気に亀裂が走る。
「来た!」
崩落が始まった。
大量の岩と土が横穴へ落ちてくる。
「ちょ、待って! 俺まで埋めんなよ!」
フミタロウは慌てて後退した。
崩れ落ちた岩がぎりぎりのところまで迫ったが、どうにか巻き込まれずに済んだ。
土煙が収まる。
横穴は完全に岩で埋まっていた。
「よし……塞がった」
作戦成功。
そう思ったのも束の間だった。
岩の向こうから、小さな音が聞こえた。
「……何の音?」
耳を澄ます。
岩を削るような音が、少しずつ大きくなっていく。
フミタロウの顔から笑みが消えた。
「戻って来てるやん」
キャッスルアントが、反対側から崩れた岩を掘り返している。
このままでは長く持たない。
「まじかよ……」
どうする。
考えていると、別の音が耳に入った。
空気が抜けるような、かすかな音だった。
「ん?」
横を見る。
岩壁の細い隙間から、白い蒸気が漏れている。
「湯気……?」
近づいてみる。
その周囲だけ、岩の色が他とは少し違っていた。
手を触れる。
「あっつ」
温かいどころではない。
かなり熱い。
「もしかして、この向こう……熱い水でも通ってるんか?」
考えている時間はなかった。
背後では、キャッスルアントが岩を掘る音がどんどん大きくなっている。
「外したら、その時考えよ」
フミタロウは一歩踏み込み、拳を構えた。
「カマイタチ!」
掌底を岩壁へ叩き込む。
衝撃が内部へ抜け、岩肌に細かな亀裂が広がった。
「お?」
次の瞬間。
亀裂から熱水が勢いよく噴き出した。
「うおっ!」
予想していたより、はるかに多い。
「思ったより出たな!」
噴き出した熱水が横穴の床を流れ、崩れた岩の隙間へ次々と入り込んでいく。
その向こうから、キャッスルアントの甲高い鳴き声が聞こえた。
先ほどまで岩を掘り返していた音が遠ざかっていく。
「お……」
フミタロウは目を細めた。
「これ、使えるんちゃう?」
*
「おーい!」
フミタロウは本坑道へ向かって大きく手を振った。
「横穴は止めた! 残ってるやつ頼む!」
「分かりました!」
クリフトスが応える。
「こちらで押さえます!」
「いきます!」
サンキチが杖を構えた。
「炎火散弾!」
複数の火球が一斉に飛び、キャッスルアントへ次々と命中する。
火を長時間使うのは危険だが、横穴からの増援が止まった今、短時間で残った個体を処理するだけなら話は別だった。
「ミルキー!」
「はい!」
ミルキーが杖を構える。
その先端へ集まった風が圧縮され、大きな刃を形作っていく。
「ウインドハルバート!」
振り抜かれた風の斧が、キャッスルアントの脚と胴をまとめて切り裂いた。
その隣では、クリフトスが一本のフルートを握っていた。
楽器へ魔力が集まり、青白い雷が細長い刀身のような形を作る。
「雷神剣」
一閃。
雷の刃がキャッスルアントを打ち倒した。
「ええな、それ!」
思わずフミタロウが叫ぶ。
「ありがとうございます」
「いや、感想言うてる場合ちゃうな!」
「そうですね」
三人の攻撃で、本坑道に残っていたキャッスルアントが少しずつ押し返されていく。
横穴から増援は来ない。
今ならいける。
「オッゾさん!」
「おう!」
合図を受け、ドワーフたちが一斉に動き出した。
数人がかりで運んできたのは、分厚い鉄板だった。
「そのまま横穴へ!」
「もうちょい右だ!」
「合わせるべ!」
鉄板が横穴の入口へ押し込まれる。
位置が決まると、今度は金槌と固定具を使って一気に留めていった。
仲間たちがキャッスルアントを押さえる戦闘音と、ドワーフたちが鉄を打つ音が坑道の中で重なり合う。
「このまま押さえとけ!」
「固定するだ!」
最後の杭が打ち込まれた。
オッゾが鉄板を何度か叩き、満足そうにうなずく。
「よし! 終わった!」
フミタロウは、その場へ腰を下ろした。
「……長かった」
横穴は完全に封鎖された。
キャッスルアントを根絶やしにしたわけではない。
女王を倒したわけでもない。
だが、増援は止まった。
本坑道に残っている個体を処理すれば、ミルドカンドへ続く道も再び使えるようになる。
「完全駆除とはいかんかったけどな」
「でも、目的は達成しました」
クリフトスが言う。
「せやな」
フミタロウは大きく息を吐いた。
ミルキーが心配そうに近づいてくる。
「フミタロウさん、大丈夫ですか?」
「……緊張しすぎて」
「はい」
「胃が痛い」
ミルキーが思わず笑った。
「笑うところちゃうで」
「ごめんなさい」
「あと」
フミタロウは坑道の奥に転がっているキャッスルアントの死骸を見て、嫌そうに顔をしかめた。
「しばらく蟻は見たないわ」
その言葉に、ようやく仲間たちから笑いが漏れた。
*
「じゃあ、このままミルドカンドへ向かうべか?」
オッゾが尋ねた。
フミタロウは首を横に振る。
「いや、一回戻ろう」
「戻る?」
「ルミアちゃんとニックス船長、待ってるやろ」
「そうですね」
クリフトスもうなずいた。
「月影草のこともあります」
「んだな。まず集落へ戻るべ」
「せやな」
フミタロウは立ち上がり、一歩踏み出した。
すぐに顔をしかめる。
「……これ、脱いでから帰ってええ?」
「もちろんだべ」
「よかった」
サンキチが笑う。
「そのまま戻ったら、ルミアちゃん泣くと思いますよ」
「完全に岩の化け物やからな」
「ですね」
こうして、キャッスルアントそのものを全滅させることはできなかった。
それでも横穴からの増援は止まり、ミルドカンドへ続く坑道は再び使えるようになった。
完全な勝利とは言えないのかもしれない。
だが、そもそもフミタロウたちは、キャッスルアントを討伐するためにここへ来たわけではない。
月影草を手に入れること。
そして、困っていたドワーフたちを助けること。
その目的は果たした。
泥まみれになり、岩に化け、巨大な蟻の群れの中で命懸けのだるまさんがころんだまでやった。
決して格好のいい勝ち方ではない。
それでも、フミタロウたちらしい勝ち方ではあった。




